ぼやき日記


2月1日(木)

 朝日新聞のニュースサイトを見ていたら、「本紙記者が記事盗用 読売新聞HPから」と題した記事が掲載されていた。リンク切れの場合もあるので、以下、リード部分だけ引用する。

「富山県立山町の特産品『かんもち』に関して、朝日新聞社が1月30日付夕刊(東京本社版)の社会面やインターネットのホームページ『アサヒ・コム』などに掲載した記事が、読売新聞の記事に酷似していることがわかりました。記事を書いた記者は本社の調査に対し、読売新聞のホームページに同月27日付で掲載された記事を参考にしたと説明し、『盗用』にあたると認めています。本社はこの記者を1日付で管理本部付としました。調査を尽くしたうえで、記者と関係者を厳正に処分します」

 いやいや、またまた週刊文春が喜んでころこんでネタにするようなことをしているなあ。くだんの「盗用」記者さんは46歳。私と対して変わらん歳やないか。この1日150〜90人くらいの方に閲覧していただいている私のアホな日記でさえも、他の方の日記やブログとネタがかぶらんように、切り口をなるべく変えて、自分で考えた文章を書いているというのにね。
 隣の芝生やないけれど、他の方の日記は実に面白く、同じ時事ネタでも「やられたなあ、こういう深い洞察があったか。こういう切り口があったか」と感心する。まあ、私の日記はおっさんがただぐたぐだとぼやいてるのを楽しんでいただいていると前向きに考えて、どんな面白い日記やブログを発見し、それに共感しても、丸写しはしません。私が書いても同じような書き方になると思うた時は、どんなにおいしい時事ネタでも書かずに捨てたりするくらいですわ。
 参考にするという時は、絶対に同じものにならんように気をつけるという形になるかな。そういう意味での「参考」にはします。これでもものかきのはしくれやから、「盗用」の疑いがかけられるようなものを書くのは「恥」というくらいの思いはあるのですよ。
 写真記事を専門にする記者さんやったから、こと文章に関しては「プロのプライド」はなかったんかなあ。それとも締切ギリギリで頭が働かなんだんか。たとえ写真のキャプションみたいな文章であっても、それでおまんま食うてるんやったら「プロのプライド」は持っておいてほしかった。それさえあれば、「盗用」なんていう恥ずかしい真似はでけなんだと思うんやけれど、どうでしょう。

2月2日(金)

 ななな、何が起こったのか! 掲示板が荒らしにあっておったぞ。昼前から夕方にかけて10数件「wedding〜」という言葉で始まるタイトルの書き込みがなされておった。私ゃただぼやいてるだけで争いごとをする気も何もないんで、ケンカは売らんといてね。
 速攻で削除したけれど、掲示板荒らしというのは閉鎖でもせん限り続く場合もあるらしい。荒らしの意図が全く見えんだけに、対処のしようがないなあ。まあ、こまめにチェックして見つけたら削除するしかないか。ううむ。

2月3日(土)

 掲示板の「荒らし」か「スパム」かとにかく定期的に書き込まれていた「wedding」投稿は14時半ごろにいったん終息した。機械的に投稿されてたとしたら、同じレンタル元の他の掲示板も同様の被害におうていた可能性は高く、レンタル元がなんらかの防護措置をとったと思われる。まあ、もうしばらく様子見ですな。
 私はというと、急遽実家に顔を出す用ができて、京都に帰ったりしてた。昨日は仕事でもちつきをし、今日は帰省、掲示板のスパムも気になったりしていたし、なんやかんやで今日は疲れた。とはいうても、移動時間が長かったから、読書は進んだ。いいのやらわるいのやら。
 というわけで、やっぱり京都は大阪より寒い。

2月4日(日)

 ジン(←大きい音が出ます! 注意して下さい)というバンドがあって、アニメ「BLOOD+」のオープニングテーマ「雷音」やアニメ「コードギアス反逆のルルーシュ」のオープニングテーマ「解読不能」を歌っている。
 私、この「雷音」も「解読不能」も、最初聞いた時、外国語の(しかも英語やなくアジアのどこか)歌詞やないかと思うたんですよ。で、カラオケで「雷音」をリクエストしたら漢字の熟語を次々と並べた歌詞なんですね。
 私はもうおっさんやから、こういうのは若い人にやったらわかるんやろうと、まあ好き嫌いは別にしてこういうバンドもありやと、あるいはもうおっさんなんで高い音の聞き取りがでけんようになってきたから日本語に聞こえんだけで、若い人には聞き取りができてるんかなあ、なんていうことを考えたりしてたわけです。
 ただ、歌の調子が面白い。私の「名盤」センサーにはひっかかる。つまり「一般的やないけれどなんやおもろい曲」というカテゴリーには入るわけで、言葉の意味なんかどうでもええけれどそれさえ気にしなければ(外国語の歌と思えばよい)とにかくノリのよい歌を歌うバンドという認識ではあったわけです。
 で、珍しく調べて書こうと思うてアマゾンでの評価とかそういうものを読んでみると、アニメファンにはすこぶる評判がよろしくない。特にやっぱり歌詞がわからんという。ああそうか、おっさんやから聞こえなんだんやなく、若者にも聞こえてなんだんですね。ちょっとほっとする。
 批評を読むと、悪く書いているのはたいてい「前のテーマソングよりも内容にあってない」というのが「何を言ってるのかわからない」というのと同じくらいの割合で出てくる。そうかあ、前のテーマはアニメの内容に合うてたんかあ。前のもタイアップ曲で歌詞に番組タイトルも登場人物の名も入ってない歌やったから、私にしたら大同小異なんですけどね。最近のアニメソングは明らかに子ども対象のもの以外、「主題歌」に値するものは存在しないと私は割り切って聞いているんやけれどねえ。「ふたりはプリキュア」や「おねがいマイメロディ」みたいにちゃんと番組のタイトルが歌詞に入り、内容にもあっているのが「アニメソング」やと思うのですけれど。最近深夜アニメで「すもももももも」という番組のオープニングテーマが「すももも、ももも!」とタイトルを入れているだけではなくて「子作りしましょ!」といきなり番組内容の核心をつく歌詞で始まっていて、これぞアニソンといっぺんに気に入ってしもうたというのはあるけれど。
 「タイアップでも作品内容が歌に反映されていたらいいんだ」という意見は否定はせんけれど、結局新人歌手やバンドのデビューのためにアニメを利用してるだけやんとか思うと、タイアップ曲を「アニメソング」とはいいたくないなあというのが、おっちゃんの思いなんですね。まあただそれだけのことなんですけど。
 とりあえず、いろいろ批判はあろうけれど、ジンの曲は「パイパイパイノパイポイパイヤパライオーン」と適当な歌詞をつけて調子よく歌えるなあという風に気に入ってます。

2月5日(月)

 日中だけやけにぬくいぞ。朝晩は冷えるから、私の神経なるものが「冷えるかぬくもるかはっきりせい!」と訴えかけてくる。風邪なんだか気温差によるアレルギーなんだかわからんが、とにかく鼻の調子がよろしくない。薬でなんとか抑えて仕事してるけどね。

 昨日の日記を読んだ妻から抗議を受けた。
「リンクをはるんやったら、『大きい音が出ます。注意して下さい』と書いといて!」
 ジン(←大きい音が出ます! 注意して下さい)のサイトを開いたら、「オーカンカ、コーマカメ、コーカクオ、ダダー」とかいう歌声が聞こえてくるのですね。確かにやかましい。職場でこの日記を読んでくれている人にしたら「何すんねん!」ということになったかしらんね。すんませんでした。
 あの音の出るサイトは確かにかなわんね。テレビ番組について調べようとしてテレビ局のホームページを開いたら、テレビ番組の次回予告が流れたりするもんね。職場のパソコンは、スピーカーの音量を最低にしてる。調べものをしていてもなんか曲が流れてきたりしたら、遊んでるみたいに思われるかもしれんからね。
 というわけで、注意書きをいれときました。遅いか。

2月6日(火)

 漫才師の生恵幸子(いくえさちこ)さんの訃報に接する。死因は脳出血後遺症。享年83。
 幸子師匠といえば、ぼやき漫才の人生幸朗師匠の相方であり奥様やった方です。わざわざ書かんでも知ってるわーいという方もいてはるやろうけれど、人生師匠が亡くならはったのが1982年。もう25年もたってるわけやから、ご存知ないかもしれん。というか、ぼやき漫才という型が今はもうない。幸子師匠は生前横山やすしさんや西川のりおさんに「ぼやき漫才を継いで」と言うてはったそうな。ところがこのぼやき漫才、なかなか難しいのですね。ぐだぐだ言うてもいやらしくなく、毒舌というほど鋭くもなく、ぼやいた対象と自分そのものも笑いのめさなならん。やすしさんやのりおさんやとぼやきやなく、怒りになってしまう。怒り過ぎてもあかんのです。私も「ぼやいたるねん」と題しているんやから、その域までと思うてはいるんやけれど、まだまだ修業が足りん。
 幸子師匠の有名なツッコミに「なに言うてんのん、このドロガメ!」というのがあるけれど、これはただのツッコミやないのですね。テレビ収録などでディレクターが「あと1分」と書いた札を出すんやけれど、目の悪い人生師匠がちゃんと読んだか確認でけん。そこで幸子師匠がこの決め台詞を言い、「責任者が出てきたらどないすんねん」とたたみかける。そこで人生師匠が「あやまったらしまいじゃ」とか「ごめんちゃい」とか「母ちゃんかんにん」とか言うて、締めの台詞にかかるわけです。足立克己さんの本にそう書いてあった。
 古い録音を聞くと、幸子師匠の突っ込みが弱く、ぼやきよりも幸子師匠が歌を歌ってつないだりしている。私が漫才を見始めた頃にはもう流行歌の歌詞のおかしな部分をピックアップしてぼやくというパターンが確立し、幸子師匠のツッコミもかなり強くなっていたけれどね。
 「思い出の漫才コンビ」などの番組に出た時は、人生師匠のことを思い出してはよう泣いたはった。4年半も前に脳溢血で倒れ、ずっと闘病生活を送ってはったという。そういうたら、最近その手の番組でもお見かけせんなあと思うた。
 ぼやき漫才は難しい。幸朗・幸子のコンビも人気者になったのはかなり歳がいってからやったという。それだけ年季がいりますねん。幸子師匠が願っていたぼやき漫才の後継者はなかなか出てこんかもしれんなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

2月7日(水)

 夕食時にテレビをつけたら、妻が「京都テレビ、こんなんになってるねん」と言う。見れば、画面が青い地色でふちどられていて、中央に番組の画面が縮小版で流れている。ふちには字幕で「チャンネルを移行しました。テレビの設定で7チャンネル等にC13を設定して下さい」と書いてある。
 私の住むマンションはケーブルテレビ会社と契約していて、そのおかげでサンテレビも京都テレビも映るというありがたいことになっている。深夜アニメや韓国ドラマ、台湾ドラマなんかは京都テレビでしかやってないものやサンテレビでしかやってないものもあるもんね。
 というわけで、ケーブルテレビの会社が何の予告もなしにいきなり京都テレビのチャンネルを移動させたと、まあそういうわけです。とりあえず食事をとり、まずテレビからチャンネル設定を変える。大事にとってあったマニュアルを出してきて、妻といっしょにああでもないこうでもないと言いながら設定を変えた。テレビは比較的すぐに変えられた。問題はHDDレコーダーや。こちらのチャンネル設定をちゃんとしとかんと、DVDに保存してある番組は青わくつきで録画せんならんことになる。
 これが苦労した。マニュアルをざっと読んだだけでは、なんぼ設定し直しても画面に京都テレビの番組が出てこんのです。ようやく妻が表示画面のどれが何を意味しているか探り出し、設定終了。次はVHSです。HDDレコーダーはダブルチューナーで一度に2つの番組をハードディスクに録画できるんですけどね、3つ見たい番組が重なった時にVHSのデッキが必要になる。
 これもまた難儀した。どうすればC13というチャンネルにセットできるかわからんのです。あれこれいじくったあと、妻の助言で初期設定にリセットすることにした。そうすると、おお、C13というケーブルテレビ専用のチャンネルも表示されておるやないか。これを探してセットしたらええんやな。
 一通りセットし、設定したチャンネルで一度短時間の予約録画をしてみて、ちゃんと京都テレビの番組が録画できることを確認した。これで一安心やけれど、3つの機械をそれぞれ違う方法で設定し直さなならんのやから、思うていた以上に時間を食うた。
 それにしてもひどいケーブルテレビ会社やないか。私らまだなんとなく理屈をのみこんで設定をし直すことができたからええけれど、機械ものに弱い人だけしか住んでへん家かてあるやろう。予告もなしにいきなり「チャンネルを移行した」とテレビ画面で告知するのもむちゃくちゃや。うちのマンションは全棟ケーブルテレビに加入してるんやから、詳細を記したチラシを1週間くらい前に郵便受けにいれておいてよ。不親切というかなんというか、顧客に対して失礼やないか。こっちはケーブルテレビの会社を選ぶことがでけんのやからね。
 というわけで、予定がかなり狂うてしもうた。ほんまに困った会社や。

2月8日(木)

 日本相撲協会が、八百長疑惑を報道した「週刊現代」を提訴することにしたという。これまでは「無気力相撲はない」としてこの手の報道に対しては全て黙殺してきたけれども、今回は法的手段に訴えるということになった。
 なんで今回だけは黙殺せなんだか。それは、今回の記事が大相撲九州場所の朝青龍相撲を全てとりあげて「この相撲とこの相撲はガチンコ(真剣)、他の相撲は注射(八百長)」と明示したからやと思う。
 10年以上前に徹底的に「八百長疑惑」を扱ってきた「週刊ポスト」は、すでに引退した力士(四季の花、高鉄山、板井ら)が現役時代をふりかえって「自分たちがやってきたことをすべて話す」として過去のことを暴露するという形をとっていたのに対し、今回の「週刊現代」は外部のライターによる指摘やからやないかと思う。
 意地の悪い見方をすれば、元力士は協会を離れたとはいえ「身内」やった者やから、裏から手をまわして口をつぐませることもできる。しかも過去のことで確たる証拠も残ってはいない。外部のライター相手にそれは通用せん。そこで法的措置に訴えることにしたんやろう。もとより八百長をした力士が勝ち星の取り引きを証文に残すわけもないから、「週刊現代」は圧倒的に不利やろうしね。
 好意的に見れば、これまでは「身内」のことなので大目に見ていたけれど、今回は現役横綱の相撲を外部の者が侮辱したわけで、これを野放しにしておくとこれからずっとありもしないことを書かれ続けることになるので、この際きちっと白黒つけておこうとしているということになるやろう。
 もっとも、今回は横綱審議委員会から「書かれていることは事実かどうか」と協会が説明を求められたというから、うやむやにしたまま放置はしておかれんということかもしれん。
 私としては白黒はっきりつくことよりも、こういう疑いをかけられたんやから、力士が奮起して疑惑をもたれないような白熱した相撲をとるようになってくれたらええなあと思う。琴光喜なんかここまではっきり書かれたんやから、それを打ち消すためにも春場所は横綱を一気に持っていくような相撲を見せてほしい。
 それにしても、もし裁判で「八百長」が立証されたらどないするんやろう。朝青龍なんか「法定で証明された八百長横綱」というレッテルをはられ、下手したら引退に追い込まれてしまうかもしれんぞ。さてどうなることやら。

2月9日(金)

 CDで原田知世の歌を聞いていたりすると、一語一語をはっきりとわかるように歌うていて非常に聞きやすい。20年前の私には痛々しくさえ感じられた声質も、今聞くと透明感がたまらなくいい。ガラスはガラスでもびいどろ細工のような危うさのある感じやな。
 最近の若いボーカリストは歌はへたやないんやけれども素直に声を出したらあかんとか言葉は英語風に発音せんならんとかいう縛りでもあるんかと思うくらい「作った」感じがある。原田知世さんはものすごく素直に自然に声を出しているように聞こえる。そこがええんかな。あ、アレンジがええんや。最近の歌のアレンジは技巧的すぎて歌手の歌を殺してしまうと、かのキダ・タロー先生も言うたはった(と、妻から聞いた)。「どうです、かっこいいアレンジでしょう。歌なんか聞かんとアレンジを楽しんでよ」といわんばかりの編曲やもんな。
 なんとなく昔買うたCDなどを引っ張り出して聞いたりしているわけやけれど、長いこと聞いてないものは何か再発見させられるような新鮮さがあるね。
 原田知世、いいですよ。特に「早春物語」がええなあ。こんなにええ曲やったかなあ。昔の私にはこの曲のよさを感じとるアンテナが立ってなかったのか。それともおっさんになって感じ方が変わったのか。たぶん両方ともやろう。
 ようし、今度は別なCDを引っ張り出して聞いてやろう。また新たな再発見があるかもしれんから。

2月10日(土)

 うちの妻はいつも「上戸彩」と言おうとして「綾戸智絵」と言うてしまうのである。本人は「上戸彩」と言うてるつもりやのに、口が勝手に「綾戸智絵」になってしまうのである。まあ、わからんでもないけど、オロナミンCを持った綾戸智絵さんが「元気はつらつでっせえーーー」と言うたりしてたら、ほんまにあんなに元気になるかもと思うてしまう。少なくとも私はオロC飲むよりも綾戸智絵さんのコンサートで歌を聴いた時の方が何倍も元気が出たぞ。
 もっとも、言い間違えるだけましで、名前を覚えようともしない時もある。「タモリのジャポニカロゴス」を見ていたら、言葉博士として金田一秀穂先生と町田健先生が交代で出てくるんやけれど、金田一先生の解説は理詰めで納得できるが町田先生の解説は感覚的でしかも私や妻の言葉に対する感性とはかなりずれがある。妻は金田一先生の名前はちゃんと覚えている。これは当然ですな。子どもの頃から手元の辞書にはたいていお祖父さんの「金田一京助」という名前が載っていたからね。言葉というたら金田一、そういう刷り込みはされている。対して町田先生、気の毒に「なんとか先生」やとか「金田一さんと違う方の先生」ですまされてしまう。
 とはいえ私もDVD−Rのメーカーで「That’s」というパッケージで売っている会社の名前が出てこない。いつも間違う。HDDレコーダーを修理に来たおっちゃんから妻が薦められたのがそのメーカーのDVD−Rで(その割に書き込みエラーがよう出るんや。もう買うのんやめたわい)、妻はおっちゃんに教えてもろうたメーカーの名前で記憶しているのに対し、私は小売店で見る商品名で覚えてる。妻に「That’s」と言うても通じないから「あの、太陽ナントカ……」と言う。そのたびに「太陽誘電!」と教えられる。
 人や物に関心がないと、名前というのは覚えられんものですなあ。


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