ぼやき日記


12月2日(水)

 12月になってしもうた。そこかしこでクリスマスソングが鳴っておる。こっちは締切やらなんやらでそんな気分やないんです。
 今週の「週刊少年サンデー」掲載の「タキシード銀」に「クリスマスにはサタンがプレゼントを配るんだなっ」というギャグがあった。ううむ、確かに「サンタ」と「サタン」は似てるやないか。そこに気がつかなんだとは口惜しや。
 CDショップに行ったらまた今年もサンタ帽をかぶったビング・クロスビーの顔がそこら中にある。「ホワイト・クリスマス」はまだ売れてるんやね。サンタの格好をしたマライア・キャリーも健在。よくまあこれだけクリスマス・アルバムがあるもんやなあ。
 実は私はこの手の企画物が好きで、クリスマスソングのCDはあれこれと持ってる。一番のお気に入りは「メリー・メリー・クリスマス」というアルバムで、これは1960年代に発売されたものの復刻版。伊東ゆかり、木ノ実ナナ、梓みちよ、田辺靖男、ザ・ピーナッツ、鹿内タカシといった当時の人気ポピュラー歌手がクリスマスナンバーを歌うという企画。実はお目当てはハナ肇とクレイジーキャッツの「クレイジーのクリスマス」という曲やったんですけどね。この曲はこのCDでしか復刻されてないというなかなかレアな録音なんです。
 ただし、毎日毎日きくもんやないです。クリスマスの日にとっといてケーキでも食べながらききたい。
 あと20日以上もあるのに、あっちに行ったらジングルベル、こっちに行ったらサンタが街にやってきておって、そっちに行ったらトナカイが鼻を光らせて走っておるというのははっきり言ってやかましい。
 まだ12月になったばっかりやんか。まだ通知票も書いてないし年賀状も買うてないぞ。忘年会もやってないしボーナスも入ってない。そんなに一気に月末気分にさせて何が嬉しい。コンサートのガイドを見たらどのオーケストラもベートーヴェンの「第九」ばっかりや。どこか逆ろうてショスタコーヴィチの「第九」とかマーラーの「第九」とかやるところはないのんか。まあ年の瀬にマーラーの「第九」を聴いて暗く正月を迎えるというのもいややけど。
 とにかく、12月はまだ始まったばっかりや。クリスマスにはまだ早い。誰かあのやかましいクリスマスソングを止めてくれよ。

12月3日(木)

 あわわわわ。いよいよ「京都SFフェスティバル」があと2日に迫ってきてしもたやないか。私はにわかに不安になっているのである。いくら私の本業が教師であるからというてもやね、やっぱり人前でしゃべるというのは緊張するね。一応しゃべることは考えてあるし話の流れも作ってあるんやけどね。
 で、不安解消のためというのではないけれど、毎日通勤途上でリハーサルをしている。原チャリを運転しながら口の中でぼそぼそとしゃべってみてるんです。
「ええ、ただいまご紹介にあずかりました、喜多と申します。今日は架空戦記について、このなんですね、一席うかがうことになりましてね」
 エンジンの音というのはけっこうやかましいから多少しゃべってても外には聞こえへんからね。まいにち行きと帰りに「ええ、ただいまご紹介にあずかりました」をやってるんである。端から見てたら気持ち悪いおっさんでしかないぞ。しかしよう考えたら自分にプレッシャーをかけてるということになるのかな、これは。うーむ。
 そんなことをしてる場合と違うんやけどね、ほんまは。実は「S−Fマガジン」の原稿、全然手をつけてないのだ。予定ではとっくに書いてしもてるはずやのに、おかしいなあ。こんなところでアホなことを書いてる場合やないぞ。
 しかしなあ、ほんまにあと2日しかないんか。うーむ困った困った。準備もちゃんとしてるのになんで困ってるのかわからんな。なんともはや。

12月4日(金)

 明日は人前でおしゃべりをするというので、仕事の帰りに靴屋や服屋に寄る。なにしろ私の靴ときたらかなりへたっていて靴底も減りまくりで雨降りに水たまりを歩くと靴下が湿るというような代物。そろそろ買い替えないかんなあと思うてたんで、これがいいチャンスや、えいっとばかりに買う。
 「ザ・シューズ」という量販店に行くけどそんなに安くない。駅前の「ダイエー」の方が同じ値段でええもんを売っておったぞ。
 服は「ユニクロ」で買う。こちらは値段は安いがそれほどものは悪くない。セーターなんか一応ウールマークがついてるねんで。純毛! ここではシャツとジーンズとセーターを買う。ジーンズは黒。シャツとセーターはアイボリー系。とりあえずちいとはコーディネイトしてるんですよ。私は高い服は買わんし安い服もぼろぼろになるまで着る。黒系統が好きで、今はいているよれよれの綿パンも黒。セーターやシャツも黒。靴下も黒。愛用のダウンジャケットも黒。今日もそうしようかと思うたんやけどね。いい色のがあったからそっちに変えた。
 そやけど、シャツとセーターとジーンズの代金が靴一足の代金と変わらんというのはどういうこっちゃ。
 そんなことしても合宿で徹夜してたらあっという間によれよれのくたくたになるとは思うけどね。まあ、気分の問題。
 昨日は精神状態までよれよれのくたくたやったけど、一区切りついたんで今日は落ち着いて原稿を書けたぞ。これで今日フェスの会場で「S−Fマガジン」編集長に直接原稿を渡せるよん。
 しかし、こんなに日によって感情の振幅が激しいというのはいかんなあ。
 まあ、明日は日常を離れてどっぷりとSFの海にひたり、旧交をあたためることにいたしましょう。

 というわけで、明日は京都で徹夜。次回更新は日曜の深夜の予定。家に帰ってからMacに向かう余裕があればの話やけどね。

12月6日(日) 京都SFフェスティバル98私的レポート(その1)

 行ってきました、「京都SFフェスティバル」。
 昨年と同様、簡単にその様子をレポートしましょう。
 いやとにかく、ことしの京フェスは楽しかった。例によって例のごとく旧交をあたためたり、それまで話したことのない人たちとお話ししたり。
 しかも今年はこれまで再々書いてきたように、自分が本会でしゃべったりしたのです。なんとかなるもんやね。
 受付開始の9次30分には会場に着く。まだ受付の準備がでけてへんかったりするけど、なにしろ朝イチの企画やからね、打ち合わせとかもあるのでずかずか会場に入って行った。
 ちょっと心臓がバクバクいうておる。緊張しとるんやねえ。
 10時に企画開始やけど、人の集まりが悪かったんで20分遅れで始まった。
 第1の企画は「さらば架空戦記」弁士は私、喜多哲士。聞き手は不観樹露生さん。
 自分で言うたことをコンパクトにまとめるのは難しい。そこで、このために自分たちのためにに用意したレジュメをそのままあげておきます。私は話が脱線しやすいので、時間内にまとめるためにこういうものを見て話をしたんです。

1) 「グランド・ミステリー」と「あ・じゃぱん」
  ・「架空戦記」との類似性、そして相違点
  ・歴史改変とSF
2) 「架空戦記」か「戦略シミュレーション」か
  ・ゲーム的要素と恣意的な展開
  ・「シミュレーション」という誤解
  ・「小説」としての完成度
3) ブームの始まり……「要塞シリーズ」と「烈風シリーズ」
  ・「架空戦記」ブームのルーツを探ると
  ・「要塞」の書かれた時代背景
  ・「要塞」と「烈風」の違い
4) 「紺碧の艦隊シリーズ」がもたらしたもの
  ・歴史改変を通じた文明批判……SFからの派生
  ・恣意的な改変とご都合主義
  ・潜在的な戦記ファンの掘り起こし
5) 「架空戦記」の読者層
  ・「歴史群像」系読者
  ・「ホビージャパン」系読者
  ・「丸」系読者
  ・少年誌の末裔たち
  ・パソコン通信を通じて
  ・「SF」系読者はいるのか
6) SFと「架空戦記」
  ・「モンゴルの残光」と「戦国自衛隊」
  ・歴史改変の面白さとは
  ・文明批評の役割
7) 「架空戦記」の役割
  ・帝国海軍は強いなあ
  ・部品ひとつへのこだわり
  ・神格化される軍人たち……石原莞爾と山本五十六
  ・太平洋戦争が「時代小説」になるまでの通過点か
8) さらば「架空戦記」
  ・オタクの玩具
  ・役割は果たした?
  ・もはやSFとは無関係か?
  ・さらば「架空戦記」

 だいたい話はこのとおり進んだので、付け加えるならば「さらば架空戦記」というのはSF全体では架空戦記はほぼ役割を果たしたので、現在出版されているものはあまり読まなくてもいいよ、というようなことを意味してるということかな。私自身が架空戦記をもう読まんという意味ではありません。役割というのは、つまりタイムスリップやのタイムマシンやのというような仕掛けを使わんでも歴史を改変してもええよというようなルールが確立したとか、そこらへん。
 本来1時間30分でしゃべるべきところを開始時間が遅れたぶん20分ほど短縮されたんでちょっと最後が駆け足になってしもたので残念やったけど。まあ、いいたいことはいうてしもて楽になりました。
 長くなったので、今日はここまで。この続きはまた明日ね。

12月7日(月) 京都SFフェスティバル98私的レポート(その2)

 さてさて、京フェスレポートの続き。
 自分のおしゃべりが終わって野尻抱介さんや松浦晋也さんやらといっしょに会場の中のレストランで昼食をとった。えらい高いなあと思うたら、レジのところで「都ホテル」の系列であるということを知った。そら高いはずやわい。
 そのあと福江純さんの「SF/アニメを天文する・ライブ」という企画があったんやけど、しゃべり疲れてたんで申し訳ないけど、パス。入り口近くのロビーで山岸真さんと雑談。
 続いての企画は田中啓文さんと田中哲弥さんと小林泰三さんと牧野修さんによる「関西在住SF作家放談」。参加者のアンケートをもとに4人でしゃべりまくるという企画。ところが、小林さんだけはわりと早く来てはったのに他の人たちはもう企画が始まるというのにまだ着いてない。直前に到着してぶじ企画が始まった。遅れた理由をしゃべるだけで会場は爆笑。小林さんのさばきのうまさ、平然とした顔でボケたおす田中啓文さんとさらにボケながら要所ではきっちりつっこむ牧野さんとのコンビネーション、田中哲弥さんはしゃべる量は少ないけど確実に笑いをとる。ネタ合わせをしてへんのにこんなにおもろいというのはすごい。こちらは笑いながらも、とにかくこの4人の頭がフル回転してるその回転量を想像して戦慄さえ覚える。私はどちらかというと相手をつっこみながら笑いをとるしゃべりなんやけど、これらのボケにつっこもうと思うたら、こっちがつっこむ前に話題が変わってしまって場がしらけるのと違うやろか。
 こういう楽しい企画をただで聞かせてもらえたんです。ありがたいことだ。参加料は、今年はゲスト扱いなんで払わんでもよかったんです。
 内容については、これは書きようがない。あの絶妙の間や語り口を文字にすることは不可能。とにかく得心がいくまで笑わせてもらったということだけは伝えておきたい。
 企画が終わって休憩しようと思ったら、妻がきていた。この企画を楽しみにしていたので間に合ってよかったよかった。
 長くなったので、今日はここまで。この続きはまた明日ね。

12月8日(火) 京都SFフェスティバル98私的レポート(その3)

 さてさて京フェス私的レポート最終回です。
 本会最後の企画は「アメリカSF史再考」と題された大森望さん、水鏡子さん、大野万紀さん、山岸真さんの4名によるパネルディスカッション。いやー、大野万紀さんもおっしゃっていたけど、昔の京フェスというのはこういうパネルがほとんどやったんですね。
 話はクルートの「SF大百科事典」についてはじまり、水鏡子さんのクルートへのシンパシー……年表がついている、主観的な視点の心地よさ、などなど……が熱く語られた。また、「S−Fマガジン2月号」に載る予定の「50年代SF特集」にちなんだ話題に移る。昨年のオールタイムベストでは50年代SFが多くはいっていたことから我々のSFに対するイメージを形作ったのが50年代SFであるという大野万紀さんの指摘や、当時「ギャラクシー」に掲載されたSFと80年代のサイバーパンクSFには歴史背景などについて共通点があるのではないかという水鏡子さんの指摘など、示唆に富んだ内容で、古くからの参加者である私なんぞは「ああ、京フェスにきたんだなあ」と感慨深くなってしまった。
 本会終了後、夕食を冬樹蛉さんや野尻抱介さん、海法紀光さん、そしてうまく出くわした漫画家のおがわさとしさんといった面々を含む大所帯で百万遍の「百万石」という中華料理屋でとる。なぜか「来々軒」と書いてあるトレイを見つけておおおと感激したりする。
 合宿では大広間で牧野修さん、小林泰三さん、田中啓文さん、田中哲弥さんにおがわさとしさんを加えたメンバーでさらにえんえんと本会企画の続きを満喫したり、我孫子武丸さんと賞について話をしたりしたほか、企画では不観樹露生さんの「架空戦記よ永遠に」という本会企画を受けた部屋でまたまた話をしたり。
 午前4時ごろ、ダウン。エンディングにはなんとか起きられた。かつきよしひろさんと戦隊もののテレビを見ながらつっこんだりする。
 このあと「からふね屋」で朝食をとったんやけど、京フェス流れのお客でいっぱい。なんかまだ合宿の続きみたいやった。
 というわけで、駆け足やけどこれで「京フェス私的レポート」はおしまい。いやいや実に楽しい2日間でした。実行委員長の岡田さん、そして京都大学SF研究会のみなさん、本当にありがとうございました。

12月9日(水)

 今日は「知的障害者サポートセンター」へ。
 高3の担任なので、生徒たちの進路に関する相談。前もってなされた生徒たちへの面接に対する判定をするのである。
 知的障害者の進路といっても様々で、就職したり職業訓練の施設でさらに学んだりする人もいれば、地域の授産施設や共同作業所に入る人もいる。
 教師は保護者の希望もききながら、よりよい進路を考えていくわけであるが、専門の相談員や心理検査の判定員の人たちの意見でその方向性が適当なものか話し合うのだ。
 昼に1時間の休憩をはさむだけで、午前10時から午後4時過ぎまで資料をもとにじっくり話し合った。大事な進路の話なので気は抜けない。
 終わった時にはかなり疲れてしまった。集中力を持続させるためにはかなりのエネルギーが必要やからね。
 きくところによると、この会議の直前になると相談員の人たちは徹夜で資料づくりをしてるそうだ。そして長時間の会議。これもなかなか大変なことであるなあ。お疲れさまでした、と会館を後にした。

12月10日(木)

 仕事帰りに本屋に寄って牧野修さんの「屍の王」とか山本智さんの漫画「風の伝承者 参」などを買う。牧野さんは先日京フェスで夜っぴいてお話をさせてもらったところやし、山本さんは高校時代の後輩。知った人の本が本屋に並んでるだけでなんか嬉しい。
 「屍の王」についてる牧野さんの写真はどう見ても牧野さんとは思われん。いつの写真を使うてはるんやろ。学生時代かなあ。片目はなんか目張りが入ってるし片目は怪我をしたのかでっかくガーゼで隠してある。髪は長いしヒゲは生やしてるし。ボーズ頭で「そらあんたねー」とにこにこ笑って言うてるあの牧野さんとえらい違いや。
 「風の伝承者」についてる山本さんの写真も変やね。エレキギターを持ってる姿を頭部から撮影したものらしい。が、何が写ってるんだかさっぱりわからん。みんな変やぞー。
 昨日は田中啓文さんの「水霊 ミズチ」をいただいたばかり。こちらには写真が載ってはいなかったけど。
 いつかは私も絵本(というても、絵は描けません、文のみ)を出したいなあ。そのためにはちゃんとお話を作らんといかんわなあ。などと考えてしまう。今のところ、雑誌掲載だけやからなあ。自分の名前がでっかく書かれてる本が店に並んでるというのはどんな気持ちになるんやろうなあ。
 こんなことを書いている暇があったらお話を作るべきですな。それはわかってるんやけどねえ。


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