ぼやき日記


6月21日(月)

 数日前から万歩計をつけてあるいてる。健康のために毎日1万歩を目標にしてるというようなことは一切なく、面白いポケットゲームやないかいなあと衝動買いしたんですな。
 実は実家の母や妹たちに、去年誕生祝いに「ポケットピカチュウ」やら「てくてくエンジェル」というような万歩ゲームを贈ったところ、実に好評でおもしろそうやったんで前から欲しいなあとは思うていた。ただ、育成ゲームは一時期「たまごっち」の恐竜版でさんざんやってたからそれほど欲しいことはなかった。
 で、見つけたのが「平成の伊能忠敬」というもの。江戸時代にやたら正確な日本地図をこしらえた人物にあやかって、日本列島縦横十文字を踏破しようというゲーム。沖縄を除く都道府県の地図が液晶画面に出てきて、一つずつ指定していき、踏破した県は塗りつぶされていく。ありがたいのが一日のノルマなんぞというものを指定せんでええところ。そういうものに縛られて「こんだけ歩かなならん」というのは性にあわん。たかが万歩計のくせに人に指図するとは笑止千万。
 今のところ近畿圏は踏破した。解説書によると全国を歩き尽くすと感動のエンディングが見られるというんで、それを楽しみにしてる。エンディングを見るだけやったら手に持って振ったらええというようなもんやけれど、それではありがたみがないしね。もっとも歩くだけやなしにちょいとした振動でもカウントされるから、例えば単車に乗っておって道がでこぼこしてるところではねたり、小便をした後でしずくを切るのに腰を振ったら歩いたことになってしまうというようなこともある。別に何キロ歩くとかそういう目標があってつけてる場合やないからそれほど気にはならんのやけれどね。
 人によっては一日の歩数は表示されたものから300引くことにしてるとかいうようなことを言う。別に引かんでもええやない、とは口に出さん。そんなしょうもないことで人間関係を悪化させたないからね。そういう神経質な人はそのようにしたらよろしい。どうせなら万歩ゲームを二つ三つ買うて腰にずらりと並べ誤差を比べるというのもおもろいかもしれん。
 なんやったらロールプレイングゲームにしてくれへんかな。歩数がたまるとアイテムが増えて強い敵と遭遇する。歩き続けてたら倒せるけど、立ち止まったらやられるとか。そんなことを気にして歩いてたら事故にあいそうやな。強い敵が出てきたところで目的地に着いてしまいわざわざ回り道をして敵を倒すまでぐるぐる歩きまわってせっかく早めについたのにそのせいで遅刻したりしたら目もあてられへんぞ。このアイデアはあきませんか。

6月22日(火)

 桂小米朝は大変やなあ、と妻と晩飯を食べながら話をする。
 小米朝の落語はうまいなあ、血ぃやなあとつい言うてしまうけど、米朝の長男というだけで周囲から期待されるわけやから、その期待にこたえるためにもそうとうな努力をせんならんかったやろうし、そやからこそ現在の「うまいなあ」と思えるだけの落語家になったんやろう。でも、世間はついついその努力の部分は見えへんもんやから「血ぃやなあ」ですましてしまうんやろうなあ。米朝の子に生まれて同じ落語家の道を選んだというだけで「すごいなあ」と思う。実際、六代目松鶴の息子、枝鶴はその重圧から逃れるように芸の世界から消えてしもうたと考えられるしね。
 なんで夫婦でそんな話をしていたかというと、タイガースの試合が雨で中止になったんで落語のCDを聞きながら飯を食うておったからである。飯を食うてるときに落語なんか聞いたらあかんよ。口にものが入った状態で笑うてしもうて吹きださんとこうと息を詰めてかえってむせてしもうてえらいこっちゃ。
 いやしかし、弟子は師匠の口まねをしたら似てて当たり前なんやけど。雀々が枝雀そっくりに喋ったりしてるのを聞くとよけいにそう思うわけやけど。小米朝が米朝の真似をしたら、ほんまにそのまま。それやからよけいに小米朝は大変やと思うわけです。
 六代目松鶴も三代目春團治もそういう大変なんを乗り越えて大看板になっていったわけですなあ。

6月23日(水)

 ものにたたられる日というのがあるもんですな。
 今日はいうたら水難の日というのか。朝から少し肌寒いくらいやったんで、今日はプールは入水中止かいなと思うてたら、水温気温とも基準値ぎりぎりやったそうで、朝から震えながらプールに入る。これがもうさぶいさぶいちべたいちべたい。これ、拷問だっせ。水責めやないかいな。耐寒訓練してるんやないんやからね。水につかってたら体が芯まで冷える、水から出たら風に吹かれて寒いぼがでる、中からぬくめようと水の中で体を動かし続けてたら後の授業でしんどい眠い。
 こんな日は早う帰るに限ると思うてたんやけど、なんじゃかんじゃと用ができてようよう退出したら、それに合わせたみたいに雨が降ってくる。家に直行したかったんやけど、これまたなんじゃかんじゃと事情があって大回りして帰らなならんことになる。雨はだんだんきつうなってきて、びしょびしょに濡れるし体は冷えてくるし。雨の中1時間半も単車に乗るもんやおまへんで。地面はすべる、前は見えにくい、慎重に運転してたら雨がかかる時間は長い。
 おまけに家に帰ってラジオをつけたらタイガースは1−6で負けてる。疲れがどっと出たね。ついでにいうと、家に帰ったらだんだん雨足は弱なって一時はやんでしもたやないか。狙うたみたいに降りよってからに。よけいしんどいわい。
 これを水難といわずしてなにを水難というか。今日ははよ風呂に入って屁ぇこいて寝るぞ。

6月24日(木)

 雨て臭いと思いませんか。雨に濡れた合羽とか鞄とかヘルメットとか、生乾きの時に臭いをかぐと、かび臭い。こう毎日雨が続くとヘルメットなんか乾き切らんうちにかぶらなしゃあないからね。かぶると、洗わんとほってある便所のタオルみたいな臭いがする。乾いたら臭いはしなくなるんだ。もともと臭いの成分が染みついてるのが雨のためにとけるんやろか。
 とにかく雨は臭い。

 話題は変わり、クラシック音楽のお話。小沢征爾が2003年でボストン交響楽団の音楽監督からウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督に変わるということが発表された。ウィーン国立歌劇場管弦楽団というと、これはもう名門中の名門。出世街道の頂点に上り詰めたというところやね。だいたい小沢征爾がボストン交響楽団の正指揮者に抜擢されたのも当時としてはすごかったわけで、小沢が契約している代理人の権力によるもんやといわれてるから、今回もそうなんやないかと、ちょっと勘ぐりたくはなる。小沢はことオペラに関してはあまり高い評価を受けてるというわけやないのにね。それがウィーン国立歌劇場ですよ。なんでやねん、と思う。この代理人というのはかつてカラヤンの代理人として辣腕を振るった人物で、なんでこの指揮者がこんなポストにというときには、たいていこの人物がからんでるというとかくの噂の人。クラシック業界に隠然たる勢力を持っているといわれている。ここらへんは「巨匠神話」(ノーマン・レブレヒト/文藝春秋刊)という本にくわしい。
 となると、気になるのは小沢の後のBSOの正指揮者ですな。アメリカでも名門中の名門だけにこのポストを手に入れるということは、指揮者としても箔がつく。小沢は実に四半世紀ここの正指揮者として君臨してきた。最近はボストン市民の評判もいささか芳しくなかったともれ承りますが、これだけ長い間正指揮者として活躍した例といえば、最近ではカラヤンとベルリンフィルハーモニー管弦楽団、ショルティとシカゴ交響楽団に次ぐものやないかな。ほんまに最近は同じ楽団で10年正指揮者をしたら交代という感じやからね。
 私は別に事情通でもなんでもないから、誰が有力なんかようわからんけど、フランツ・ヴェルザー=メストあたりの新進気鋭の指揮者がBSOを活性化してほしいもんです。行き先のはっきりしてないアバドあたりの古手を使い回しするような真似だけはしてほしいないなあ。

6月25日(金)

 今月の「S−Fマガジン」はSF映画の特集。特に熱心な映画ファンというわけやない私ははあはあそういう映画があるんですか、たいてい見ておらんなあと思いながら記事を読んでた。で、そこで選ばれた「SF映画ベスト100」というのをながめてると……。
 なんで「猿の惑星」が入ってないんですか! 私は子ども時分に今は亡き祖父に「猿の惑星・征服」を見につれてってもろうてからというもの、TVの洋画劇場にリバイバル上映、あるいはレンタルビデオで何度となく「猿の惑星」5部作を見返し、「最後の猿の惑星」を除く4作は今でも傑作であると確信してるんである。いやもうそら欠点は多いよ。矛盾もあるし。それでも優れた娯楽作品にして一級品の風刺映画やと思うんやけどなあ。私は大好きですねん。添野知生さんが「ソイレント・グリーン」のついでに言及してるだけというのはあれだけのヒット作にしては寂しいやないですか。
 おおそうだ。「ウエストワールド」も入ってない。ユル・ブリンナーの顔がはずれて機械が丸見えになったシーンは今でも鮮明に記憶に蘇ってくる。あれ、そないおもしろなかったですか。
 日本映画でいうと、往年の東宝本多猪四郎映画もあまり触れられてないのはどういうわけやろう。「サンダ対ガイラ」しか入ってないやないか。「海底軍艦」「ガス人間第1号」「美女と液体人間」「電送人間」「緯度0大作戦」「妖星ゴラス」……。「ゴジラ」はどうなってるんですか。なんで入ってないんですか。はあはあはあ。
 つい興奮してしもた。ベスト100とはいうても、いろんな観点から10人の評者が選んだものを集めたという形やから、誰かが漏らしてしもうたらそこでもうベスト100にはいることはないからなあ。映画専門誌というわけでもないし、しかたないんかなあ。純然たるホラー映画が入ってないのは、これはやむないとは思うけど。
 TVシリーズを10本入れるよりも100本全てを映画で統一しておいた方がよかったとも思う。TVはTVでまた違うと思うね。
 あまり映画を見てないくせにえらそうにいうなあ、我ながら。

 今月号の「S−Fマガジン」執筆者近況欄で「ボールド指揮のブラームス交響曲全集が……」と書いてありますが、私が書いたのは「ボールト」。完全なる誤植です。編集部にはS水さんというクラシックファンがいるというのに……ううっ。

6月26日(土)

 NHKの電話世論調査というもののモニターに選ばれたとかで、いったいどんなことをきいてくるんやろかと楽しみにしてた。「あなたの支持政党はどこですか」とか、「臓器移植についてどのように考えていますか」とか、そういうことをきいてくるんやろうなあ。TVのニュースで「NHKの世論調査によりますと……」てなことをいうてる横に円グラフかなんかの画像が出てね、「おうおう、この5%のうちの一人はこの俺なのじゃ」と悦にいったりしてね。別に悦にいることはないか。
 で、その電話が昨日かかってきた。「NHKの世論調査ですが」はいはいなんでも答えますよ、こんな経験はめったにでけんからね。「NHK総合で金曜日夜8時から放送しております『しくじり鏡三郎』は見たことがありますか」……見てませんが。「木曜日夜10時から放送おります『地球に乾杯』は見たことがありますか」……見てませんが。「NHK教育で夜8時から放送していました『きょうの料理』と夜9時から放送しておりました『おしゃれ工房』がひとつになって『あなたのパートナー』という番組になったことはごぞんじでしたか」……そんなん知らんがな。「NHK教育の放送開始時間が早くなって午前5時になったことはごぞんじでしたか」……知らん知らん、そんな時間はまだ寝てる。「NHK教育の放送終了時間が深夜2時になったことはごぞんじでしたか」……そんな時間まで教育テレビは見とらん!
 こういうの、世論調査というかなあ。自分のところの番組がいかに知られているかどうかというようなことをきいたり、知られていたら、それを今後も見続けたいと思われているかどうか知るための調査ですわな。番組人気調査であって、世論調査とは違うと思うぞ。
 だいたい私はほとんどTVは見んのや。NHKでいうと「宇宙船レッド・ドワーフ号」「ストレッチマン」「大相撲中継」たまに「トップランナー」とそのぐらい。民放やと野球中継とときどき「ウルトラマンガイア」。それ以外はせいぜい「平成紅梅亭」を録画しといてちょびちょび見るかな。たまに妻が見ているドラマを横からのぞくことはあるか。
 ぜんぜん答えられへんかったぞ。また電話して下さるということやから、その時は世論調査らしい質問をしてくれえ。
 ところで、実は世論調査のモニターになったのはこれが初めてやないんですけどね。独身時代に日経のリサーチセンターから送られてくる調査に1年間協力したことがある。この時は車のことやファッションのことなんかの質問が多かった。「あなたは1年に何冊本を読みますか」「どのようなジャンルの小説が好きですか」というような調査は全然なかったぞ。つくづく「世論」からはずれた人間であることを思い知らされることではあるな。

6月27日(日)

 夜半から午前中にかけて雷雨。雷に弱い人というのはあるもんで、ごろごろぴっしゃんと音が鳴ったら目を閉じて肩をすくめやたら恐がらはりますが、町中で家にいててなんの恐いことがあるものか。窓の外を見やってええいやかまし黙らんかいと毒づく私に音がうるさい寝られへんとぼやく妻。われわれ二人がただ単に鈍感なだけか。

 今朝の朝日新聞に通信衛星を利用した「電子書籍」が来月1日より実験開始ということが書いてあった。出版社や家電メーカーなど144社が加わるプロジェクトということで、なかなかことは大がかり。文庫版の液晶画面でソフトは小説、漫画中心に目標は5000点やそうです。
 業界がかなり力を入れてるしソフトがデータ化されたらかさばらんということもあるから、こういうのはいつも注目され期待されておるけれど、正直なところ私はいらん。液晶画面は目が疲れる。電卓にしてもパソコンにしても、かなり画素が多く光の反射で見えないものも少なくなったというても、紙に印字されたものとは目にかかる負担が違うと思うんやけどね。
 あと、水に弱いのもかなわんね。これはポータブルステレオや携帯電話もそうやけど、雨の中傘をさしてても水滴がつくでしょう。それが原因で故障しやすい。紙の本なら湿ってごわごわになるだけですむところが、故障したら修理にださんならん。その間は小説も漫画も読まれへんというのは、ねえ。
 電池が切れたら読まれへんというのも問題があるんと違うかな。出先で携帯電話の電池が切れたときは手の打ちようがない。
 つくづく紙の書物というのはようできたものやと思う。虫が食うてぼろぼろにならん限り多少日に焼けても水に濡れても、修復は可能なんやから。
 とはいうても電子書籍が紙の本に取って代わる日が来るかもしれん。CDがLPを駆逐したみたいにね。そうなったらいくら嫌でも私も電子書籍を使用せなならんのやろうなあ。そんな風にはなってほしくないなあ。

6月28日(月)

 私の妻の趣味は新聞のチラシや雑誌の広告からみょうちくりんなものを探し出し、つっこみをいれて笑い飛ばすことである。例えば、身につけるだけで大金持ちになったりええ男をつかんだりすることのできるお守りの能書きや体験談といったたぐいのものとか、エステティックサロンや痩身食品の使用前使用後の写真を見て、コンピュータでどんな風に加工したかを探り当てるとか、というようなことだ。
 そやけど、最近はマンネリでつっこみがいのある広告が少ないと嘆いておった。
 そんな妻が、今日は久々に爆笑できる広告を見つけた。
 ブレスレットをつけるだけで激ヤセできるというチラシが朝刊にはさまっとったんです。なんやそんなもん、ようあるやないかというなかれ。このブレスレットの原理がすごい。なんでも
スパイラル(らせん)構造から発せられるD・S・A(ダブル・スパイラル・アクト)バイオエネルギーが女性の手首まわりにある列欠(れつけつ)なるツボをダイレクトに刺激して自然に体内の脂肪分やよけいな皮質を急速に制御するという。この原理がまたすごい。原子粗粒学の発達にともなって解明された生命体の原理やそうで、何億、何兆分の一の顕微鏡で見ると、一つの細胞を1ミクロンと仮定すれば、細胞と細胞の間には数億倍の距離があるというんだ。人体の列欠をD・S・Aバイオエネルギーで刺激すると、細胞と細胞の間の空間を自然に凝縮させて恐ろしいほどにスリムな体型に変えていくと、これは私、浅学非才にして全く知らなんだ。
 だいたいなんのために
一つの細胞を1ミクロンと仮定せんといかんのかようわからん。数億倍の距離て、どのくらいやろう。細胞と細胞の間の空間を凝縮してダイエットするというのはもう画期的な原理であるなあ。
 親切なことに、暴飲暴食の極みともいえる1週間の食事メニューまで書いてある。あんた朝から焼き鳥2本、豚平どんぶり(なんじゃこりゃ)、コーヒー、ポークカレーライス、モンブランケーキを食べるんですよ。これ、一食分ですわ。昼は抜いて、夕食に豚カツ、ごぼうサラダ、パンケーキ、砂糖漬け餅(???)、枝豆を食べる。この上に夜食としてうな重、ガーリックトースト、日本酒一合、菓子が加わる。こんな取り合わせでものを食う奴がどこにいる。こんな食事を3週間続けながらも、このブレスレットをつけてると4.5kg減量できる。そらまあ、やせるやろうね、体こわして。
 この広告を見て2万円も出してこのブレスレットを買う人、ほんまにいるのやろか。
 写真を見ると、コンピュータ加工したものではなくちゃんとエステティックサロンに通って減量したものと違うかと、妻は言う。こういう広告を真に受けて大金を投じるような少し頭のねじのゆるんだ人に法外な金を取るエステティックサロンを紹介してさらに金をふんだくるという商法ではないかなどとも。事の真偽はわからんけれど、このうさんくささがたまらん面白いことは確かやね。
 ところで、本棚の前に座って「本来のダイエットのあり方」を説く「阿部先生」なる爺さんの写真まで載ってるけど、「阿部先生」て誰? 肩書きもなにも書いてないぞ。もっともらしい肩書きをつけたら詐欺になるからか? ますますもってうさんくさい。
 大笑いしたあとで、妻が私に言うた。
「話のネタにしたいから、このブレスレット、買うてちょうだい」。
 そこまでするかね。

6月29日(火)

 あいも変わりませぬ妻ネタでございます。
「なあなあ、難波利三、読んだでえ。面白かった」。
 難波利三というたら、最近は読んでないけど、どちらかというと私の守備範囲やないか。妻が読むとは珍しい。
「面白かったわあ、『わらし』。ダウンロードしてデスクトップに置いといたから、読んでみぃ」。
 ちょっと、それ、難波弘之とちゃうのん。
「え?」。
 そやから、ミュージシャンでSF小説も書く、難波弘之のことでしょう。
「うん、そうやけど……」。
 難波利三いうたら「てんのじ村」で直木賞をとった大阪を舞台に芸人や姿勢の人々の哀感を描く作家やないかいな。
「違う人なん」。
 そやから、難波利三は関西ローカルのお昼のワイドショー番組なんかで司会してる人やがな。
「頭がもしゃもしゃで眼鏡をかけてる……」。
 そう、その人。全くの別人やがな。
「私、同じ人やと思うてた」。
 「難波」しか合うてへんがな。なんで難波弘之と難波利三がごっちゃになるねん。
「でも、私、啓文さんと哲弥さんの区別はつくよ」。
 あたりまえやがな。なんでそこで田中さんを例に出す。
「著者近影の男前の方が田中××さん」。
 伏せ字にせんならんようなことを言いなさんな。
 しかし、これは彼女が難波利三の小説を一冊も読んでないから間違うたということやけど、今日の今日まで難波弘之と難波利三をごっちゃにしてたというのは驚きですわ。もしかしたら広瀬正と広瀬隆やとか古事記と日本書紀やとかまだまだごっちゃにしてるものはあるかもしれんぞ。桂米輔と桂ヨネスケもごっちゃにしてるかもしれん。あ、これは両方とも知らんか。

※蛇足ながら、桂米輔は桂米朝門下の上方の落語家で、桂ヨネスケは桂米丸門下の東京の落語家です。もっとも、ヨネスケは「桂」という亭号は使わなくなってますが。

6月30日(水)

 明日から7月やおまへんか。さあ、1ヶ月なにが起きるか楽しみですなあ。てな呑気なことをいうてる場合やない。ここ数日の豪雨で、あちこちで被害続出やないですか。こら恐怖の大王、おまえはカレンダーの見方もわからんのか。まだ6月やないかい。ええかげんにせえよ。へへ、言うたった。

 ここんとこ雨の中を原チャリで走ったりして体が冷え、腹具合が悪いとかいろいろあって体調が不安定。こういう時は気持ちだけは明るくいこう、というわけで、落語のCDを出してきて聞いたりしている。
 私はじきに影響を受けてしまうたちで、職場でもつい落語口調で生徒に話をしたりしてしまう。
「これこれ、おまはん、そんなすまんだにつくねてんと、ちょっとこっちきなはれ」(これこれ、あなた、そんなすみっこにうずくまってないで、ちょっとこっちに来なさいよ)てな言葉遣いになるんですな。上方落語のCDというと、圧倒的に米朝一門のものが多く、気分は米朝一門会。
 ほんまはねえ、他の一門の落語家のものももっと出してほしいんやけどねえ。最近桂文珍のCDが発売されたぐらいで、あとはたいてい昔レコードで出てたもののCD化がほとんど。米朝落語全集ももちろんええんやけれど、20枚くらいで春團治名演集(できれば初代、二代目、三代目の全てを網羅したものがええな)というような企画はどうかな。セットやなかってもええ。分売でかまわん。これまでもそういう企画はないことはなかったけど、たいてい3枚まで。多くても5枚程度か。3枚だけでどないせえというねん。
 確かレコードで桂小文枝(現・文枝)のセットが出てたはず。ハメものの入った華やかな噺を主体にしたもんやったと記憶してるけど、まだ学生やったからよう買わんかった。あれ、CDに復刻してくれへんかな。そういえば、どこのCD屋に行っても文枝の落語は売ってない。これひとつの不思議。
 東芝EMIが米朝一門の落語家の録音をどんどん出してるだけに、他の一門の系統だった録音がないのがめだってしかたない。放送局に残ってる音源とか、ないのかね。読売テレビが時々深夜に放送してる「平成紅梅亭」を全てビデオ化して発売するとか、そういう企画はないものか。東京の落語のCDの数と比べると、ほんまに寂しい限りです。


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