ぼやき日記


1月1日(金)

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 新年早々ぼやきのネタは尽きることがない。

 今日は木曜日なのでほんまやったらゴミの日なんやけど、もちろん正月なのでゴミ収集車もお休み。そやのに道にゴミ袋が出てるやないか。そんなもん、出すなよ。野良犬が来る烏が来る、迷惑このうえない。この寒さやから生ゴミは腐りにくいとは思うけど、来週の月曜までベランダに出たらあのゴミ袋が目に入るかと思うと、嫌になる。何を考えとるのか。

 京都の実家に帰る。阪急電車に乗って座っていたら、向い側に子ども連れが。子どもは窓の外を見るために背もたれに手をかけて逆を向いて座ってる。そういう時は靴を脱げよ。シートが汚れるやないか。親がいっしょなんやから靴を脱ぐようにしつけろよ。私が子どもの時は靴を脱がなんだら自分で脱げと叱られたぞ。親の年頃を見ると、どうも私と同世代のようだ。あんたら、子どもの頃、そういうしつけを受けなんだんか。と、思うたら、その親子の隣にいた老人が親しげに話しかけているやないか。最初にしつけをしなかった張本人であるおばあちゃんもいっしょかいな。こらあかんわ。

1月2日(土)

 ふだんはTVなどほとんど見ない私やけど、正月は見る。
 演芸番組である。
 正月くらいでっせ、漫才ばっかりの番組を2時間もまとめてやってくれるのは。しかもやね、ふだんはTVではあまり見られん……演芸場に行かんとあかんというような芸人さんの舞台をしっかり見せてくれるからね。
 平常の番組編成やと「お笑いネットワーク」(よみうりテレビ)くらいしかちゃんと漫才を見せてくれる番組はないからね。これは30分くらいでネタおろしが多いのかベテランでもちょっと間が悪かったりするからね。
 正月の漫才番組やとたくさんの芸人さんが次々と出てきてくれるしね。元日には実家で「オール阪神・巨人」「中田カウス・ボタン」「大木こだま・ひびき」「宮川大助・花子」「どんきほーて」「トゥナイト」なんかの漫才をたっぷり見ることができた。
 今日は妻の実家にあいさつに行ってたので、昼にやっていた「夢路いとし・喜味こいし」「横山たかし・ひろし」「レツゴー三匹」「正司敏江・玲児」などが出てくる番組を録画。これは年末の収録を見たいとハガキで応募していたんやけど、外れて見にいかれへんかった番組やから、もうしっかり録画。
 だいたい、最近の漫才さんが出る番組というたら、なんか外に出てってレポートしてみたり、スタジオで雑談してるような番組が多く、本芸の漫才なんかなかなか見せてくれへんもんね。そういう意味では正月というのはなかなか貴重なんですよ。
 やっぱり、漫才師は漫才してる時が一番生き生きしてておもろいよ。
 それやのに、「まるむし商店」が、他の人らが漫才してるのに「女芸人尻相撲大会」のにぎやかしなんかしてるのはさびしいなあ。
 今年は1回ずつでええから「なんばグランド花月」と「浪花座」にはいかんとあかんなあ。正月のテレビだけやない、ちゃんと本芸の漫才を毎日やってるところが近くにあるんやからね。

 明日は実家に親戚が遊びに来るので、そちらにずっと行っています。次の更新は月曜の深夜になります。

1月4日(月)

 今日は仕事始め。というても学校はまだお休み。「S−Fマガジン」の原稿を書いていたのです。年間総括というのはけっこうしんどいんやね。1年間に読んだ本の内容をちゃんと思い出さんならん。どうにもこうにも記憶力が減退していてどないもならんよ。
 その点、子どもはすごいね。
 昨日、実家に親戚を呼んで会食をしたんやけど、私のいとこの子どもに4才ぐらいの女の子がいて、まあよくしゃべること。
「ピノチオ、つづき」
 しきりに話しかけてくる。最初は何のことかわからなんだんですわ。で、よう考えてみるとね、確か去年の1月3日にその子が私の実家に遊びにきた時に、家にあるディズニー映画「ピノキオ」のビデオを見せたんやった。ところが、彼女は疲れて途中で寝てしもうたかなんかして最後まで見られへんかったんやね。その続きを見せろと、こういうわけだ。
 ううむ。いかに1年に1回行くかどうかという家やから、「私の実家=ピノキオ」という強烈な記憶があってもおかしくはないよ。それにしても、まるまる1年前のことやで。その間に幼稚園やとか家で見るTVやビデオやとか、いろんな楽しいことがあったはずやろうにね。
 どれだけ「ピノキオ」のビデオが面白かったか、ということもあるのやろうけど、この記憶力はすごいね。脳細胞がどんどん製造されていって、めちゃくちゃ活性化してるという感じやね。
 私らおっさんの脳細胞は次々に死滅していってるわけやからね。リストを見ながら「ううむ。私はこんな本読んだかいな。知らんで、こんなん」てなことを言うてるんやからね。
 ところで、「ピノキオ」のビデオをケースから取り出したら、ちょうど去年彼女が見終わったところで終わっていた。1年間、誰も見てなかったのでした。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜の深夜の予定です。

1月6日(水)

 昨日、所用で漫画家のおがわさとしくんと会った。
 彼とは高校時代からのつきあい。同級生でクラスも同じ、クラブ活動も同じ。相当長いつきあいになる。
 喫茶店で話をしていたら、次の仕事の話になった。今度は「S−Fマガジン」で恩田陸さんの連載小説に挿絵をつけるそうです。なんでも恩田さんが「S−Fマガジン」のバックナンバーを見ておがわくんを指名したそうだ。そういうのって、嬉しいやろうね。
 彼がいうには、そういった挿絵の仕事というのは漫画家としてはありがたいそうだ。というのも、漫画というのは話の流れを絵で進めていくものやから、ヒトコマごとの絵の密度というのは高くない。そうなると、漫画だけ描いていたのでは絵が荒れてしまうのやそうだ。
 挿絵というのは一枚の絵で状況を説明しなければならないし、その分密度も濃くなる。小説をじっくりと細部まで読まなければならんので、ネームづくりにも参考になる。ということらしい。
 特に今度は毎月確実に仕事があるので、それもありがたいとか。確かに、漫画家といっても彼の場合は連載を持ってるわけでもないしね。
 ただひとつ、彼が心配していることがある。それは、牧野修さんの「月世界」シリーズが恩田さんの連載の最中に掲載されたら、そちらの仕事がほかの人に回ってしまうかもしれないということ。
「先のことを心配しててもしゃあないやん」。
 そうは言ったけれど、おがわくんの気持ちはよく分かる。「月世界」シリーズは彼が「S−Fマガジン」でした最初の仕事なんやからね。自分の仕事やというこだわりがあるんやろうね。
 そういうような話をしていると、俺も負けてられへんなあというような気になる。いやこの勝ち負けの問題やないけどね。やっぱり同級生がそうやって活躍してると、気になるやないですか。
 それやったらちゃんと童話を書きなさいって。思わず自分に対して突っ込んでしまうのであった。

1月7日(木)

 相撲スキャンダルに執念を燃やす「週刊ポスト」が久しぶりに大当たり。
 横綱若乃花夫妻の別居をスクープしている。これはガセネタではないらしく、スポーツ新聞各紙も飛びついて今日の駅売店は「若乃花」だらけやね。
 「ポスト」はここのところ相撲部屋のおかみさんが弟子と×××してるというようなほんまやからいうてそれがどないしたんというような下ネタが多かったけど、やればできるやないですか。最近は八百長スクープもかなりええかげんになってて、以前の記事ではガチンコ(八百長をしない)と書かれてた力士が次の場所での記事では昔から注射(八百長をする)で有名なことになってたりという、かなりええかげんな「スクープ」やったりしてるしね。
 なんで私はそんなにくわしいか。
 それはもう、記事がのるたびに立ち読みしては検証してるんです。相撲ファンの人には「そんな記事は目の汚れ。読みたくもない」という人もいるらしいけど、私はもう相撲の記事やったらなんでも読みたい。今回も本屋に飛んでって立ち読みしましたよ。
 さて今回の記事やけど、スポーツ新聞の記者が一斉に取材に行ってること、それから二子山親方が取材に答えて「(二子山)部屋で寝起きしている」と言うてることから、別居はほんまやったようです。
 ただ、その理由が「貴乃花の息子は受験させていい幼稚園に入れたのに若乃花はそれをさせなかったので夫人が怒った」とか「若乃花夫人は家事を一切しないで家政婦にやらせ、子育てはベビーシッターまかせ、夫が横綱になって付け人が増えたので夫人も家政婦を増やすよう要求した」とか、なんでそんなことがわかるねんとツッコミを入れたくなるようなことなのがおもろい。一応、部屋の関係者の証言となってるけど、どんな関係かわからんのも嘘臭くておもろい。
 しかし「週刊ポスト」のこの相撲にかける執念というのはなんなんやろね。最近は相撲も満員御礼が出にくくなってTVの視聴率もそれほどやないらしいから、部数拡大にはあんまり貢献しないのと違うかと、私なんかは思うんやけどね。

1月8日(金)

 寒いぞ寒いぞ寒いぞ。寒いというより冷たいというべきか。なんで始業式の日にこんなに寒うなるんや。
 例によって例のごとく原チャリで出勤。淀川にかかる豊里大橋をわたる時なんか横から寒風が吹きつけてきて、寒いし風に押されるしで難儀したよ、私は。
 始業式は体育館。これがまた寒い。冷える。
 昨日やったら温かったのに。おかげで風邪がぶり返して鼻はつまるし痰はからむし熱はあがるし。ああしんど。
 帰り路、原チャリで走ってたら、年末から気になってる捨て看板がまだそこかしこの電柱にくっついている。
不景気や! じっとしててもあかへんで!
 ただこれだけが黄色い字で書いてある。何が目的で誰が立てたんか、さっぱりわからん。最初に見かけたのはパチンコ屋の前やったから、じっとしてんとパチンコしなさいという意味かなと思うたんやけど、その後に見たのは焼肉屋の前やったり、居酒屋の前やったり、一貫性がない。
 役所ではないな。大阪の役所はけっこうおもろいポスターやCM、標語を使うんやけど。大阪府警の「チカン、アカン」とかね。ただ、役所がやってるんやったら絶対「大阪府」というように「これはわしらが立てたんや」ということをアピールするからね。だいたい役所は捨て看板なんか使わへんて。
 いったい、あの捨て看板は誰が、何の目的で立てたんやろうか。なんか気になる。誰か知ってる人がいたら教えてくれへんかなあ。
 もしかしたら、不景気で仕事のない看板屋がじっとしてられへんで作ったんかもしれへんね。「じっとしててもあかへんで」というところになんか切実なものを感じるね。

1月9日(土)

 かかりつけの医者に薬をもらいに京都へ。なにしろ薬を出せるのは一度に2週間分ということなので隔週で京都へ行くことになる。そのついでに大きな本屋に寄って新刊の買い出しとかするわけです。どうしても駅前の本屋さんでは入荷する量に限りがあるからね。
 阪急桂駅のホームから高架に上がるエスカレーターに乗っていたら、目の前に高校生の女の子のふくらはぎが。このくそ寒いのに制服のスカートを思いきり短くしてルーズソックスをはいている。ルーズソックスというのはだぼだぼにずらしているから意味があるわけだ。
 元気やなあ、と思う。寒うないんかいな。別にコートを羽織るでなし、防寒というとマフラーくらいだ。
 私はというと下着は長袖、セーターを着た上にダウンパーカーとウインドブレーカーが一体になったものを着ている。これでも寒い寒いいうて鼻をつまらせてるんやからね。
 ほんまに元気やね。あんまりじろじろ見てたらやらしいから、目のやり場に困ったけど、こうなんというか、はち切れんばかりの素肌を寒風にさらして平気なんやからね。若いなあと思う。よう考えてみたら、私も高校時代はなんぼ寒うても薄いコートを一枚羽織ったくらいで毎日自転車に乗って通学してたんや。耳当てもなんもなし。ようあれで熱も出さんと毎日学校に行ってたなあ。
 なんかもうむちゃむちゃおっさんになったという気分になってしまいましたよ。ああ寒う。

1月10日(日)

 同人誌「未来趣味」のための原稿を書いている。ほんまは昨年のうちに書く約束をしていたんやけど、なんやかんで書くのをのばしてたら催促されたのであります。
 ネタは直木三十五が書いた日米未来戦記「太平洋戦争」について。架空戦記読みの目から見てどうかという書評(?)だ。中身についてはいずれ発行される「未来趣味」を読んでもらうとして、それ以外の雑感を少し。
 昭和10年発行やから、むろん、旧字旧仮名、そして総ルビ。これが何度も読み返してると、ええんやね。漢字というのはちゃんと意味のある字なんやなあと感じるね。常用漢字みたいなしばりがないからね、正しく漢字を使うてる。そやから、今の本みたいに常用漢字にないものは音が同じ漢字で間に合わすというようなことをしてない。漢字自体も今使われてる略字では漢字そのものの成り立ちはわからんのやね。旧字で書かれるとこの漢字はこういう意味があるからこんなヘンとツクリになってるんやなあということがなんとなくわかる。
 あくまで「なんとなく」であるところが、私に素養のないことを示しているのがちょいと情けないけどね。
 あと、時代背景をわかってないと読まれへんのです。「獨逸と中華民國が同盟して」と書かれてたとする。ちょっとまてよ、これが書かれた昭和5年はドイツはナチスが政権をとっておったかいなあと調べんといかん。「満洲で蒋と張が戦ひ」とあったら、この張は親父の張作霖かいな息子の張学良かいなと調べなならん。一応私は社会の教師なんやけど、養護学校に勤務するようになってからというもの、そこらへんの細かいところをすっかり忘れておるのだ。授業で使わん知識は薄れてしまう。
 久しぶりに日本史や世界史の参考書を引っぱり出して調べものをするというのがなんか楽しかったりする。
 かなり手こずっている原稿やけど、けっこう楽しい発見がある。ともかく早いこと書いてしまわんとあかんのやけど。


てなもんや掲示板 読む書く

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る