ぼやき日記


2月21日(日)

 今日の新聞を読んでいたら、織田作之助の「続・夫婦善哉」が川内市の文学館から発見されたんやそうです。「まごころ文学館」などという脱力しそうな名前の文学館です。何を考えて命名したか。いや、文学館の名称はこの際どうでもええ。
 どうも織田作之助が戦時中に書いたけれども、検閲を恐れて出版社が雑誌掲載を見合わせたまま、織田作に返さず、発行人の山本実彦がその原稿を持ったまま亡くなり、遺族によって「まごころ文学館」にあらゆる資料とともに寄贈されたみたいなんですな。発見されたのは喜ばしいけれど、なんで山本氏は原稿を作者に返さなんだのか。ようわからんな。
 戦争が終ったら掲載するつもりやったけれど、なんやしらんドサクサのううち原稿そのものを忘れてしもうたのかもしれん。ということは、どうしても出版したいというようなもんでもなかったのかなあ。
 新聞記事によると、舞台を別府に移して柳吉とお蝶さんが「夫婦善哉」と同じようなことをするという話らしいから、まあ正編の焼き直し的な性格のものなんかもしれん。こればかりは読んでみないとわかりません。もっともおそらくかなり高いハードカバーで出るんやろうから、10年くらいたって正続合わせた文庫が出るまで待ってもかまわんかなという気はする。
 ところで、新聞記事には「検閲に触れるのを恐れて」とだけしか書いてなかったけれど、織田作の小説には一度発行禁止処分を食らったりしたものもあることを一文はさんどかんと、なんでそんなことを恐れたかわかりにくいと思うぞ。不親切なのか、記者が知らなんだからか。ちょっと調べたらすぐわかることなんですけどね。

2月22日(木)

 4月8日に大阪と京都と神戸で地方議会選挙が行われるんで、3つの市の選挙管理委員会が合同で選挙啓発広告を出すことにしたんやそうな。JR西日本の普通電車内のモニタに30秒の広告映像が流れるというんやけれども、朝日新聞のサイトの見出しにはこんな風に書いてある。
「SFタッチで統一選啓発」
 おー、SFタッチとはどういうものかと記事を読んでみた。以下、引用です。
「映像は大阪城、京都の清水寺、神戸のメリケンパークの上空に『4・8』の巨大な数字が浮かび、通行人たちが驚くという内容」
 驚くのはこっちやわい。どこがSFタッチやねん。上空に巨大な数字が浮かんだからというてそれを浮かばせたのが何者かでSFか伝奇かホラーかドキュメントか変わってくるでしょう。
 例えばあまりに投票率が低いのを嘆いた未来人が歴史を改変するために25世紀からタイムマシンに乗ってやってきてナノマシンを使用して人々の脳内に侵入して上空に数字が浮かんでいるかのように感覚を操作した、という設定でもあるなら(しょうもない設定ですが、許してくだされ)SFタッチかもと思う。陰陽師が式神をとばして上空に数字を浮かび上がらせたら伝奇やし、通行人が異界に知らぬ間に踏み込み浮かんでいる数字は魔物による幻覚でそれを見たら一度はいったら二度と出られずえんえん投票を繰り返す魔の投票所に呼び込まれるというならホラーかもしれん(ホラーを誤解しているかもしれん、許してくだされ)。上空に飛行船を飛ばして選挙啓発を行ってるだけやったら現実にありそうなもんやしな。
 「SFタッチ」などと平然と書いているのは記者かそれとも選管か。20世紀初頭ならいざ知らず、21世紀初頭に「上空に数字が浮かび上がる」だけでSFタッチというかね。
 と、ここまで書いてきて気がついた。「SFタッチ」は「上空に浮かび上がった数字」にかかるのではなく、「通行人たちが驚く」にかかっているのかもしれん。SFはセンス・オブ・ワンダー。つまり、驚いているという感覚に訴えるところに「SFタッチ」の要素があるということやろうか。
 驚いただけでSFになるなら、遊園地のお化け屋敷もSFやわい。
 SFをなめたらあかんよ。ほんまにもう。SFタッチというならば、電車の中で立体ホログラフィの広告を出すとかいうようにしてくだされ。内容はともかく、媒体としてはSFタッチという感じになるよね。

2月23日(金)

 今日から入試です。いや私がどこかに入学しようとしているわけではなく、私の勤務している高校に入りたいという中学生が試験を受けにきたのですね。それぐらいわかるわな。
 学科試験の他に、小論文と面接がある。面接は来週で、今日は筆記試験のみ。受験生が帰ったあと、教員が一同に会して一斉に小論文の採点をした。一人あたり80〜90人の作文を読むわけです。そして複数の教員が同じ作文を読んでそれぞれの評価を点数化する。
 で、私は80人一気読み。
 中学生の作文をそんなに読むというのはどういうことか。
 彼らは経験も知識もまだまだ未熟なわけで、それでも入試やから精一杯背伸びしてそれらしいことを書こうとする。しかもいきなりお題を出されてそれから30分間で書いてしまわなならんのである。頭の中が未整理やろうと何やろうと書かんならんのである。
 大人でも、そうとう高度な技術を必要とする。実際、このふざけた日記でも、30分くらいうんうんうなって書いているんである。このていどのことやったら鼻唄混じりで5分くらいでちょいちょいと書いていると思われるかもしれんけれど、そうでもないんやで、ほんま。
 そんな中学生の作文が読むに耐えるものかどうかは、ご想像におまかせする。それを80本一気読みしたあとの私の頭がどういう状況に陥ったかというのも、ご想像におまかせする。守秘義務ということとご理解いただけるとありがたいですね。
 というわけで、今日の日記はそういう頭で書かれたものとご理解いただけるとありがたい。
 その割にはいつもとたいして変わらんといいますかあなたいいますか。思うててもいうたらあかんこともあるねんよ。

2月24日(土)

 今日は入試の採点で休日出勤。出がけに駅へ行く途中で黒猫が道を横切るのに遭遇した。迷信とはいうても、あんまり気持ちのええもんやないです。
 というわけで、間違えたらあかんというプレッシャーのもとで仕事をするのは実に疲れた。主に気疲れやね。大きな失敗もなく終ってよかったけれど、さすがにいつも休みで心身ともに疲れをとるべき日によけいに疲れたんで、今日はもうあかん。寝ます。

2月25日(日)

 明日は入試の面接があるので、今日はつかの間の安息日という感じですね。昨日出勤したので、この土日に録画したアニメや特撮を1日見倒す。何と何を見たかを書いていると長くなるので割愛。なんでわしはこんなもんまで見ているのかと思うようなものも見ていることに気がつくのが怖い。
 夜は、妻が私用に置いておいてくれた韓国時代劇「ホジュン」を見始めたらこれがもうついつい続きを見たくなって5本分くらい一気に見てしまう。困ったもんです。監督は「チャングム」と同じ人やそうです。作りがよく似ている。主人公は貴族の愛人の息子で、賤民の血が混じってるからと破落戸(ごろつき)になって禁制品の密輸に手を染めたりしていたが、謀反人の汚名を着せられた貴族とその娘を助けたことが縁で恋仲となる。その娘のため、父親の医療費を出してやろうと密輸商売をしたら、現行犯でつかまってしまい、貴族である父の恩情で地方に逃げることができる。
 さあここからが面白い。医者を目指して勉強してたら先輩たちに徹底的にいじめられたり、一度はあきらめたはずの恋人とのからみがあったり、「チャングム」と手法は同じなんやけれど、もっと類型的な感じか。「ホジュン」の経験を生かして「チャングム」を作ったということやろうね。出てる脇役俳優さんがよう似た役柄で出てるのも面白い。
 というわけで、「ホジュン」でリフレッシュいたしました。関西では「サンテレビ」で平日お昼に放送しているからあんまり話題になってへんみたいですけどね。NHKも「チュオクの剣」なんかやらんと「ホジュン」の放送権をとっておいたら「チャングム」を楽しんだ中年男性層に受けたと思うぞ。

2月26日(月)

 やっと入試の採点業務が終了。あとまだ合否判定会議があるけれどね。受験生には落ち着かない日が続くというわけか。合格発表は今週末です。

 伊吹文明などいう「伊吹時代」というのがあったみたいな名前を持ってるのにもかかわらず文部科学大臣は言葉の意味も何もわかっとらんのやないかという発言をしておるね。
 以下、毎日新聞サイトからの引用です。

 伊吹文明・文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で「教育再生の現状と展望」と題して講演し、「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言した。(中略)伊吹文科相は、人権を「侵すべからざる大切なもの」としたうえで、バターに例えて発言。「権利と自由だけをふりまわしている社会はいずれだめになる。これが今回の教育基本法改正の一番のポイント」と持論を展開した。(後略)

 これ、バター業界が怒って抗議してくるよ。ほんま。そらまあバターを食べ過ぎたら肥満するかもしれんけれど、その分運動したらええやん。権利や自由をふりまわしても、ちゃんと義務を果たしていたら問題はないでしょ。
 だいたい「人権」というのはつまり「基本的人権」のことで、これは人間として社会の中で最低限尊重されるべき権利であってやね、「食べ過ぎ」ることのできるような性質のものと違うやん。というか、食べなんだら死んでしまうがな。バターに例えるよりも、米とかパンとか主食に例えるべきものでしょうよ。京大卒業して大蔵省に入省し国会議員になって派閥を率いている人がこの程度の認識で、しかも文部科学大臣ですか。
 これはつまり、「人間として生きていく上で必要な権利を保障して」と要求したらあかんといいたいということか。その割には議員特権とか持ってるんやないですか大臣。使徒不明金について追及されても知らん顔をしてる人が、「権利をふりまわすな」とはよう言うた。国民に対する義務も果たされへん国会議員こそ特権剥奪ものやないんですか。
 こんな文部科学大臣が語る「教育再生」というのは実にうさんくさいなあ。
 その他、「日本は大和民族が統治し続けてきた国」なるどひゃーな発言もあるんですけども、ここまででぼやく気力も尽きましたわ。ああしんどい。

2月27日(火)

 プロバイダに設置されているブログのサービスを利用して、日記をブログに変えようかなあなどと画策中。きりのいいところで3月1日からと思うております。この日記を書く前に毎日ちょこちょことプロバイダのサイトにアクセスしては、現在の日記によく似たレイアウトになるように設定をいじったりしている。詳細は明日また書きます。

 昨日の日記の続きみたいになるけれども、「日本は大和民族が統治し続けてきた国」という場合、伊吹文明文部科学大臣はどこからどこまでを「日本」と定義しているのかぜひ教えていただきたいと思うわけですね。例えば、明治政府ができて以降に統治下にはいった沖縄の場合、それ以前は「大和民族」ではなく「琉球民族」が統治していたといえるし、北海道はそのほとんどがアイヌの土地やったのを明治政府が「開拓」という名で奪っていった。伊吹大臣がいう「日本」は本州と四国、九州に限定されてると考えていいのか。そしたら文明さんは北海道や沖縄は「日本」とは考えてへんのか。琉球人やアイヌを「大和民族」のうちに入れてしまうというつもりなのか。それは民俗学的にも無理があるのやないか。
 ああそうか、琉球人やアイヌの末裔に人権を与えつづけると「人権メタボリック」になってしまんやな、きっと。先住民族の文化を尊重したり保存したりするようになると、社会はダメになるんでしょうな。
 こじつけと言われるかもしれんけれど、文明センセイの講演の内容を私のの中で消化し、理解しようとしたら、こういう理屈になってしまうんや。
 あべしんぞう首相、この際やからいっぺん内閣改造したらどうですか。どうせ今の大臣たちは閣議の最中に規律正しく首相をたててくれへんらしいから、ちょうどええやん。こういうおっさんたちが大臣でございと居座っていると思うだけで、正直気持ち悪くてしょうがないんですわ。

2月28日(水)

 昨日も書いたように、明日から日記をブログ化します。別に流行に乗り遅れまいというわけやなく、外出していても携帯からメールで日記をアップできたりするのは便利やなあと、まあそういうわけです。
 職場のホームページに「修学旅行速報」の係として生徒たちの動向を写真入りで投稿し、それがわりと好評やった。だいたい毎日こういう日記を書くような人間やから、面白がってこまめに投稿してたいたわけですね。こうなると仕事というよりは性癖という感じになるな。
 というわけで、日記に速報性が加わったら、書くのも読むのも楽しいかなあと、まあそういう気持ちになってきたわけですね。別にそこでショップを開いて商売したいとか、そういう気持ちはない(公務員の副業は原則禁止。ただし、管理者に届けて許可を得ている場合は可。ものかき仕事はちゃんと府教委に届けているのです)。例えば甲子園に行ったとしますね。そしたら携帯で写真を撮ってその熱気を現場から日記としてアップロードできたら楽しいなあと、そういうように思うたわけです。
 トップページからブログにいけるようにリンクし、「読書感想文」「愛すれどTigers」「大相撲小言場所」などのコンテンツを更新したら、トップページだけやなくブログの日記からも読めるようにする。そういう形にして、いわゆる「公式サイト」とブログをうまく連動するように使えたらいいな、と。
 同時に、長年設置してきた掲示板「てなもんや囲炉裏端」は一応置いておくけど基本的には使用せず、ということにします。ブログにはコメントを活用していただくことにします。もちろん「通りすがり」のような「捨てハン」の使用はご遠慮いただくというローカルルールは変えません。
 というわけで、HTML形式の日記も今日が最後。ホームページ開設以来、この形で続けてきただけに、愛着はあるけれど。あと、日記のログとして10日分たまったらHTML日記の形にして保存しておくという面倒やけれど確かな保管方法も検討中です。
 それでは、明日はトップページからブログにいって下さい。これからも「ぼやいたるねん」をご愛顧いただきますよう、よろしくお願いします。


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