ぼやき日記


1月1日(木)

 みなさま、改めて、あけましておめでとうございます。年末年始に気がついた小ネタを少々。

 昨夜は久しぶりに「紅白歌合戦」を少し見る。美川憲一と小林幸子の衣装は早変わりあり宙吊りありというもの。しかし、全く歌を無視しており、歌詞のクライマックスでもなんでもないところで観客のどよめきが起きたりする。なんか変だ。対して安田祥子・由紀さおり姉妹はモーツァルトの「トルコ行進曲」をスキャットで。これには唸らされた。プロの芸というのはこういうものをいうんですね。あとはどうでもいいから「陋巷にあり」を読む。

 夕方、新聞が届く。何かと思ったら元日の別刷りだけ先に配達してきたのだ。こんなことは初めてである。大晦日に配達する手間と元日に大量の新聞を運ぶしんどさを天秤にかけたのだろう。そんなに慌てて読むものでもないのだが、正月が半日ほど早くきたようで変な感じだな。よそではどうなのだろう。

 TVで1月1日のことをしきりに「元旦」と連呼するのはいつも耳障りだ。「元旦」というのは1月1日の日の出の瞬間を指す言葉で、1月1日そのもののことではないのを知らないで使っているらしい。「旦」という字は、地平線(水平線)から日が昇る様子を表しているという。1月1日そのものを指すのは「元日」である。カレンダーにはみなそう書いてある。「国民の祝日」の一つでもある。さすがに新聞にはちゃんと「元日」と書いてある。そんなことで感心しなければならないというのは情けない話だ。

 今日は私の実家に、明日は妻の実家に行く。したがって家で食べるのは雑煮だけ。お節料理はそれぞれの実家で食べる。手を抜いているみたいだが、正月に家にいることが少ないのでかえってその方がいい。ただし、料理の作り方などはいっさい伝承されないのだ。伝統というものが失われていく過程をそのまま体現しているとは言えまいか。

1月2日(金)

 今日も年始の雑感を書く。

 実家に帰るために、モノレールに乗る。小学生らしい男女が4人ずつ、ワイワイと騒いでいる。女の子たちはレンズ付きのフィルムで自分たちを撮りあい、男子の座っている席に行って「あー、カメラ目線ー」等と言いながら無造作に写真を撮る。降車駅でドアの前に立ち降りようとしてると、ほぼ接写の状態で撮る。おそらく手ブレしているだろう。ピントも露光も何もあったものではない。湯水のようにフィルムを浪費している。むろん撮るだけではなく、現像するだろう。それだけ自由になる金があるということだ。人の懐具合を詮索するのは貧乏人のよくない癖だが、ああいう金の使い方のできる環境にいる子どもたちというのがいるということだけは心にとめておきたいと思う。世代間のギャップというのはそういったことを見過ごしているうちに生じるのではないだろうか。

 私の父は酒が好き。妻のお父さんは酒はダメ。それぞれの実家に行くと、正月の過ごし方の違いが面白い。私の親戚はみんなよく飲む。「おお、てっちゃん。もう中学生か。ほなら飲んでええやろ」などという環境で育った私は、酒のない正月というのを見るのは新鮮であった。
 雑煮も違う。妻が作ってくれる雑煮は、元日は白味噌に丸餅で小芋と金時人参と大根と焼き豆腐が入っている。二日になると澄まし汁に丸餅、水菜にお肉に焼き豆腐と変える。実家では福井風ということで白味噌に丸餅だけ、上からかつお節けずりをかける。これは元日も二日もない。こういった風習の違いというのはつまり異文化との出会いともいえる。結婚というのは面白い。そういった異文化を味わうことができるとともに、それらがぶつかったり溶けあったりする。男女の仲だけのことではなく、異なった文化が同居する面白さがある。

 明日は実家に親戚が遊びに来るので、そちらにずっと行っています。次の更新は日曜の深夜になります。

1月4日(日)

 正月三が日が過ぎた。互いの実家に行ったり、親戚が実家に遊びにきてくれて子どもたちと遊んだりと、楽しかったけれど、自宅でゆっくりというわけにはいかなかった。今日は予定を入れず、一日ゆっくり寝る。
 年賀状もたくさんいただいた。毎年コンピューターで作成したものが増えている。私もその一人なわけだけれど。オンライン、オフラインで年賀状を下さったみなさん、改めてありがとうございました。
 ある編集者からいただいた年賀状、どう読んでも私の作った童話のキャラクターではない話を引き合いに激励してくれている。これは、その作家のように頑張れという意味なのか、それともただ単にその作家と私を間違えているのか。現在の担当の方ではないのでそれほど問題はないとは思うが、なんだかどちらにしてもあまり気持ちいいとはいえない。その人にとっては私はその程度の認識しかなかったのかな、なんてつい嫌な見方をしてしまう。
 今年は間違えられたり他の作家と比較して激励されたりということのないようにしたいものである。

1月5日(月)

 今日、星新一さんの訃報に接する。ここ何年かは健康状態が優れないと聞いていたので、とうとうその日がやってきたかという思いである。とはいえ、ひとつの時代が終わったという寂しさを感じるのだ。
 私のSF入門は星さんのショートショートではなかったものの、やはり星さんの文庫を探しては読んだものである。SF界に星新一がいなければどうなっていたかと思うと、その存在感の大きさを感じざるを得ない。なによりも初心者にとって、SFの面白さをわかりやすく示してくれる羅針盤のような存在であった。初心者ばかりではない。ひねたSFファンが改めて読みなおしても、そのアイデアの面白さ、ひねり方のうまさ、そしてなによりも独特の文体に唸ってしまう。
 星さんはショートショートだけではなかった。特に私が好きなのは、「人民は弱し、官吏は強し」と「城の中の人」である。前者は星さんの父親である星一の伝記であるが、自分の父親という人物を恐ろしく客観的に描きながらも社会というものがいかに役人の論理で動いているかをえぐりだし、自分の父親への捧げものとしている。後者は生涯を城の中で過ごした豊臣秀頼という人物を主人公にした異色の歴史小説だが、秀頼の無表情さが、読み進むうちに恐ろしく感じられる。秀頼はエヌ氏ではないかとさえ思わせる不思議な小説である。
 手塚治虫さんが逝き、そして星新一さんが亡くなった。日本SF草創期を支えた人たちが亡くなっていくということは、日本のSF界がひとつのサイクルから新たなサイクルに移っていることをいやがうえにも思い知らせてくれる。
 私はSF作家ではないけれど、SFに関わるものの一人として、何かしら自分の役割を果たさなくてはならないのかなあと思わないでもない。まあ、私のできることなんてたかがしれてるのだが。
 慎んで、星新一さんの御冥福をお祈りいたします。

1月6日(火)

 年末から持ち越していた部屋の片付けをする。スチール書棚を組み立て、積み上げていた本をどかどかと順序も何も関係なく放り込む。なんとか傾いていたタケノコは刈り取られ、平衡感覚のまともな部屋になった。それでもまだまだ本は大量にはみだし、書棚の前に壁を作るように積んである。スチール書棚はもう1台あるので、明日くらいにはなんとかしたい。
 ところで、スチール書棚を買ってきたのは妻なのだが、たまたま行ったホームセンターで見つけてきてくれた。実はこのスチール書棚というやつ、最近あまり家具屋には売っていない。広告を見ていても実際に家具屋にいってみても、木目調のどっしりしたものならある。しかし、うちのように狭くて本ばかり多い家にはあんな書棚は不要なのである。まだそれほど本の多くなかった大昔にスライド書棚を買ったことがあるが、空いた空間にまで本を積み上げるようになり、スライド書棚としての機能を果たさなくなってしまった。カラーボックスを多用したけれども、造りが華奢で壊れやすい。
 どうしてスチール書棚は廃れてしまったのだろうか。あまり本を読む人がいくなってきたということなのかもしれない。書棚もインテリアの一つとして、おしゃれなものを求められているということもあるだろう。となると、スチール書棚なんていうものは不粋なものである。実用一点張りでかっこいいものではない。どうやら大量に本を買う者と全く本を買わない者との二極化が進んでいるようだ。
 私のように大量に本を買い売りも捨てもしない者にはスチール書棚というのはありがたい存在なのだがなあ。
 妻がスチール書棚を買ったくだんのホームセンターだが、最近見に行くとスチール書棚はもう置いてなくてそのスペースには違う家具がおさまっていたということである。

1月7日(水)

 正月疲れというのだろうか。朝から起きられない。年末年始と本の片付けなんてなれないことをしたせいか。
 今日は片付けはやんぺ。家で洗濯をしたり本を読んだりとゆっくり過ごす。とはいえ、禁断症状がでてしまう。
「本屋へ行きたい。新刊が出てないか気になる。本屋へ行かなくては。ほら、早く出かける支度をしろ。さあ、行け!」
 いそいそと駅前の書店へ。雑誌などはすでに新しいのが入っていたりする。徳間文庫の新刊がならんでいるが、帯に書かれているラインナップ全てが並んでいるわけではない。佐藤大輔の新刊が出ているはずなんだが、入ってないのかなあ。なんてことを考えながら店内をうろうろ。
 背中越しに店長さんが一生懸命何か言っている。ちらりと振り向くと、新しいアルバイトの女の子が入ったらしい。この書店はアルバイトを選ぶのにかなり厳しいらしく、どの子も真面目で応対がきちんとしているし、間に私語をかわしたりしている様子もない。手が空いている時は文庫の棚の空いたところにしょっちゅう補充をしている。補充をする本の選び方なども店長が常に指導しているようだ。実際に「こういう場合は、この本を入れておきなさい」と教えているところを目にしたことが何度もある。
 毎日顔を出しているせいか、こちらの顔をアルバイトも覚えてしまったようだ。私はたいてい文庫や新書にカバーをつけてもらわないようにいちいち断わっているのだが、最近は、レジに本を持っていくと「カバーは要りませんでしたね」と向こうから言うようになってしまった。気がきいているというべきだろう。今日入ってきたばかりらしい女の子も見るからに真面目そうな子だ。
 実は、駅前にはもう一軒けっこう売り場面積の大きい書店がある。ここのアルバイトはひどい。男の子と女の子が私語ばかりしていてレジに本を持っていっても知らん顔だ。そのまま金を払わずに店を出たとしても気がつくまい。店に一人しかいない時もある。棚の補充をしている時はレジはがら空き。「すみません」と大声を出さないとレジに客がいるかどうかも気がつかない。そのまま金を払わずに店を出たとしても気がつくまい。店長とはいわないが、正規の店員の一人はついておくべきだろう。ただし、この書店にもいいところはある。あまり返本などのチェックをしないらしく、買い漏らした2ヶ月前の新刊で他の書店ではとっくに返本されているようなものでも平積みにしてあったりするのだ。特にヤングアダルトの文庫にその傾向が顕著で、私のようにとりあえず新刊は一通り買うことにしてるものにとっては助かることこのうえない。いやしかし、これはほめてるのではないな。
 後者はもってのほかだが、前者のような書店が駅前にあるのはありがたい。こういう書店はつぶれないようにと願うばかりである。

1月8日(木)

 学校は今日が始業式。生徒たちが元気そうな顔を見せてくれているのが嬉しい。

 「民主友愛太陽国民連合」というのが野党6党の統一会派名だそうだ。なんだこれは。「太陽神戸三井銀行」もいかにも合併しましたという名前であったが、こいつはそれ以上だ。はじめ聞いた時は冗談かと思った。これが政治団体の名前かと思うと笑わずにはいられないではないか。だいたい元になってる政党名からしてふざけているとしかいいようのない名前のものがある。「太陽党」とはなんだ。どんな政治を目指しているのか。「国民の声」だなんて、団体の名前とは思えない。一番ふざけているのは「フロムファイブ」だ。なんでも5人集まったところから始めるからこういう命名をしたんだそうだ。これ、英語として正しいのだろうか。
 なんでもこんな名前にするのにももめたそうだ。「民主党」の「民主」を頭に持ってくるのに抵抗する党があったらしい。私からしたら「民主」が頭にこようが「太陽」や「友愛」が頭にこようがどれでもいっしょのように思うが、主導権をどこが握ってるか名前で決まるということだろう。言霊が働くのかもしれない。「友愛」なんて入っているとフリーメイソンリーにも関係があるとか赤間剛が書きたてると思うぞ。
 もっともこれは政党ではない。6つの政党が議会で勢力をひとつするために作った集合体である。だからこんなもんでもいいのかもしれない。つまり、政策なんかどうでもいいのだ。要は自由民主党、自由党、共産党に人数で対抗するためだけに集まったのである。そういう意味では「民主友愛太陽国民連合」(おいおい「フロムファイブ」が入っていないぞ)という名称はこの団体の性格をずばり言い表しているのかもしれない。
 新進党の解体から民主友愛太陽国民連合の成立までの過程というのはなんだかケチくさくて情けない。私は昔「小説吉田学校」という本を愛読していたものだが、あの小説に出てくる政治家たちのえげつなさに比べると、本当にケチくさい。今だったら河野一郎、大野伴睦とか藤山愛一郎なんて、楽々と首相になってるぞ。後世、今の時代を小説にする人がいるかもしれないが、面白い話にするのに苦労するに違いない。

1月9日(金)

 昨日は関東では大雪だったそうな。こちら大阪は雨。交通が麻痺したのなんのと騒いでいるが、ぴんとこない。比較するのもなんだが、大震災の後、東京のメディアが地震なんてなかったかのように「地下鉄サリン事件」とそれに続く宗教団体のことばかり報道していたことを思い出す。東京方面の人たちにはどんな大地震であろうとぴんとこなかったのだろう。それに対し、「地下鉄サリン事件」は自分たちの身近に起こったことなので大騒ぎしたのに違いない。実際、死者の多さや経済に与えた影響から考えると大震災の方がはるかに深刻であったにもかかわらず、だ。
 私の好きなコラムニスト、中野翠さんの「満月雑記帳」を読み返すと、大震災のことはわずか数回しか取り上げていないのに、その後のオウム真理教の一連の動きについてはしつこいくらい書いていて辟易してしまう。やはり、この人も東京の人でしかないのだと、失望したことを覚えている。
 大雪といえば日本海側、特に北陸地方だ。この大雪のおかげで水が美味しく、米も美味しい。「コシヒカリ」は喜んで食べながら、新潟の雪のことなんかふだんは意識もしないというのが私たちの日常だろう。北陸の人たちは東京発のニュースを見てどんなふうに感じたことだろう。
 雪が降ったくらいで騒ぎなさんな。東京ならば雪はすぐにとける。正直なところ、東京中心のマスメディアに対していささか腹が立つのはこういう時なのである。そんなこと、他の地方の人間にとってはどうでもいいことなのだ。東京だけが日本ではないぞ。

1月10日(土)

 奈良県天理市の黒塚古墳から32面もの三角縁神獣鏡が発見され、邪馬台国近畿説論者を喜ばせているとか。この鏡は魏志倭人伝に記録されている、女王卑弥呼が魏に使者を出した年の年号が記録されているものがあるところから、「卑弥呼の鏡」として知られるものである。それらが大量に出土したということは、奈良に邪馬台国があったということを裏付けるもののように思われる。
 しかし、ことはそう簡単にはいかない。この鏡は量は少ないとはいえ全国各地から出土されているのだ。これはほとんどが国産であるという説もあるという。
 私は古代史に特にくわしいわけではないが、関心はあり解説書や専門書を熱心に読んだ時期もある。そんな中で感じた疑問は、「ヤマタイ国」なるものが本当に存在したのだろうかということである。
 「魏志倭人伝」は正しくは「魏志東夷伝」という蛮族についての記録の中の特に「倭」と呼ばれる地域に関しての記述のことを指す。魏の皇帝にしてみたら、東の方にある島国のことなんかどうでもよかったに違いない。当時の倭でどのような言葉が話されていたかは知らないが、倭人の名前(明らかに中国風ではない)は音訳して記録するしかなく、はたして女王の名前や国名が正確に記述されたかどうかは疑わしい。それを現代の学者が正確に再現することが果たしてできるだろうか。
 しかも女王の使者は「親魏倭王」の印綬を得るためならかなり誇大に自分たちの国力を申告したことだろう。これはかなり後で「倭王武」なる者が朝鮮半島を平らげたなどという大ぼらを吹いている例もあるから、あながち的外れではないと思う。当時の魏の家臣がわざわざそれを確かめにいったわけでもないようだ。
 考古学者は「魏志倭人伝」の記述をそのまま真実と信じ切っているわけではない。あくまで参考資料でしかない。問題は素人の古代史愛好家やマスメディアにある。何か見つかるたびに「邪馬台国はここだ」とやるのはもうやめにした方がいいのではないだろうか。考古学というのは発掘された資料をとことん分析し、出土した地域にどのような勢力が存在したかくらいしか特定できないのである。ちょっと本を読んだだけの私でもそれくらいはわかるのだ。
 邪馬台国はあくまで幻にしておいた方がいい。基礎資料の信頼性を考えれば、そんな国があったらしい、でいいのではないか。邪馬台国を大和朝廷の直系の祖先にしたい人もいるようだが、今回の発掘でわかったことはそんなことではなく、黒塚古墳のあたりに銅鏡を大量に副葬できるだけの勢力をもった人物がいたということであり、それが邪馬台国の関係者であった等という具体的なことは一切わからないのではないのか。
 邪馬台国についてはいろいろな人がいろいろな考察をしているが、それを楽しむという姿勢に徹して欲しいものだ。古代史のロマンというのは想像する余地が多いということなのだ。想像することが楽しいのであり、実際に卑弥呼の墓と特定できるものが出てきたら、かえって楽しみを奪われてしまうのではないかなどと思う。とにかく想像のお遊びとちゃんとした考古学をごっちゃにしないよう、気をつけたいものである。


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