ぼやき日記


11月1日(土)


 「なみはや国体」が終わり、来年は横浜の「ゆめ国体」なのだそうだ。国体国体と町中にモッピーのポスターが貼ってあったが、実際にはそれほど盛り上がっていたわけではない。国体が始まるとたいていの自治体では下水道や道路を整備したりと国体予算にかこつけて大工事をするのだが、大阪は長居の競技場と門真の「なみはやドーム」を新築し、地下鉄を門真まで延ばしたくらいで、そんなに大規模な工事をしたわけでもない。なんかモッピーのポスターばかり目についたという感じだ。
 だいたい国体なんて、出場者や関係者は気合いをいれているが、住民にとってはそんなにお祭りというわけでもない。優勝する県も毎回開催地と決まっているのだ。ほんとに強い県が優勝することにしたら、せめて優勝争いで話題も盛り上がろうというものなのに。それでも国体は毎年行われ、たっぷりと予算もつく。関係者に配られるユニフォーム代とか帽子代とか、いったいいくらになるのだろう。なぜそんなものに予算をつぎ込むかというと、国体によって潤う業者などがたくさんいるからで、そのためにも国体は続けられなくてはならないのだ。これを国体の護持という。
 
ところで、「ゆめ国体」のマスコットを見て驚いた。なんと横浜はマスコットに「ホシヅル」を採用しているではないか。「ホシヅル」は、その昔星新一さんが描いたという鶴の一種である。若い人はご存じないかもしれないから、ここに私が模写したものを掲載しておく。実際は「かなべえ」という名前だそうだが、どう見ても「ホシヅル」だ。どう考えてもSFというものは一般社会に浸透しているとしか思えない。
 したがって、ここははっきり「ホシヅル」の肖像権侵害を「かなべえ」に対して訴え、神奈川県民に自分たちが見ているマスコットの起源はSFであるということを意識させねばなるまい。かくして「SF春の時代到来」計画の第一歩が踏みだされるのであった。
(写真は10月31日付朝日新聞より)

11月2日(日)

 今日は日曜日だというのに、「ふれ愛ピック」開会式演技にうちの生徒が全員出場するというので引率の仕事だ。というわけで、会場の長居運動公園で拾った小ネタを少々。

 「ふれ愛ピック」身体障害者の国体である。したがって、マスコット”モッピー”も車椅子に乗った姿で描かれる。写真は河内音頭を踊ったおばちゃんの着ていたはっぴの後ろ姿である。我々は”車椅子モッピー”が胸にプリントされたウィンドブレーカー上下を支給された。これはミズノ製のなかなか上等なもので、買うとけっこうするものだと思う。しかし、出場者というだけで無料配布なのだ。ウィンドブレーカーだから、今後も使用できる−モッピーのマークが恥ずかしくなければ−が、はっぴを支給されたおばちゃんたちは記念として置いておくしかあるまい。普通の祭にこんなデザインのしかも「ふれ愛ピック」とえりに大書されたはっぴを着ていくわけにはいかないもの。他にもうちには”車椅子モッピー”がプリントされたウォッシュタオルもある。これは家に持って帰ったその日に妻の手によりトイレ用のタオルとなってしまった。学校にはモッピーのうちわもある。相当な予算をつぎ込んでいるものだ。ここにも国体護持の成果が現れているといえよう。
 開会式の挨拶には大阪府知事である横山ノック師匠があたった。ふだんは「横山ノック」で通している知事だが、今回は「山田勇」と本名を名乗っている。はて面妖なと首をひねったら、最後に皇太子殿下がご挨拶あそばされた。なるほど、皇室の前では「横山ノック」というおちゃらけた名前では具合が悪かったのだ。宮内庁の要望なのか、本人の自粛なのか知らないが、ここはやはり「横山ノック」でいってほしかった。ま、政治家山田勇が芸人横山ノックよりも強かったということか。
 車椅子のレースというのはなかなか迫力があってよろしい。ちゃんと競技用の車椅子があり、手で車輪を回してトラックを走るのだ。これが速い。これだけはゴールデンタイムに全国で中継してもいいくらいだ。ただの短距離走よりもよほど迫力がある。手の力だけであれほど強烈に車輪が回るものだというのを初めて知った。国体や五輪の正式種目として採用してくれないものか。
 皇太子夫妻臨席ということで、雅子妃の姿を生で見たかったが、貴賓席はあまりに高いところにあり、胡麻粒くらいの大きさでしかなかった。どうやら帽子をかぶったはったらしいけど、なにしろ胡麻粒であるからしてそれも定かではない。明日の新聞で確かめよう。しかし、実際に会場に行っているのに新聞で確かめるというのもなんだかなあ。

11月3日(月)

 冬樹蛉さん主催の第2回「◯◯と××くらい違う」大賞をいただいた(くわしくはここ)。これは、音や字面は似ているが実際は全く違うもの2つを引き合いに出して、「どのくらい違うの?」「小林信彦と大林宣彦くらい違うなあ」「それはえらい違いだ!」といったように使う遊びである。これは頭の柔軟性と知的好奇心、知識の広さなどが問われる遊びだと思う。それだけに遊びとはいえいわば自分の酔狂度が試されているわけで、なかなか面白くも恐ろしい。実際、遊びだからがんばる人間と、仕事だからがんばる人間というタイプの違いはあるのではないか。
 もう8年ほど前に定時制の高校に講師として勤務していたときのことだ。文化祭で毎年教師による劇が恒例となっていて、私もそれに出るはめになった。連日遅くまで練習をした。なにしろ定時制である。生徒のクラブが終わるのが午後10時ごろ、練習はその後にしていたから時には12時くらいまでしていたこともある。
 リーダーの教師が、ある教師に対してこう言った。
「いやあ、毎日遅うまですまんなあ」
「いえいえ、これも仕事ですから」
 これを聞いて、私はある意味でカルチャーショックを受けてしまった。仕事だったら時間外のそんな時間までやるのはアホらしい。芝居という「遊び」だからこそこんな時間まで熱中できると思っていたからだ。しかし、どんなにくだらないようなことでも仕事だと思えば苦にならないという人もいるのだ。
 私が教員という仕事を持ちながらも、物書きの仕事をしているのは、副業として儲かるからではないなあ。それよりも書籍購入費は増えるし、増幅する本のために住環境も悪化するばかり。それでもやめないのは、遊び心でできる仕事だからだろう。まともに考えたらこんなに割のあわない仕事はない。いろいろな人との出会いとか、無形の財産は増えるけど。あ、これって大きいね。ともかく専業でできるほど原稿依頼があるわけでもなし。
 というわけで、ブチブチと文句を言いながらも毎日架空戦記と伝奇アクションを読んでいるのである。酔狂者の道はなかなか大変なんであるが、楽しいものでもある。

11月4日(火)

 金曜日の晩からめまいがするようになった。立ったり座ったり寝転んだりと、体を動かしたら浮遊感を覚えるのだ。それでも「ふれ愛ピック」など休めない行事もあり無理をして仕事をしていた。
 今日は日曜出勤の代休。朝から医者に行く。町医者でもよいのだが、近所の医者はすぐに大病院にまわしたがるので、最初から「府立成人病センター」へ行く。こういう総合病院に行くのは好きではない。なにしろ待たされるのだ。今日もそうだ。診察まで45分待ち、薬をもらうまで50分待つ。おかげで往復の電車内での時間もあわせて3冊も本を読むことができた。
 待つというのはしんどいものだ。これだけで病状が悪化するような気がする。しかし、患者は私だけではないのだから、待つしかない。連れでもいれば気が紛れるが、妻は仕事に行っているので私は一人。本を読むくらいしかすることがない。
 こういうときに「ゲームボーイ」をしている人というのは見かけないなあ。もっともハイペースでクリアしていって、さあこれからというときに「喜多さん、6号室へどうぞ」と声をかけられるのも困るだろうが。
 さて、診察の結果だ。私が病状を説明すると、医者はふんふんとうなずきこう言った。
「最近、無理をしてらっしゃるでしょ」、あたり。
「寝不足なんじゃありませんか」、図星。
「ウィークエンド・ヘッドエイクと言ってね、緊張から解放されると頭痛する人がいるんです。休みの前なんか、めまいはひどくなりませんか」、どうしてわかるんだ。
「ほっておいたら、自然に直りますよ。念のために薬を出してめまいを抑えましょう」、そうですか。
 というわけで、自律神経失調症でしばらく休職したら、たくさんが本が読めるだろうという私の目論見は見事に崩れ去ったのであった。ほんまにほっといても直るんやろうな。

11月5日(水)

 野尻抱介さんのホームページにある掲示板で、野尻さんが私の「読書感想文」を読んで、こういった本を読んでいて面白いのか、という疑義を出された。それに対し、私ははっきりと「架空戦記を嫌いになった」と発言した。それでも読むのはプロの書評家としての責任であると力みかえって。それに対し、野尻さんはプロであるならそれに見合った対価が必要ではないか、という内容の返事を下さった(くわしくはここ)。
 痛いところをつかれた。偉そうなことをいいながらも「S−Fマガジン」以外で原稿を書くことのない身、隔月連載の書評ページにしがみついている自分の現状をズバリ言い当てられたような気がした。
 正直言って、毎月出版される架空戦記と伝奇アクションで私の読書量は飽和状態に陥り、他に読みたくて買った本に手もつけられない状態である。重荷にもなっている。でも、書評家の責務と思いながら面白さを感じない本を読んでいる。不自然である。
「そんなに嫌やったら、やめたら」
 そう妻に言われたこともある。その時私はこう言った。
「これは先行投資のつもりや」
 強がりでもなんでもない。それだけ読書のストックがあれば、いずれ役にたつ、そんな日も来るだろう。その時はそう思っていた。けれども、これも強がりなのかもしれない。
 ただ一つだけ確信していることがある。ここまでつきあったら、おいそれとは引けない意地がある。ここまで自分の時間を架空戦記に費やしたのだ。ここで引いたらこれまでの読書はなんだったのか、読んだ意味がないではないか。こうなったら意地でもこのジャンルが衰退するまでつきあってやる。衰退するという予感はしている。小説として形になっていないものがこれほど多いジャンルが他にあるだろうか。次々とデビューする作家の作品がいずれもベストセラーになることはまずありえない。淘汰されることは必至である。伝奇バイオレンスがそうだったように、架空戦記もいずれは特定の作家のみが生き残るに違いない。そこまではおつきあいするつもりである。たとえ「S−Fマガジン」の書評から降ろされたとしても、だ。
 では、「嫌いになった」架空戦記に対し、私は今どのように考えどのように読んでいるのか。伝奇アクションについてはどうなのか。そこらへんをもう少し突っ込んで考えなくてはならない時期が来たようだ。

 というわけで、この話、明日に続きます。

11月6日(木)

 「SFアドベンチャー」の書評をしていたのは1年と少し。担当のS氏より一方的に降板の連絡を受けて以降、しばらく商業誌に書く機会はめぐってこなかった。その間何をしていたかというと、F社が発刊したティーンズ文庫でのデビューを目指し少女小説を書いたり、小浜徹也・三村美衣夫妻の出していた同人誌「てんぷら・さんらいず」で新書ノベルズの書評をしたり、「トーキングヘッズ」誌でアイドルコラムを書いたりしていたわけだ。「S−Fマガジン」の八十年代特集号で伝奇バイオレンスについての回顧を書くよう依頼がきて、商業誌にカムバックしたのが1992年の夏。これは「てんぷら・さんらいず」でやってた連載が基盤にあったようだ。
 「S−Fマガジン」でヤングアダルトSFの書評のページを設けると連絡がきたのが翌年の秋、依頼内容は「伝奇バイオレンスと戦記シミュレーションの書評をしてほしい」というものだった。「紺碧の艦隊」をはじめとして戦記シミュレーションもめぼしいところはポツポツと読んでいたので、いけると踏んで依頼を受けることにした。困ったことは、伝奇バイオレンスというジャンルが衰退してしまい、取り上げる対象の幅が狭かったことだった。そこで私は奇策を弄することにした。当時、井上祐美子をはじめとした中国を舞台にとった伝奇的要素の強いアクション小説がはやっていたので、「伝奇アクション」なる造語をでっち上げてそれらも書評の対象にしたのだ。最近でこそ「伝奇アクション」はジャンルの一つとして割と一般的に使われるが、当時この言葉を使っていたのは私だけであった。もっとも、そういった小説がはやっているという状況のもとでは他にも同じ言葉を考えた人がいてもおかしくないので、「伝奇アクション」の名付け親を私が主張したところで別に偉くもなんともないが。
 実は、この枠の拡大のおかげで書評できる本が増えたぐらい、当時の「戦記シミュレーション」は出版点数が少なかったし、SFから派生したジャンルというイメージは強かった。檜山良昭、荒巻義雄、山田正紀、谷甲州らがジャンルの中核としていて、他には新人として横山信義、佐藤大輔、伊吹秀明がいた程度。志茂田景樹、谷恒生も書いていたが、SFファンには不要と思い、読まなかった。「S−Fマガジン」の書評ページとしてはやりやすかったといえる。
 あれから4年が過ぎた。私は途中で「戦記シミュレーション」という呼び方をやめた。シミュレーション的要素よりも歴史を改変したことによって何を言いたいのかということを評価の中心に置くことに決めたからだ。出版社サイドも「架空戦記」「架空戦史」という呼び方をはじめていたこともある。SFファンに紹介するからには、ただこんなに歴史が変わりましたよ、というだけの小説ではおそらく食い足りないだろうとも思ったし。
 大きな変化があった。架空戦記のファンという層が形成されニフティなどで部屋を作り、そういったファン向けの作品がどっと出るようになってきたのだ。ここにおいて、あとがきで「これはSFのように荒唐無稽な話ではなく……」ということを書く作家も出てきた。「架空戦記」はSFの手から離れ、全く別のジャンルに変貌してきたのである。
 「S−Fマガジン」でそのようなものを取り上げる必要は果たしてあるのかと悩む間もない。とにかく出版量が増え、追いかけるだけで精一杯という状態になってしまった。「伝奇アクション」の枠を広げたおかげで、こちらも大量に読まなくてはならなくなってきた。
 書評のための読書しかできない日々が延々と続くのであった。

 長くなってきたので、この続きはまた明日にします。いらん前置きが多すぎた。

11月7日(金)

 私の信条は、「読書は主観、批評は直感」である。人それぞれに読書歴があり、何をもって面白いと思うかは十人十色、千差万別。面白いか面白くないかというのは感覚的なものではないか。批評というのはそれに理屈をつけていったものだ。というと語弊があるな。自分の直感を言葉に直す作業といったほうがいいかもしれない。
 書評は本のセールスマンではない。しかし、信頼できる書評家の文章は、自分が本を買う時の参考にはなるだろう。誉めていようとけなしていようと。私は自分の直感を信じて面白い本を「S−Fマガジン」で紹介するのみである。困ったことに、架空戦記は私にはあまり魅力のあるジャンルでなくなってしまった。小説として面白いと思わないのである。
 なぜ歴史を改変するのか、それは史実と比較して歴史の可能性を探り、ひいては現実というものに対して何らかの批判を投げかけるものであってほしい。それが私の架空戦記に対するスタンスである。しかるに現状はどうか。「もし、この戦闘にこの戦車があったら」「もしこの国に機動艦隊があったら」といった設定だけでおしまい。後は歴史をいじくりまわして面白がってるだけ。どうせウソの歴史なのだ。人間の想像力には限度がある。史実の面白さに対抗しえるわけがない。史実をどのように解釈し、どのように批判しているかという過程を踏まえた上で、歴史を創造してほしいものだ。こんなふうに歴史は変わりました、または結局変わりませんでした、面白いでしょう、そんな小説が多すぎる。
 読みやすい小説というものは、ある一定の視点から一貫して描かれている。ところが架空戦記というのは、味方の視点で描写していたかと思うと、次の節では味方の知りえない敵の様子が延々と描かれる。主人公が特定できない小説というのも読みづらいものである。複数の登場人物の視点から描かれる小説はもちろん多い。大河小説というのはだいたいそうですね。ただ、大河小説というのはそれら複数の人物がからみあいついには一つの流れに収斂し、大団円を迎えるから面白いのだ。架空戦記ではそうならないものが多い。延々とある人物の視点で描いてたかと思うとその人物はいきなり戦死、物語はまた別の人物を中心に進むというような例は少なくない。
 歴史というのは線ではなく面である。だから、そのような展開をして当然といえるかもしれない。それならば、歴史小説はどれもそうなっているはずだが、そうではない。たいていは主人公がいて、その人物と周辺の人物が織り成す人間模様が描かれているではないか。
 どうせなら、史実に忠実な歴史小説と対抗できるだけの「架空歴史小説」を書いてほしい。ところが、書き手に実力がないせいで、小説としての面白さは二の次でまずは改変した歴史の様子のみを面白がっているものがほとんどである。どうせなら、これは本当の歴史じゃないのかと錯覚させるくらいのものを書いてほしい。「これはウソの歴史だよ」とわかっているからなんとか読める、では困るのだ。
 私は小説として面白いものをまず求めてしまう。それが私の読み癖だから仕方ない。困ったことに、その前提条件を満たしていない架空戦記が多すぎる。一昨日のこのページで「架空戦記は衰退する」と断言したのは、このジャンルが生き残るためには結局は「小説として面白い」という前提条件をクリアしなければ飽きられてしまうからであり、現状ではその条件をクリアしている作家がいなさ過ぎるという材料に基いてのことである。
 架空戦記の作家は、あまり小説を読んでいないのではないか、という疑問が浮かぶのもそのせいだ。小説の書き方は、読んだり書いたりしていくうちに身につくものだと思う。それができていないような気がするのだ。
 現在の架空戦記の状況はそんなところだろう。では伝奇アクションはどうか。

 また長くなってきた。とりとめがなくなるので、また明日に続きます。おつきあいのほどをよろしく。

11月8日(土)

 以前「伝奇小説」を国語辞典で引いたことがあるが、それによるとファンタジーも「伝奇小説」の枠組みに入ってしまうことになって、困ってしまった。伝奇小説の定義というものは、これまであまりはっきりとされてこなかったのではないか。
 ここでは特に「伝奇小説」の定義はしないでおきたい。そんな定義をすると、書評をするときの手枷足枷となってしまうからである。ただ、できれば神話や伝説のたぐいを下敷きにし、史実との整合性をもたせてほしいとは思う。「なんでもあり」というのは一見面白そうであるが、実はかえって作者の想像力の範囲にとどまってしまいがちなのだ。かえって縛りがかかっているほうが、その縛りの中で最大限の想像力を発揮できるのではないだろうか。
 いい例が、ヤングアダルト小説に多い異世界ファンタジーである。そちらの書評は三村美衣に任せているのでそれほど読んでいるわけではないが、C・S・ルイス、トールキン、ムアコックなどの縮小再生産、いや、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどの縮小再生産になっているようなものが多いように思う。
 実は、伝奇アクションにもその傾向がある。中華風や和風の異世界ファンタジーがここ1・2年の間に増えてきているのだ。本格的に中国や日本の神話、伝説を調べ、自家薬篭中の物にするのはなかなか大変、それならば、神話や伝説の設定だけ借りて、オリジナルな(に、見える)世界を想像したほうが面白いものができると踏んでのことだろうか。しかし、そこに落し穴がある。そういった作品ほど、ご都合主義に陥りやすいのだ。
 人一人の想像力には限界がある。その点、神話・伝説・歴史は人間の営みの積み重ねから生まれてきたものだから、その懐の深さはいうまでもない。資料をきっちりと調べベースとなる神話や伝説に整合性をもたせるだけで、たちまち小説に奥行きが生まれるから不思議である。私が加門七海や霜島ケイ、井上祐美子や加納あざみを高く評価したいのは、そういったところで決して手を抜いていないからである。
 中華風・和風異世界ファンタジーが決して手抜きというのではない。ただ、そうするのならば実際の神話や伝説に劣らない世界を構築してほしいのである。そうでないと、借り物臭い箱庭世界でステロタイプの登場人物が魔法ごっこをしているようなものになりかねないのである。
 むろん、書評をするためには作家に負けないほどの神話や伝説についての基礎知識をもっていなければならない。そのための読書もしたいのだ。ところが、伝奇的異世界ファンタジーまで「伝奇アクション」という言葉で枠にいれてしまうという失策を犯したため、これまた大量の新刊をこなすのが精一杯ということになってしまった。自業自得とはいえ、苦しいものである。
 そんなにまでして読む必要があるのかどうか、そこのところも考えなくてはならないだろう。

 考えだしたら止まらない。またまた長くなってしまいました。この続きはまた明日。いつになったら考えがまとまるのやら。

11月9日(日)

 「書評家」としてあるジャンルの小説について批評を加えるには、最低限何が必要か。
 まず、そのジャンルのあらゆる作品について通曉していることだろう。そして、一つの価値基準をもってそれらの作品を読むことができること。そのジャンルに対して愛着をもっていなくてはなるまい。でなければ、書評なんてやってられないのである。
 書店でその本を手にとれば、十中八九は面白いかどうか見当がつく。つまらなそうな本を手にとるとき、私はため息とともにレジに持っていく。買わなければ買わないですむのである。読んでも読まなくても、「S−Fマガジン」の書評欄で取り上げることはまずないのもわかっている。おかしなもので、そんな作品でも、読んでおかないと落ち着かないのだ。その作品は実は傑作かもしれないじゃないか。確認の意味でも、目を通しておかないと気がすまないのだ。因果なことを引き受けてしまったと後悔する反面、原稿の〆切が必ずやってくるというのはありがたいことだとも思っている。
 11月6日の日記に書いたように、私は「SFアドベンチャー」誌から降ろされた後、5年間というもの商業誌とは縁がなかった。京フェスで毎年大野真紀さんに聞かれるんですよ。「今、お仕事はどうですか?」とね。もちろんこれは原稿書きのお仕事なんであって、「学校の講師をしてます」なんて返事が正しい答えになっていなかったことは重々承知。「開店休業中の書評家」と称して強がっていたが、いったんセミプロとしてデビューした者が5年間商業誌から遠ざかるということはどういうことか、想像してほしい。
 だから、私は今の仕事は大事にしていきたい。幸い、インターネットをはじめてから、私の書評が「S−Fマガジン」読者の何らかの参考になっているという声も届くようになった。
 架空戦記にしてもヤングアダルト伝奇アクションにしても、いわゆる文芸評論家がまともに取り上げるジャンルではない。私がまともな文芸評論家であるかどうかは知らないが、小説として評価し、あらゆる作品を読み、マニアックな視点を退け、面白いものを面白いと紹介するプロの書き手は、もしかしたら今のところ私だけかもしれない。誰かがその役割を担わなければならないのだったら、たまたま私のところに依頼がきたというのがきっかけだったにせよ、私しかいないのなら、私がやるしかないのである。これも縁と割り切って、ぼやきながらも読んでいくしかないのである。
 新造人間キャシャーンじゃないけれど、俺がやらねば誰がやる。誰でもいいからやってちょうだい。なに、誰もいない! しかたないねえ。ええい、こうなりゃ俺も男だ。みんなまとめてめんどうみよう。言いたかないけどめんどうみよう。とほほほ。

 と、いうわけで、なんとなくまとめてしまいました。この項はこれでおしまい。長らくのおつきあい、ありがとうございました。明日からまた元のアホな日記に戻ります。

11月10日(月)

 「新明解国語辞典」(三省堂書店)の第五版が出たので早速買う。これでわが家には第二版から第三版、第四版そして第五版と「新明解」だけで4冊そろったことになる。何をばかなことをしているのか自分でも理解に苦しむが、第二版は妻が学生時代から愛用し、第三版は私が就職してから愛用し、第四版は「新解さんの謎」(赤瀬川原平)を読んで即買い求め何かというと引っぱり出してきては語釈を楽しみ、とそれぞれ役にたっているのだ。ここまで愛着のある辞書であるからして、第五版が出たのに買わないという不義理をするわけにはいくまい。
 なんといっても序文が傑作である。少し引用してみる。筆者は柴田武さんである。
「近年、本辞典の個性豊かな内容が一部の識者に注目され、新聞・雑誌などマスコミで取り上げられるようになった。学習辞書の枠をはずして、教養書として「辞書を読む」新しい層をつかみ、その層も厚くしつつある」。こんなこと言われても、「新解さんの謎」を読んでない人にはわからんように思うが。
「本辞典が個性的であるといわれる、その個性は、主幹 山田忠雄の資質から生まれたものである。その主幹をわれわれは昨年(一九九六年)二月に失ってしまった。船頭がいなくなった舟の中にとり残されたわれわれは、どうすべきか茫然とした」。茫然とするであろうなあ。特に第三版と第四版の語釈の隔たりというのはものすごいものがあるものなあ。これみな山田忠雄さんのリードあってのことらしいし。しかし、辞書を引くものにとっては誰が茫然としようと関係ないように思うが。あっ、そうか。ただ辞書を引くだけの人は「序文」なんか読まないか。
 序文からして他の辞書とはかなり違う。さすがは「新明解」だ。語釈の方は、一部大胆すぎた語釈がいささかマイルドになっているくらいで大きな変化はないが、これもまた楽しんで読んでいきたい。井上ひさしさんのような読み方はできないだろうが。
 実は、いっしょに「明解國語辭典」≪復刻版≫まで買ってしまったのだ。こちらは終戦直前に出版されたもので、今や死語となった単語や熟語が多数収められていて、これまた楽しい。
 しかし、「明解」「新明解」あわせて5冊、他には「三省堂国語辞典」という小型の辞書があるのみで、「広辞苑」も「大辞林」もないというのはよくよく考えてみたら変な家かもなあ。でも、「広辞苑」の語釈は面白くないもんなあ。いや、そういう辞書の選び方というのは間違ってないと思うのだよ。項目数が多い方が便利といえばそれまでだけれど。


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