ぼやき日記


1月11日(日)

 昨日は梅田まで行き、「旭屋書店」と「TOWER RECORDS」をまわる。地下街や百貨店などでバーゲンをしている上に、十日戎で商売繁昌の笹を持った人たちもけっこう歩いており、久々に人ごみの中にとびこみ、疲れた。
 ところで、「旭屋書店」の文庫売り場で本を探していたら、隣に立った推定20代の男性が、何やら口の中でモゴモゴと独り言をつぶやいている。本の背表紙を見ながら、ああでもないこうでもないと言っているらしいのだが、あまりに小さな声なのでよく聞こえない。しかし、失礼ながら気持ち悪い。最近、この手の「つぶやきにいちゃん」をよく見かける。年末に妻と寄った古本屋でも、マンガの棚のところでぶつぶつ言っているにいちゃんを見かけた。
 実際、本を探していてつい独り言を言ってしまうことはある。たとえば、ヤングアダルトの新刊を手にとって、「ええと、これは確かまだ買っていなかったぞ」といったふうに。もしかしたら、私がつぶやいている横で高校生の女の子が「なに、この人。ヒゲ生やしたおっさんがコバルト文庫持ってなんかぶつぶつ言うてるわ。ああ、きっしょ〜」とか思っているかもしれんな(「きっしょ〜」というのは「気持ち悪い」という意味の大阪若者語です)。「他山の石」というが、私も気をつけなければなるまい。架空戦記とティーンズ文庫を大量に手にしたヒゲの30男というのは確かに不気味だろう。「わあ、オタク」とか書店アルバイトの女の子に思われてたりして。でも、いちいち「私は書評家です。これは書評のために買うてるんです」とことわりながら買うわけにもいかんしなあ。
 ところで、ここをお読みのみなさん、書店でぶつぶつ言いながら本を探していませんか?
 気をつけた方がいいですよ。隣に立ってる人に「ああ、きっしょ〜」とか思われてるかもしれないんですから。

1月12日(月)

 朝から雨。こういう日はスクーターには乗らず、バスと電車を乗り継いで出勤する。だいたい1時間くらいが通勤時間である。これは絶好の読書タイム。というわけで、読みかけの本を鞄から取り出す。今日は菊地秀行の超伝奇バイオレンス。「東京スポーツ」に連載されたものをまとめただけあって、とりわけセックスシーンが多い。なにしろ主人公はAV撮影隊のボディーガードなのだ。
 朝からこれはこたえる。まだ体は完全に起きてないのに、もう秘所はびしょびしょにぬれているだの奥まで入れてだのこすってだのいくいくいっちゃうだのというものを読んでも興奮するどころかげんなりしてしまう。ああしんど。
 ところで、朝からスポーツ新聞のアダルト欄を熱心に読んでる人っているのかね。菊地さんの小説はもともとセックスシーンを書くのが目的のものではないので、セックスシーンもそれほど過激ではないのだ。しかし、アダルト欄に載っているのはセックスのことしか頭にないような男女がひたすらやりまくっていいわいいわああそこそこだめもう死んじゃうなんて吠えているような小説や記事なわけだ。そんなもの朝から読んでて疲れたり阿呆らしくなったりしないのかね。
 夕刊紙だとまだわかる。仕事が終わってやれやれごくろうさん、エッチな記事で気分転換。それはそれでいいだろう。しかし、朝、これから出勤しようというのにそんな記事を読んで大丈夫なのかね。別に心配するわけじゃないけどさ。そこらへんの心理というのは、私には正直なところ、よくわからんのだ。どなたか教えて下さらんかね。いやホンマ。

1月13日(火)

 旅行代理店の人と来年度の修学旅行について打ち合わせをする。といっても、私は直接の担当ではなく、昨年の夏に係の先生といっしょに下見にいった関係で同席しただけではあるが。
 正直、生徒と引率者合わせてやっと20人になろうかというくらいの小所帯であるので、利益はほとんどあがらないだろう。旅行会社の人も「これは商売ではない」と言い切った。限られた予算内でいかにして最大限の観光ができるかというプランを練る。それが腕の見せどころだという。「仕事」であって「仕事」ではない、そのようなものだとも。むろん、将来に向けてパイプを作るなど、営業上に意味がないわけではないだろう。しかし、それ以上にプロとして制約のある中でどれだけのことができるかという腕試しをする場を求めているように感じた。
 最近の修学旅行は、大所帯のところはスキー旅行としてパッケージングされていて、腕のふるいようがないそうだ。そういう仕事はあくまでビジネスライクにやっているという。しかし、うちのような少人数の旅行の場合はそのようなパッケージにはあてはまらない。そのうえ生徒は多種多様な障害を持っている。定番の観光地をまわったからといって、生徒たちが必ずしも楽しめるとは限らないのだ。だから、下見に行った我々も生徒たちにどれだけ有意義な時間を持ってもらえるかを真剣に吟味したし、その結果を率直に担当者に伝えてもいる。手作りの修学旅行を演出するというやりがいが、どうやら今回の仕事にはあるようだ。
 私のやってる書評だって、利益があがるどころか大赤字だ。この旅行会社の人とはケースは違うが、商売だなんて考えてたら阿呆らしくてやってられない。それだけに、彼の言わんとするところが何となくわかるような気がする。仕事にもいろいろあるが、あくまでビジネスライクに徹する仕事と、自分の価値観を満足させる仕事を使い分けていくというのも大事なことなのかもしれないと感じた次第である。

1月14日(水)

 明日は成人の日。全国各地で成人式がある。判で捺したように振袖を着て、和装用のマフラーを首に巻いた女の子たちが町を闊歩するわけだ。どうも、成人式というものは出なければならないもので成人式に出るからには振袖を着なければならないという「常識」があるようだ。卒業式に大学生や短大生の女の子が袴をはきたがるのも、同様である。
 私の成人式の時はどうだったかというと、出てないので知らない。あんなものに出なかったからといって成人しないわけではなし、面倒臭いのでほっておいたら、母に京都市主催の成人式には出ないのかといわれた。面倒臭いと言うと怒ったので、とりあえず市役所に電話をかけたら、定員いっぱいになったといわれ、それで晴れて出席せずともすんだ。だいたい他の者が出るからというだけで出るのは嫌いなのだ。妻も同じような理由で成人式には出なかったと聞いて、なんとなく嬉しくなった記憶がある。
 女の子の振袖は華やかで、私も妻も大好きだ。というよりは、妻の方が和服を着た女の子には敏感で町でちょっとすれちがっただけで、振り返って「むふむふむふ」と喜ぶくらい好きなのだ。でも、この日ばかりはそうとは限らない。まるで学校の制服みたいに今年の流行の晴れ着ばかりが町を占拠するというのは、気味が悪い。ああいった画一的な風景の中に自分が取り込まれていても平気なのかねえ。私は制服が嫌いなので、そう思うだけなのだろうか。

1月15日(木)

 関東地方は大雪だそうだが、こちら大阪は一日雨模様。一日家でゆっくりと過ごす。私はあまりTVを見ないのだが、妻がVTRを見て興奮しているので少しだけいっしょに見る。以前録画したTV番組で、アジア各国の武道を紹介するイヴェントの中継である。韓国のテコンドーが凄い。模範演技で組手を見せているのだが、途中で片方が金的を蹴りあげる反則をしたら、もう片方も本気になりみぞおちに食らわせる。すると今度は顔面に回し蹴りだ。組手というよりは半分本気である。あれは本気でやったら死人も出るのじゃないだろうかと思わせる迫力だ。妻によると、以前韓国の飛行機でハイジャック事件が起きた時に、乗客が素手で犯人をノックアウトしたということがあったそうだ。おそらくテコンドーでやったのだろうな。
 中国の少林寺拳法では頭で鉄板を割るという荒技もあったそうだ。それはそうとう位の高い人でないとできないということ。「気」を一ヵ所に集中したら、そこはものすごく硬くなるのだという。少林寺拳法などは、修業の一つとして精神と肉体を鍛え上げているうちに形ができあがっていったそうだから、「気」という概念が大きな要素を占めるのだろう。言い換えればけた外れの集中力を必要とするということになる。アジアの武道にはそのような肉体と精神の両面を鍛え上げるものが多い。
 ヨーロッパ系のスポーツというとどうしても肉体面での合理性を追究する形になるものが多く、アジア系の武道とは異なる発達をしているのではないかという話になった。これは多分、ヨーロッパ文化がキリスト教会の影響下において発達してきたからではないか、というのが私の意見。「懺悔」という形で自分の過ちなどを神に告白するという、いわば絶対神への依存とでもいうものが、精神という概念を形成するのにあたってアジアとは違う発達過程を描いたのではないかという気がした。まあ、これは単なる思いつきの範疇を出ないものだから、厳密に検証していけば、また違う結論が出るのかもしれない。
 宗教と文化の歴史にはおおいに興味があり、そちらの方面の解説書や研究書も買ってはいるのだが、小説ばかり読んでいてそちらの方には手がまわらない。いずれ、まとめて読んで自分なりに考えてみたいテーマではある。

1月16日(金)

 その時、私は夢を見ていた。アイドルタレントとの結婚を許してもらうために相手の実家に言ったら、なんとロバのひく幌馬車だった。馬車の中で話をするのだが、よく揺れる。「えらく揺れますねえ」などとのんきなことを言ったところで妻に起こされた。
 ほんとに揺れていた。
 蛍光灯の傘が今にも落ちてきそうなほど、激しく動いている。最初の揺れが治まりかけていたところだった。また、どーんという感じの揺れがきた。ゆっさゆっさと部屋全体が動いている。私は妻におおいかぶさった。今度こそ蛍光灯が落ちてきそうだったからだ。
 そこでやっと地震が起こったということに気がついた。
 揺れが治まった時、しばらくは動けなかった。
「こら、東京は壊滅状態と違うか」
 東海大地震の余波がきたと思い込んでいたのだ。それくらい、近畿には大地震はこないという勘違いをしてたわけだ。
「東京に電話せな」
 裸足で部屋を出て、妻に叱られた。
「ガラスが割れてたらどうするつもりやったん」
 こういう時はTVだ。TVのある部屋は本が積んである。その本が全て倒れていた。本棚づたいに部屋を移動し、TVのスイッチを入れる。
 神戸が壊れていた。
 私たちの町は幸運にも大きな被害を免れたのだとわかった。だから、私には自分のこととしてえらそうに震災のことを語る資格はないと思っている。
 ただ、あの時、あの揺れ、神戸の知り合いの安否が気になって仕方なかった数日間、阪神電車の車窓から見た景色、毎日職場にペットボトルを持ってきて水をくんで帰っていた同僚がいたこと、その他諸々のことを忘れてはならないと思う。
 だから、私はあれから毎年その日に避難訓練を企画している。自分自身が忘れないために。
 1995年1月17日。新婚3ヶ月目に入って間もない朝。あの地震で、自分たちが結婚していてよかったと思わずにはいられなかった、あの日。あれから3年。神戸の復興未だし。

1月17日(土)

 いい年をして、プリクラなんぞをする。「似テランジェロ」というプリクラである。これは、ただ写真を撮るだけではなく、撮った写真をもとに似顔絵を作り、シールにするというもの。髪型、眉毛、目、鼻、口などのパターンがインプットされていて、写真にあわせてパターンを組み合わせ、似顔絵を作るようである。私は鼻の下にヒゲをたくわえているのだが、それはパターン認識の範囲外にあるらしく、似顔絵の中に入らない。また、眼鏡は外すように指示がでて、絵ができあがってからいくつかのパターンから選んでかけさせるようになっている。似顔絵ができたら、体はやはりいくつかフレームがあってそこから選ぶようになっている。表情も選べる。私は体は招き猫、表情は笑い顔というのにした。招き猫にすると猫のヒゲが顔に生えるので、鼻の下の分はそれでカバーだ。でも、ヒゲもできれば入れてくれないとなあ。私の場合、けっこう大きなポイントになっているのに。それは技術的には無理ではないように思うのだが。
 それはそれとして、なかなかかわいくできていて、それなりに似た雰囲気になっている。スキャナーがないので画像をご紹介ができないのが残念だ。もっとも私の顔はあまりこれといった特徴がないので、ある程度パーツが揃えばあの手のソフトなら似顔絵も作りやすかろう。極端に特徴のある顔、例えば落語家の桂枝雀師匠とか、相撲の若松親方(元大関朝潮)とか、作曲家のキダ・タローさんなんかだとどんな似顔絵になるのだろうか。自分で作るだけではなくて、人の作ったのも見てみたいプリクラである。人の作ったプリクラなんてたいていは面白くもなんともないのだが(だのに人に見せたがる、その心理は面白い)、こういう趣向のものなら楽しめそうだ。
 それにしても、メーカーもあの手この手と考えるものだ。ヒット商品であっても、それだけ競争の激しい時代なのだなあ。

 明日1月18日(日)は私のしているサークル、「たちよみの会」の新年会がある。よって、次回更新は月曜の深夜の予定です。

1月19日(月)

 土曜日の午後、駅売店をちらりと見たら、夕刊紙の見出しに「宇宙戦艦ヤマト逮捕」という文字がでかでかとかかれているのが目についた。どうやら西崎義展さんが何かしでかしたらしい。翌日の新聞に載るだろうと思い、特に買わなかった。
 翌朝、宅配の「日刊スポーツ」には、小さく「覚醒剤不法所持で逮捕」とある。「朝日新聞」では全く触れられてもいなかった。
 西崎氏はとうに過去の人になってしまっていたのだ。
 私は「宇宙戦艦ヤマト」に熱中しなかったので(いまだにまともに見ていない)なんだけれど、妻はかなり熱中した口であった。その彼女も「過去の人やもんね」とあっさりしたものだった。去年だったか一昨年だったか、「新作を作る」という意欲を見せていると新聞で読んだ記憶があったが、それから全く「ヤマト」に関する報道がなかったので、おそらくうまくいかなかったのだろう。それが原因で覚醒剤ということになったのかどうかは、新聞の報道も事実を簡単に書いているだけなのでよくわからない。
 ただ、「ヤマト」がなければTVアニメが現在のような姿になってたかどうかというぐらいの、いわばマス・コミュニケーションの歴史に残る事件であったことは確かである。そして、その仕掛人として、西崎氏が寵児となった時代があったのだ。あの頃の氏は栄光に包まれていた。それだけに、今回の報道については、寂しさを禁じ得ない。一時の人気にしがみついてしまい、新しいものを生み出し得なかったということが、この事件につながっているのだろう。
 氏は「ヤマト」にこだわり続けたからこそ成功をおさめ、「ヤマト」にこだわり過ぎたために失敗もしてしまったように思う。物を作るということの難しさを感じる。もっとも、私には「ヤマト」のような看板などないしがない物書きであるから、そんな心配をする必要はないか。


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