ぼやき日記


11月21日(金) 京フェス私的レポート(その5)

 わずか1泊1日のイベントのしかも中座して最後の企画を見ることもできなかったもののレポートを1週間もだらだらと書き続けようとは、はじめ書き出したときは思ってもいなかった。悪い癖だ。とりあえずレポートは今日で終了。おつきあいいただいた方々にお礼をいわなければならない。

 「宇宙開発とSF」では、現場で宇宙船の開発をしている水城徹さん、宇宙開発を追いかけるジャーナリストの松浦晋也さん、「ロケットガール」などのヤングアダルト作家、野尻抱介さんというメンバー(写真右より野尻さん、松浦さん、水城さん)。
 のっけから松浦さんが「我々にとっては宇宙に出れば、それがSFなんです」というこれまた過激な発言。その宇宙はもちろん内宇宙ではなく、私たちの住む地球を含んだ宇宙空間ということだろう。松浦さんがロシアの宇宙船「ミール」でたて続けに起こった事故についておもしろおかしく紹介。いやいや宇宙飛行士にしたら笑い事ではない火災やらなんやらが「ミール」には起こっているのだ。耐用年数をこえて宇宙船を使っているロシアの国情が原因らしい。話はそこから、実際に宇宙船を飛ばし維持していくことのコストの問題に。建設省が意地になって金をつぎこんでいる干拓事業の予算にも満たない年間予算だそうだ。水城さんは現場でのこぼれ話をいろいろと。SF小説のアイデアとして使えそうなネタを現実にあれこれと考えている人がいるということが面白い。
 事実は小説より奇なりという。しかしこのパネルで語られたことをそのまま小説にしても、面白くはなるまい。それらは事実だから面白いのだ。小説はでっかいホラをいかにもありそうに描くために、これらの事実をうまく組み込む。小説に書かれていること全てが事実に即している必要はない。それを踏まえた上で聞くと、実に興味深いパネルであった。そう、世の中にはSFより面白い現実がいっぱいあるのである。それでもSFを読み続ける理由はときかれたら、現実をより面白く見せてくれるのがSFなんですよ、と答えたい。

 さて、このあとに伊藤典夫さんと大森望さんの「翻訳SFを語る」という対談があったのだが、残念ながら中座しなければならなかった。私の主宰している『たちよみの会』というサークルの例会に顔を出すためである。妻がそこには待っている。中座する失礼を全ての方にわびたかったのだが、そうもいかず、ここでおわび申し上げる次第であります。失礼いたしました。来年こそは最後まで残ってみたいものです。去年は本会の翌日が学校行事のため出勤せねばならず、今年はサークルの例会と重なるし。伊藤さんの話、聞きたかった。
 というわけで、レポートというよりは「京フェス感想文」になってしまったが、とりあえずまとめることができた。明日からは通常の日記に戻ります。

11月22日(土)

 妻がナンパされた。しかも図書館で。
 今日は妻は朝からカイロプラクティックに行って、その足で百貨店のバーゲンに出向き大きな紙袋に靴を入れて、帰りに門真市の図書館に行ったのだった。
 彼女は書架から「すてきな奥さん」という雑誌をとりだし、図書館内のベンチに座って読んでいた。「すてきな奥さん」という雑誌はご存じの方もいらっしゃるだろうが、決しておしゃれな雑誌ではない。それどころか、いかにして生活費をケチり金をためるかといった毎日のセコセコした工夫を満載した雑誌である。妻の読んでいた記事は段ボールのミカン箱に包装紙を貼っていかに高級に見せるかというような廃物活用法のページだったそうだ。
 彼女のそばに一人の男が座った。彼女によると、だいたい20代後半から30代前半くらいのいかにもスポーツが苦手そうなうらなり然とした男だったという。その男はしばらく妻をじっと見ていて、彼女が気になってちらっとそちらを見たときに、小さな声で話しかけてきた。
おともだちになってくれませんか………だめですよね……
 妻は思わず無言で「ダメ」とうなずき、席を立って「すてきな奥さん」を書架に返しにいくふりをしてその男から離れたという。以下は妻の弁。
「おともだちになって、どうするんやろ。おしくらまんじゅうでもするんかいな。マジで文通とかしたら怖いもんがあるけどな。
 公共の図書館やで。化粧してへんし、ジーパンはいて飾りっ気はないし。バーゲンの紙袋を横においてやで、読んでるのが『すてきな奥さん』やで。そんなんに声をかける?
 いかにも、もてませんっていう感じの男やったわあ。私、昔からそういう変なんに声かけられること多かったん。そういうのを引き付けるような女なんやろかって、悩んだもんやよ」。
 なんだか複雑な思いである。ナンパされるほどまだ妻は魅力的なのだと自慢したい気持ちや、そやけどなんちゅうシチュエーションやねんええかげんにせえよという気持ちと、もしその男がカッコよかって妻がおともだちになったりしてたらどうしようという気持ちと、おともだちとして紹介されたらどないしようという気持ちと、「すてきな奥さん」ぐらい図書館で読まんと本屋で買えよという気持ちがいりまじっている。
 しかし、その男、何を考えてそんなとこでナンパしているのだ。全く謎である。
 以上、今日の夕食時に「『ぼやき日記』のネタあげる」といって教えてもらった話。

11月25日(火)

 一昨日の23日、のびのびにしていた「Mac OS8」をインストールした。といっても、「OS7.6.1」のアップグレード用のものなので、思ったよりも順調にことは進んだ。
 ところが、インターネット接続の再設定を行ったら、何度つないでもプロバイダにつながらない。当座は「インターQ」というダイヤルQ方式のプロバイダにつないでしのいだ。設定のどこがおかしいのか分からず、何度も入力をやり直す。へとへとになって夕食をとり、気分一新でふたたび契約しているプロバイダにつないだら、一発でつながった。おかしいなと思ったら、プロバイダの機械か故障して午後から夕刻までサービスを停止していたという。あの悪戦苦闘は何だったんだ。自分の設定が悪いのだと思って何時間もやり直しをくり返したのに。
 まあ、いい。つながったのだから。ところが、今度はホームページの更新をしようとプロバイダにファイルを送信したら、「認証できません」と受け取りを拒否された。プロバイダのホームページで確認したら、故障の影響が出ているのではないかということだが、一晩寝て翌朝同じ操作をしてもやっぱり受信拒否だ。休みの日にはサポートセンターは開いていない。おかげで2日更新がのびてしまった。それどころかやり直しや問い合わせでえらく時間を食う。せっかく毎日更新を続けてたのに。
 今日、やっとサポートセンターに連絡がついた。ところが、認証しない原因がわからないという。コンピュータに搭載されているFTPソフトを使って送信して下さいとのこと。そうすればいいことはわかっていたが、プロバイダのホームページから送信した方が楽なのでそうしていたまでのこと。とはいえ、今回はウロがきて、そのことを失念していた。やれやれ、これでやっと更新再開だ。
 長らく御迷惑をおかけしました。また連日更新ができそうです。しかし、プロバイダ選びは難しいね。契約してみないとわからないことか多い。ともかく、やれやれであります。

11月26日(水)

 昨日、「S−Fマガジン」1月号が送られてくる。499号で、来月の500号と合わせて記念特大号となっている。編集部の苦労は京フェスで聞いていたが、並み大抵のことではなかろう。今月号は海外SF特集、来月号は日本SF特集である。
 オールタイムベストSFも発表されているが、ランキングについては私はさほどの関心もない。どのSFが上位にこようと、自分には自分のオールタイムベストSFがある。それでいいと思っている。それよりももっと気になることがあるのだ。
 ランキング上位の作品には、それぞれ400字程度の解説がついている。実は来月号の日本SFベスト50に入っている作品解説のうちのいくつかを私が担当しているからだ。みんな、どんなふうにまとめているのだろうか。今月号の解説を読むと、うまいなあと感心せざるを得ない。ストーリー紹介と作者や作品の位置付けなどをきれいにまとめつつ、個性が出ている。
 私はというと、あらすじを紹介するのでほとんどを費やし、あとは「SF界に輝く金字塔である」とか、「記念碑的作品である」とか「この作家のSF界における功績は大きい」などといった紋切り型の文ですましてしまっている。どうにも才の無さというものを思い知らされる。
 もうとっくに入稿してしまったものを今さら嘆いても仕方ない。新たに書き直すどころか、レギュラーのヤングアダルト書評の〆切りも近づいている。学校行事の「学習発表会」も間近だ。そんな暇はどこにもない。まあ、最低限力量いっぱいのことはしたのだ。そう自分に言い聞かせるしかないではないか。それにしても、みんな上手に書くなあ。悔しいなあ。

11月27日(木)

 私の家から京阪電鉄の最寄り駅へ行く途中に変な看板がある。
「みんなでつぶせ、悪の種子 ××建材」
 最初は、この建材会社に反対する地元の抗議の看板なのかと思った。だだっ広い土地に石切り場から切り出したようなブロックを積み上げセメントを山盛りにしているので、周辺の環境にも悪そうだし、もしかしたら贈賄かなんかで訴えられているのかもしれない。しかし、よく見てみると看板は会社の敷地内に立っている。ふつう抗議の看板なら道をはさんだ向かい側に立てそうなものだ。とすると、これはどうやらこの建材会社が立てたものらしい。
 いったい何のために立てたのか。文脈からいけば町を悪の手から守る(?)ための啓発なのだろう。しかし、これだけでは「悪の種子」が何を指しているのか釈然としない。このような看板を立てねばならないほど、門真市は悪の巣窟なのだろうか。世界を支配しようとする悪の組織のアジトでもあるというのだろうか。
 門真市といえばまず思い付くのが松下電器。これは暗に松下を批判した看板なのだろうか。そんなわけはなかろう。松下が門真市に悪をばらまいているとはとうてい思えない。
 確かに門真市は大阪の衛星都市の中でも特に治安の悪い市である。例えば横山やすしが言語障害を起こすまで殴られたのは門真市の友人宅から帰る途中のことだった。最近では古川橋駅前で若い二人連れの男性が駅から出てきた女子大生をムリヤリ車に押し込み奈良まで連れていって輪姦したという事件も起こっている。夜は暴走族の走る音でしばしば安眠を妨害されるし、ひっきりなしにパトカーのサイレンが鳴り響いている。
 だからといってこの看板にいかほどの効果があるのだろうか。この建材会社はどのような目的でこんな標語を考えだしたのか。考えれば考えるほどわからない。
 と、常々思っていたら、今日の帰り道、この看板がはずされているのを見かけた。はずしたのはいいがそのまま地べたに置いて杭に立てかけてある。建材会社が倒産でもしたのかと思ったが、会社の看板はちゃんと立っている。
 うーむ、ますますもって疑問である。だからどうだということはないのだが、気になりだしたらついつい考えてしまうのだ。門真の謎はまだまだ多い。

11月28日(金)

 私は「紅白歌合戦」なんかどうでもいいのだが、世間ではそうではないらしい。今朝の「日刊スポーツ」(大阪版)の一面には安室奈美恵が産休前最後の仕事を紅白で締めくくるという記事がでかでかと載っているし、朝日新聞の「ひと」欄には河合美智子がオーロラ輝子として初出場するので紹介されている。安室の応援に亭主が出演するとか河合美智子の応援にマナカナ姉妹が起用されるとか、それがどうしたというようなことで紙面がうまっている。たしか「紅白歌合戦」というのは視聴率が長期低落傾向にあり、国民的行事ではなくなっているとかいうような記事が同じ新聞に載ったりしていたはずだが。こうやってでかでかと一面にくるということは、やはり国民的行事の座からは降りていないということか。
 しかし、NHKも演出が下手である。
 オーロラ輝子というのはドラマ「ふたりっ子」の配役名であり、実はモデルが実在していることをご存知の方もいるだろう。その歌手は叶麗子といい、「通天閣のマドンナ」として、新世界界隈のおっさんたちから熱烈な支持を受けている。TV向きの歌手ではないらしい。新聞などで見る限り、アクが強そうなキャラクターだ。浪速のど根性姉ちゃんとして新世界で活躍するためには、ヘナヘナしたキャラクターではつとまるまい。脚本家の大石静もこのアクの強いキャラクターは大阪の象徴であると感じてオーロラ輝子を創造したであろうことは推測するまでもないことだ。
 叶麗子なくしてオーロラ輝子は存在しなかった、ということはだ、河合美智子をオーロラ輝子として「紅白」に出場させるならば、叶麗子にも敬意を表してしかるべきではないだろうか。叶麗子とオーロラ輝子が「紅白」で共演するというのは話題性としては一部でしか盛り上がらないかもしれないが、演出としては安室の応援を亭主がすることよりもずっと値打ちの高いものになるように思うのだが、どうだろうか。
 もっとも、そういう演出があったとしても、私は「第九」か「ニューイヤーコンサート」のCDでも聴いて決して「紅白」なんか見ないだろうけれど。見ない者がそんな注文をつけるというのもおかしな話だな。

11月29日(土)

 私が浅学非才で知らなかっただけなのかもしれないのだが、日本にはまだ兵役の義務があったらしい。今朝の「朝日新聞」読者投稿欄で62才の会社顧問氏が証券会社の廃業に公的資金を投入することに対し疑義を提示した後、「このような性格のものを血税をもって保護するのはいかがなものか」と書いている。証券会社に預けた資金をどうやって軍隊が保護するのか、その方法がよくわからないのだが、私はてっきり日本には徴兵制による軍隊はないと思っていたので、自らの不明を恥じなければなるまい。戦争に勝った賠償金を投入するということなのか。しかし、日本が多額の賠償金を獲得したのは日清戦争くらいだから、そんな昔の金が残っているわけもないしなあ。私の知らないうちに日本はどこかと戦争して賠償金を手に入れているのかもしれない。ちゃんと新聞は読んでいるつもりなのだが。
 「血税」という言葉が公式に使われたのは1872年の「徴兵告諭」である。これは税金を金納するかわりに軍隊に入って体で納めよという意味合いで使われたものだ。「新明解国語辞典 第五版」にはこう書いてある。
「けつぜい【血税】かつて、兵役義務の称」
 おお、私は自らの不明を恥じずともよいのだ。「かつて」ということは、今はないということなのだから。しかし、この62才会社顧問氏はまだ兵役の義務はあると信じているようだ。国民学校で少国民教育を受けたせいでまだ戦後の改革についていけないのだろうか。
 ふざけるのはこれくらいにしておこう。「新明解」にはちゃんとこう付記してある。
「現在、血の出るような苦心をして納める税金の意に用いるのは、誤用に基づく」
 いい年したしかも会社顧問などという肩書きをもつ人がこういう誤用をしていてはいけない。私は「ら抜き言葉」も「半疑問形」も気になるがこの手の誤用に特に神経質になってしまう。例えば、盛装をした人たちが星のようにたくさん集まっているという意味の「綺羅、星のごとく居並ぶ」という言葉を「綺羅星」という美しい星が輝いている意味で使ってみたりするのもそうだ。こういう誤用を平気でしている作家はけっこう多い。自分が難しい言葉を使う時は辞書を引くべきだと思う。自戒の意味も含めて、ここに書き記しておく。

11月30日(日)

 昨日の日記は不親切だったかもしれないなあ。前提として「血税=兵役の義務」ということを知っていないと、途中まではなんのことやらわからない。書き方に工夫がいったなあと思う。とかく人というのは自分の知っていることは他人も知っていることと思いがちである。しかし「血税」だの「綺羅星」だのはかなり誤用が多いわけで、つまり知らないで使っている人が多いということだ。ということは昨日の日記みたいな書き方をすると全く意味が通じない人が多いということになる。そこらへんを考えなければ多数の人に自分の言いたいことを理解してもらえない。昨日の日記を読み返して、そう感じた。
 逆もまた真なり。自分が好きで詳しく知っているジャンルについては、一般の人は知らないだろうとたかをくくってつい人に教えるような口調になってしまいがちだ。特に教師などという職業についていると、その手の傲慢さ……人に教えてやる……という姿勢になってしまう。とうとうと蘊蓄をたれ、実は相手はその上をいく人物だったりする時の恥ずかしさといったらない。
 別に卑屈になる必要はないし、過度の卑屈はかえって嫌みになったりする。しかし、謙虚さというものはやはり兼ね備えておくべきだろう。
 どうも私はそこらへんのバランスを欠いているようだ。だから三村美衣さんに「喜多のブック・レヴューを読む時はハラハラしてしまう」と言われるのだ。実際、私が書いた書評に対する抗議を彼女が受けたこともあるという。
 そろそろ「S−Fマガジン」の書評の〆切りだ。今回はそこらへんを心して執筆に臨むとしよう。いったん公表してしまうと、「筆がすべった」などという言い訳は見苦しいだけだ。書いたことには自分にできる範囲内で責任をとらねばなるまい。毎日公開用に日記を書くようになって、ますます文章のもつ恐さというものを感じる次第である。
 さて、「S−Fマガジン」編集部は500号記念のため2ケ月連続の修羅場を演じていることだろう。早く原稿を書きあげてしまわねば。


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