ぼやき日記


4月1日(水)

 いよいよ新年度である。
 私の職場でも新体制が発表され、始業式に向けて準備が始まる。
 前年度末にクラス分けの叩き台を作ってあるが、それを再検討し、担任を決め、教室を整備。新転任の人など自分の荷物整理に追われる。私の勤務先は新校舎に移転したので、教師全員が荷物整理だ。私は書類をファイルするのに封筒を用意してどんどんそこにつめこむようにしている。その封筒もだいぶたまってきたので移転を機に多くの封筒を処分するつもりだ。もっとも新学年開始までに決めなければならないことがごまんとあるので、会議会議の連続。果たして自分のことをしている時間がとれるかどうか。
 春休みというのは生徒は宿題もなくけっこうフリーなのだが、教師はなかなかに忙しいものなのである。だからヤングアダルト小説を書いていらっしゃる作家の方たちは春休みに生徒といっしょに冒険する先生など出さないでね。それどころじゃないんだから。

 「S−Fマガジン」6月号の書評原稿を送稿。へろへろ頭で書いたものだから、文章がおかしい。電話で編集長に何箇所も指摘され、口頭で直しを入れる。自分にだけは意味が通じているのだが、他の人が読むと非常にわかりにくい。また、主語と述語の係受けがおかしい。そんな文が続出だ。全く恥ずかしい限りである。次回は余裕をもって万全の体調で臨みたいものです。

4月2日(木)

 妻が新聞を読んでいるとついつい横からのぞいて叱られてしまう。
「どうして人の読んでる新聞を見るんですか」
「いや、つい見てしまうんや。そんな心理にならへん?」
「…………なる」
 電車に乗っていてもそうである。夕刊紙なんてろくなことが書いてないしわざわざ買って読む気にもならないのだが、人が食い入るように紙面に目を走らせていると、なにか面白いことが書いてありそうな気がしませんか。ちらちらと盗み見していると、相手は気がついているのかいないのかさっとページをめくってしまう。そんなに読みたかったら買えばいいのにと思うかもしれないが、自分で買って読んだらきっとその記事は面白くもなんともないに決まっている。
 植木等の歌「ショボクレ人生」に「借りた定期券でびくびく乗って、隣の新聞横からのぞき」というところがあるが、今も昔も人の心理というのはそう大きくは変わらないのかもしれんね。
 隣の芝生は緑に見えるというが、人の読んでいる新聞ほど面白そうに見えるものはない。なんとも不思議な心理であります。

 昨日の更新で過去の日記へのリンクがおかしくなっていて正しいファイルにいかなくなりました。すぐに直しましたが、指摘してくださった三村美衣さんほか、みなさんにご迷惑をおかけしました。ごめんなさいね。

4月3日(金)

 ワゴンセールで売っているアニメのビデオテープに時々掘り出し物がある。
 子ども向きの「せかいめいさくシリーズ」というビデオを売っていたので教材として使えるものがないかと見ていたら、フライシャー兄弟の「ガリバー旅行記」があったので迷わず買った。
 フライシャー兄弟といってもアニメーションの歴史に関心のない人にはいったい何のことかわからないかもしれない。カラー長篇アニメーションといえばウォルト・ディズニーが「白雪姫」を皮切りに「ピノキオ」「バンビ」などで一時代を築いたことはご承知かと思う。しかし、長篇アニメーションはディズニーの専売特許ではなかったのだ。対抗馬としてまずあげられるのがマックスとデイヴのフライシャー兄弟なのである。
 代表作は「バッタ君町を行く」という作品。以前TVで見たことがあるが、摩天楼を小さなバッタが飛び回る映像はディズニーとはひと味違う大胆な構図と新鮮なカット割りで、これを大画面で見たらさぞかし凄いことであろうと思わせた。宮崎駿が一番影響を受けたのがこの「バッタ君−」であることはあまり知られていない。宮崎アニメに見られるデフォルメされた動きは、フライシャーの作品を見ればそのルーツがどこにあるかすぐにわかる。
 手塚治虫がディズニーの大ファンだったのと好対象である。
 さて「ガリバー旅行記」であるが、これもフライシャー兄弟の代表作の一つで小人国のエピソードを映像化したものだ。小人たちの動きにフライシャーらしさがよくでている。これがワゴンセールで1500円というのだから買わない手はない。一応吹き替えなのだが、原語の上に日本語を重ねているだけで二ケ国語両方とも聞こえてしまうといういかにも安上がりなつくり。どうしてディズニーに匹敵する作品がこのような売られ方をしているのか。作品そのものまで安っぽく思われるのではないかと腹がたつほどだ。そのおかげで安くで名作を買うことができたのだから文句をいう筋合いのものではないか。
 それ以来スーパーのワゴンセールがあるとその手の名作ビデオから隠れた名作を発掘しようと探すのだが、たいていは日本の小さなプロダクションの作品で、これほどの大物には出会っていない。
 ワゴンセールといえども侮れないがそうそうおいしい話も転がっていない。どこかまちがって「バッタ君町を行く」をビデオにしないだろうか。しないわなあ。

4月4日(土)

 ふだんはTVなんぞあまり見ない私が吸い寄せられるように画面に見いってしまった。
 録画しておいたVTRを見終わって巻き戻しながらチャンネルホップをしていたら、いやに若々しい八千草薫が物干のある広い庭で話をしている。バックにはモズの声。妻が「えらい若いやん」という。なんとなく気になって新聞のテレビ欄を見てみたら……。
「阿修羅のごとく」
 言わずとしれた向田邦子の傑作である。NHKが再放送をしていたのだ。しっかり見てしまいましたよ。セリフの一つ一つに意味がある。というよりはべらべらと説明せず、一言二言で全てを説明してしまう。
 堅物の野暮天だと子どもたちの思っていた父が、実はもう一つの家庭を持っていた。それを知った時の子どもたちの反応。顔で笑い和やかな会話をしている裏にピンと張られている緊張の糸。いや凄い。確か本放送は中学生か高校生の頃に見ていて、毎週楽しみにしていたが、こんなに怖い話だとは思わなかった。それだけこちらもその怖さがわかる年になったということなのだ。
 とにかく密度が濃い。たまに見る最近のドラマとは質が違う。原因となる一つの場面のすぐ後にその結果をポンと見せる。その間にあったであろう場面は見ている者が想像すればよい。だからといって決して難解ではないのだ。非常にわかりやすい。
 ええい、なんぼ書いてもらちがあかん。とにかく百聞は一見にしかずだ。もし見ておられない方がいらしたら、来週の第二話はぜひ見ていただきたい。
 一時間ほど見ただけであれだけ疲れたのは久しぶりだ。向田邦子がいかに凄かったかを今さらながらに見せつけられた。ああ、前もって知っていれば録画しておいたのになあ。

4月5日(日)

 午後から妻といっしょに花見に出かけた。
 行き先は「鶴見緑地公園」。といっても大阪以外の人にはピンと来ないだろう。1990年の「花の万博」会場の跡地を公園にしたものである。
 天気もよいし桜も散り初めとあってたくさんの家族連れでにぎわっていた。シートの上に寝転がっているのはお父さん。仕事で疲れ切っているのだろう。それでも家族サービスは欠かしてはならない。そのまわりを娘さんだろう小さな女の子がちょろちょろまとわりつくように走っている。かまってほしいのだ。お父さんがのびをした。寝転びながらするものだから服がずり上がって大きなお腹が丸見えだ。運動不足ですよ、お父さん。いや、人のことは言えないぞ、私も。
 犬をつれてきてる人も多い。犬好きの妻は犬が通るたびにきゃあきゃあ言う。犬を近くの木につないでいるところもある。犬のそばに別の家族がシートを敷き弁当を広げはじめた。わんわんとやかましいこと。飼い主は「いま食べたところでしょ」と犬を叱りながらその家族にあやまっている。
 キャスターのついたクーラーボックスをごろごろ引きずっている人。中には缶ビールがぎっしり、なのかな。赤い顔をしている人。酒臭い人。団体で来てカラオケ大会を開いている人。角刈りでヒゲを生やした強面のお兄さんと髪を染めた貫禄のあるお姉さんがチャーミーグリーンのCFよろしく手をつないで歩いている。失礼ながら、なんだかミスマッチなのがおかしい。
 なんだか花見に行ったのではなく人見に行ったみたいだな。でも、花を見ているより人を見ている方が面白かったのだから、仕方ない。あの人たちも日常はまた違う顔をしているのだと思うと、なお面白い。

4月6日(月)

 スギ花粉の時期が過ぎて、今はヒノキ花粉が飛んでいるのだそうだ。花粉アレルギーの人には辛い時期が続く。
 私は花粉アレルギーはないが、ハウスダストのアレルゲンを持っている。耳鼻科で検査したらそう診断されたのである。大掃除の時にマスクをしなければたちまち目はしょぼしょぼ鼻はぐずぐずくしゃみは止まらずということになる。子どもの頃は寒冷性ジンマシンというやつで苦しんでいた。これは温度差の激しいところに出ると発疹するというもので、冬に自転車に乗ったり熱い湯につかるとすぐにむずがゆくなるという始末におえないものだった。これは幸い年をとるとともにおさまった。しかし今でもその残滓はあるとみえて運動をしてからだが暖まると鼻がつまる。
 花粉アレルギーはないのだけれど、アレルギー体質のせいか花粉の舞う時期はいくぶん鼻の調子が悪い。涙がでたりくしゃみが止まらなかったりというひどいものではない。だからマスクをして歩くほどのこともない。それだけに始末が悪いと言えるだろう。
 あと一月ほどすると初夏となり気候も安定してくる。それを待つしかないのだ。アレルギーだけはすぐに効く薬はないようだ。体質を変えていかなければならないからだろう。早く夏になってほしいものだ。
 もっとも夏になったらクーラー負けして夏バテを起こし、文句を言っているに違いない。体質より先に性格を変えるべきだという気もする。

 明日は所用で遅くなり、ホームページ更新ができません。次回は水曜の深夜に更新する予定です。

4月8日(水)

 昨日は電車出勤。朝の電車は混むけれど本を開いて読むくらいのスペースはある。鞄から本を出して読もうと思ったら、私のあごの下あたりに女性の頭がぬっ。邪魔で本が読めない。私には痴漢の趣味はないから困るばかり。
 くだんの女性、うつむいて何をしているのかと思ったら、文庫本をとりだして読みはじめた。こちらの読書の邪魔をしておいて自分は本を読むとはふとどきな奴。
 人の読んでいる本というのは気になるもので、ひょいとのぞいたら風見潤の推理小説だ。講談社X文庫でピンクの背表紙のもの。女子高生という感じではなし、卒業したばかりという初々しい感じでもなし。別に恥ずかしがる必要はないが、ああも堂々とピンクの背表紙の本を読まれるとかえってこっちが恥ずかしい。
 そのうち、私の胸のあたりに圧迫感。なんじゃいなと思ったら、かの女性が私によりかかってきているのだ。肩を押し付けてきている。別に私に気があってよりかかっているわけではあるまい。かなり混んできたので踏ん張っている私はちょうどいい支えになるのだろう。
 俺は壁やないぞー。そんなんしたら本を出されへんやんけ。
 彼女は私の降りる一つ前の駅で下車していった。一駅だけだとわさわざ本を出す気にもならない。大事な読書タイムがパーになってしまった。ただでさえここのところ読書のペースが落ちているというのに。やれやれ、である。

4月9日(木)

 4月7日は鉄腕アトムの誕生日だったんですね。ただし、2003年の4月7日だから、本当はあと5年待たないといけないんだけれど。
 4月8日付の「日刊スポーツ」によるとアメリカで「鉄腕アトム」の実写映画化の企画が進められているという。日米合作で2001年公開にむけて製作準備が進んでいるそうだ。
 実写版の「鉄腕アトム」というと私の生まれる前にへんてこなかぶりもののアトムがどたどたと走り回るものが作られているが(私は「テレビ探偵団」かなにかでちらりと見ただけだけれど)、今のハリウッドならCGを駆使してリアルなものが作れるだろう。
 問題は声である。
 「鉄腕アトム」といえば清水マリ。白黒の虫プロ版もカラーでリメイクされた手塚プロ版でも、CMでもこれだけは変わらない。さすがに最近はお年を召されたようで声の張りがなくなりつつあるが、他の声優さんではピンとこない。アメリカでは子どもがヒーローとなるものはまれなので、もしかしたら青年男性が吹き替えるかもしれない。ニコラス・ケージというアカデミー賞俳優が一枚かんでいるらしいのでもしかしたらその俳優とCGの合成ということも考えられる。
 うーむ、にわかに不安になってきたぞ。金だけかけて中身なしということになったら、かえって手塚治虫の評価が下がったりするかもしれない。
 実写版の公開後にアニメ版の公開も予定されているそうだが、新たに作るより虫プロ時代に映画公開されたフィルムをリバイバル上映した方が手塚さん自身の手が入っているだけにずっといいかもしれないぞ。
 それにしても、コンビニでロッテ「アストロボーイ・フーセンガム」を見かけたりしたけれど、最近なぜか「鉄腕アトム」がはやっているようだ。どうして今ごろアトムなんだろう。そこらへん、もう少し考えてみてもいいかもしれない。

4月10日(金)

 今日の帰り、いつものように駅前の書店に寄ると、手書きの貼り紙が。
「『ダディ』、本日入荷分売り切れ」
 郷ひろみの離婚発表と同時に発売というあざとい売り方をされた告白本ですね(幻冬社刊)。何冊入荷したのか知らんけど、すぐに売り切れてしまい、それから店員に問い合わせが何度もあったのであろう。新刊書の平台を見ると「ダディ」がおいてあったとおぼしき場所に同じ手書きの紙がおいてあった。なんと売り切れてなお平台の一角を占めている。
 スポーツ紙に内容を一部紹介してあったが、二谷友里恵という人は郷ひろみが芸妓遊びをしてきたと知るや般若の面に顔を変化させるという特技の持ち主であるらしい。離婚したら百面相の芸人としてどさ回りでもするがよかろう。女子プロレスに転向してもいい。悪役として、反則技「ローファー投げ」を連発するのだ。コントロールはいいはずだ。胸ぐらという急所をめがけて投げられるのだから。
 冗談はさておき、妻が記事を読んで「胸ぐらって、つかむものと違うの」とつぶやく。私はさっそく「新明解国語辞典」をひいてみる。「胸ぐら」とは着物の左右の襟の合わせめあたりのことをさすそうだ。必ずしもつかまなくてもいいようだ。でもね、「胸ぐら」とくるとどうしても「つかむ」で受けたくなるよね。ともかく友里恵さんはそこらあたりをめがけて靴を投げたわけですね。これは危ない。「ハイヒールでなくてよかった」と郷ひろみは書いているそうだが、そりゃそうだ。心臓の近く、へたするとのどを直撃だ。
 つまりは自分がいかに女にもてて妻がいかに嫉妬深いかというようなことを書いた本のようだ。そんな本など読みたくもない。
 初版50万部だそうだ。まあ、新聞で全面広告を打ったのだから、幻冬社はベストセラーにするつもりで仕掛けたのでしょうね。スポーツ紙ではただで宣伝してくれているし。最初は一か八かの賭けかと思ったけれど、実際に売れているらしいのを見るとその仕掛けが見え見えで嫌になる。


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