ぼやき日記


8月11日(水)

 書店で「ネムキ」の最新号を見つけたので、買う。
 家に帰って最初に読むのは「山田の弁当」(オオノサトシ)という四コマ漫画。家にあるもんを適当に組み合わせて食べてるので超絶的な味覚を持った山田にフランス料理店の息子で食通の鈴木が苦しめられるというアンチグルメ漫画で、関西弁でおのれの味覚を臆せずぶつける山田のキャラクターがいい。
 で、この山田が今月号で「天カス」という言葉を使うている。天ぷらの身の入ってない衣だけの部分のことで、関西弁をしゃべる山田がこの言葉を使うのは少しもおかしいことはない。ところが、関東弁をしゃべっている鈴木も同じように「天カス」という言葉を使うてるんやね。関東ではあれ「揚げ玉」というんやとばっかり思うてた。子どものころに読んだ本には「たぬきうどんには『揚げ玉』が入っています」と書いてあって、なんのことやらさっぱりわからなんだ記憶がある。ちなみに京都ではあんかけうどんに薄揚げがのってるのを「たぬきうどん」というんです。ついでにいうと大阪には「たぬきうどん」はない。大阪で「たぬき」というとそばに薄揚げがのってる京都でいう「きつねそば」が出てくる。
 話を戻そう。TVで「天カス」を「揚げ玉」というてるのを見て、初めて「揚げ玉」の正体がわかった次第。察するに、作者のオオノサトシさんは関西出身なんではないか。山田に「天カス」と言わせて、つい鈴木にもそのまま言わせてしもうたんやないか、と推測したんやけど、どうやろか。
 どうも私は関東弁には不自由なんであちらで「天カス」という言葉を使用するのかせんのかわからんのです。どなたか教えていただけませんか。いつものくせで、しょうもないことにひっかかると気になってしかたない。メールでも掲示板でもけっこうですので、ひとつよろしくお願いします。

8月12日(木)

 今度の国会、大変なことになってますな。強行採決なんて、久しぶりに見ましたで。あれ、見苦しいことこの上ない。小学校の学級会でもあんなことせんよ。新聞の写真見たら、馳浩が写ってたぞ。もとプロレスラーの国会議員が場内乱闘て、あんたしゃれにならんで。
 ガイドライン法、日の丸君が代法、盗聴法、国民背番号法、みんなこれ、憲法の根幹に関わることやないですか。国民が選んだ代表が決めたことやというのは、今回についてはなんか通らんように思うんです。いわゆる「自自公」連立ということ自体、今の議員が選挙で通ったときには公約として出てたもんやないよね。選挙の時、投票した人は「自自公」連立を期待してその党に投票したか、今回決まった大変な法案はそれぞれの党が公約していたんかというと、必ずしもそうやない。
 ということは、筋からいうと、まず「自自公」連立が決まりこの大変な法案を国会に提出すると決めた時点でいっぺん衆議院を解散して総選挙をやってからでないとほんまに有権者の考えを反映してるとはいえんのと違うやろかと、そない思うわけです。
 私としては、こんなに急いで決めるということについては、今決めとかんと選挙をしてからではあかんとわかってるから、強行採決をしたりするんやろうと、そういう風に感じられるね。こんなん民意でもなんでもない。そこまでして盗聴法を成立させてくれという国民の声があるんですか。国民の大多数が望んでるんですか。そんなん、ちゃんとそれを公約として出して選挙せんといかんのと違いますか。
 民主的にものを決めるというのは、難しい。時間がかかる。特に日本みたいに三権のうち司法権の弱い国やと、法律の違憲性を問う裁判なんか、ちゃんと行われへんということもあるからね。よけいに立法の段階でそこらへんをちゃんとしとかんとあかん。
 とうぶん解散総選挙はないやろね。国民がこのことを生々しく憶えてるうちに選挙なんかしたら、「自自公」はぐっと議席を減らす可能性がある。ほとぼりが冷めるまでは選挙はしない、それが長年政権を担当してきた自民党や自由党幹部の知恵ですわ。
 しかし、公約てなんやろうね。できもせんええことばっかり書いて、実際には書いてないことを実行するというのは、どういうことやろうね。社会の教師として「政治経済」なんかを教えるとき、まあいうたら建前を教えるわけですわ。ところが、実際は建前どおりにはいってない。生徒にそこをつっこまれてもなんも反論でけんようなことをしてほしくない。
 ほんまに大変な国会ですわ。

8月13日(金)

 延長15回裏矢野のサヨナラヒットで23時30分、ようやくゲームセットです。5時間半も野球をするかね。その間なんもでけへんやないですか。勝ったからそれほど疲れへんけど、負けてたら今日の日記はかかれへんほど疲れが押し寄せてたに違いないね。やれやれ。

 未読のシリーズ物の本がかなり増えてきた。新刊が出たら買い、そのまま積んであったりするんで、いったいどのシリーズが完結してるのやら何がなんやらさっぱりわからんので、昼に仕分けをする。
 だぶりは、これはありますな。特に架空戦記。タイトルがややこしい、表紙も戦艦やら戦闘機やら爆撃機やら潜水艦やらと非常に似た絵柄が多い。書店で悩むんだ。で、とりあえず買う。それはまあ、これまでもあったことやけど、今日の仕分けでわかったのは、欠本がちょくちょくあるということ。これも理由は同じやね。タイトルがややこしい、表紙も戦艦やら戦闘機やら爆撃機やら潜水艦やらと非常に似た絵柄が多い。たぶんこれは買うたと思いこんでしまうというケースね。理由として思いつくのは他にもあって、地元の書店には配本されなんだ場合、梅田や河原町の大きい書店にいかんと買われへん。ところが、そうちょいちょい真中に出て行かれへんから、書店に行く時期がずれると新刊として出てる時期を外してしまう。そうなると、平台から消えてるわけで、見逃しやすい。今月はこれとこれがいつ出るというリストを持って書店に行くわけやないからね。
 だぶりはともかく、架空戦記の欠本は痛いな。今から探しても書店にはないかもしれへん。出版と品切れの回転が速いからね。あとはネット書店で注文するか。明日は西梅田に出る予定やから、堂島の「ジュンク堂」でいっぺん探してみることにしよう。あそこになかったら、注文するしかないな。
 だぶったのは、SFのイベントに持ってってオークションで……売れんやろうなあ。架空戦記の端本なんか誰が買うんや。長編シリーズの2巻だけとか、ほしいですか。いりませんやろ。古本屋も引き取ってくれなんだら、こっちから金を払うてでも置いてったろかしら。

8月14日(土)

 今日は、サンケイホールへ「米朝一門会」を聞きに行く。今年は桂枝雀追善興行。ホールのフロアに「桂枝雀さんをしのぶ」というコーナーが作られている。足を運ぶと、記帳台があり、中に入ると簡単な祭壇がもうけられていて桂南光をはじめとする枝雀一門の落語家さんたちが並んでいる。枝雀師匠の写真に手を合わすとその度に「ありがとうございます」と頭を下げられる。
 会場は大入り満員で、補助いすが出るほど。早いうちに前売りを買うておいてよかった。会のプログラムは以下の通り。

 一昨年の一門会はもう少し珍芸が多かったと思うけれど、今年は追善のため、落語主体。ゲストコーナーはその時まで出演者がわからなんだが、司会の三枝がゲストを紹介するたびにどよめきが。そらそやな。桂春團治、桂文枝、笑福亭仁鶴、柳家小三治、熊谷真美、桂ざこば、笑福亭鶴瓶とこれだけのメンバーがいくら座談会とはいえ一堂に会するというのはめったにありませんで、ほんまに。枝雀師匠の思い出や藝をそれぞれの立場から語る。小三治の啖呵を切るような追悼の言葉が、かえって胸にしみる。明日のゲストは村松友視、早坂暁といった作家の方たちらしいけれど、私は今日のように藝人さんたちが洒落のめし笑いのめしながら、というのが本音と建て前が入り交じってよかったと思う。
 落語については、どの高座も実に素晴らしかった。一期一会というけど、こういう会でなかったら聞かれへんような熱演といえるのやないやろうか。中入りをはさんでなんと4時間。たっぷりと楽しませてもろうた。
 ただ、桂枝雀の高座がないという事実を眼前に突きつけられた。一昨年の一門会で「三十石」を枝雀−米朝とリレーで演じた、その高座をふと思い出す。ただ、こうやって祭壇に手を合わせ、お弟子さんたちの口上を聞いたことにより、一ファンとしてもなんとか気持ちに区切りをつけることができたようにも思う。
(文中、一部敬称を略しました)

 明日は「たちよみの会」。お盆の真っ最中で出席者も少ないことが予想されますが、気の向いた方は顔を出してみて下さい。

8月15日(日)

 今日は「たちよみの会」。お盆のさなかにもかかわらず細井威男さん、おがわさとしくんが参加してくれ、会話が弾む。おがわくんが今描いている新作の生原稿を持っていて、見せてもらった。どこに持ち込むかはまだ未定やそうやけど、なかなか面白い。どこか採用する雑誌があればいいのに。

 散会後、妻と私は墓参りに。祇園は八坂神社の奥にある東大谷本廟へ。毎年墓参りは昼間に行っておったんやけど、今年は暗くなってからお参り。毎年新聞やTVで報道している「万灯会」を初めて見る。墓地は東山の斜面にひろがっているんやけど、ここが数多くの灯明で埋め尽くされていて、絶景。この灯明、電気やないんやで。灯籠を彩る明かりはすべてろうそく。明かりの色がなんともいえずまろやか。こんなにきれいなもんやとはついぞ知らなんだ。
 今日は、一日降ったりやんだりやったけど、朝の庭掃除当番の時もお参りの時もうまいこと雨があがってる。なかなか運がええのと違うやろうか。
 とにかく、「万灯会」は実に美しかった。明日は五山送り火か。京都の夏もそろそろ終わりに近づいているんやなあ。大阪の夏はまだまだ続きそうなくらい蒸し暑いけど。

 今日は歩きまわって疲れてるんで、この程度で堪忍してね。いつもよりはましですか。それを言われると辛い。

8月16日(月)

 今日はかかりつけの医者に薬をもらいに京都へ行く。
 H急電車に乗って座っていたら、隣の車両から知的障害のあると思われる若者が入ってきた。自閉的傾向があるんやろう。大きな声で意味のわからん言葉を発し、体をゆすりながらこちらの車両、あちらの車両とうろうろしている。
 さて、こういう人を見かけたら、どうすればよいか。これがなかなか難しい。どうやら付き添いもなく一人で乗っているみたいやから、黙って座るように声をかけたら指示はとおるとは思う。ただその場合、声を荒げたらあかん。パニックを起こす可能性があるからね。自傷のパニックやと自分の手をかんだり頭をたたいたりというようなことになる。他傷のパニックやと、注意した人、その周囲の人、あたりの器物に攻撃を加える。下手に叱りつけたらパニックを起こしてガラス窓を割るというようなケースも考えられるわけです。まあ、そういう人は家族が一人で電車に乗せんようにはすると思うんやけど。可能性はゼロやない。
 また、隣の車両にちゃんと付き添いの人がいるということも考えられる。もしそういう人がいた場合、あえてその障害者を好きにさせているからにはなにか理由があるはずで、いくら私が養護学校の教師であっても、介入はでけへん。
 もっとも、電車に乗せられるぐらいであれば、ほっておいても特段害はないものとして扱われているんやと考えるべきやろうね。他に害を及ぼすほど自閉のきつい人にはたいてい保護者がついているものです。もっとも、ついてなあかんのに、家族が勝手に「ついてなくてもええやろう」と判断してしまうケースもなくはないんで、そこらあたりの判断も難しい。
 結局、彼は隣の車両でやじろべえみたいな動作を繰り返して奇声を発してはいたものの、目的の駅でちゃんと降りてしっかりした足取りで階段を上がっていった。
 私はそれよりも隣に座ってた向かい側の奴とでかい声で話をしてた中学生の方が、自分らのマナーが悪いことを理解し制御もできる分だけたちが悪いと思うたね。
 先に書いた障害者の人は、自分の行動を社会の規範と照らし合わせて制御するという機能に障害があるからうろうろしてるんであって、誰かよくわかった人がついてなかったら制御でけへん。乗客がそのことさえわかってたら、対処のしようもある。
 くだんの中学生たちは障害者の奇声を笑うていた。人の迷惑をかえりみずに大声でくだらん会話をしている方が、彼の奇声よりも迷惑やし、人間としての質が低いのと違うやろうか。

8月17日(火)

 奇妙なEメールが送られてきた。
 本文がないんだ。添付書類だけ。その添付書類のタイトルは「日本テレビよりのお知らせ2」とかいうタイトルがついてて拡張子docがある。私の使ってるパソコンはマッキントッシュ。書類を開こうとしても「書類を作成したアプリケーションが見つかりません」という表示が出るだけ。どうやらウィンドウズでないと開かんらしい。
 今日はたまたま仕事があって職場に行くことになってたんで、職場のパソコンで開いてみようかとも考えたけど、結局やめた。妻も「やめといた方がいいよ」という。もしこれがウィンドウズ用のウィルスを送りつけてきたんやったら大変やからね。
 メールの宛先を調べたら、私だけやない、かなり大量の人にいっぺんに送りつけてる。メールにはなんも書いてないというのも怪しすぎる。私はうかつが服を着て歩いているような人間なんで送られてきた添付書類をすぐに開いてみようとした。もしウィンドウズ環境やって、ウィルス感染でもしたらえらいこっちゃ。
 しかし、送りつけた奴は何を考えてるんやろうね。メール本文がなかったら、普通の人間やったら怪しむと思うよ。「日本テレビよりのお知らせ2」というタイトルも興味をひきそうに思うけどかえって逆効果やないやろか。それともこの世には私のような服を着たうかつがようけいるのか。
 というわけで、「日本テレビよりのお知らせ2」なる書類の正体はわからずじまい。どうせダイレクトメールの類と思うたら正体なんかわかったところでたいしたことはなかろう。
 いうてもね、恐いもの見たさというのもあるねんよ。誰か正体をごぞんじの方はいはらへんかな。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は木曜日深夜の予定です。

8月19日(木)

 昨日は林譲治さん、天羽孔明さんと会食。天羽さんとは初めてゆっくりお話をしたんやけど、落語の話で盛り上がる。落語通の天羽さんと話をしていると、いかに自分がものを知らんか痛感させられた。しかし、久しぶりにたっぷり落語の話やら創作の話やらでけて非常に楽しかった。

 17日の夕方、CD屋に注文したCDが着いたと今日の夕方に電話があった。早いなあ。本屋で本を取り寄せてもろたら、やっぱり1週間くらいかかるというのに、えらい違い。注文したCDは別に売れ筋のCDやないんですよ。大きいCD屋をまわって見つからなんだ落語のCDやから、倉庫に常備してあるということもないと思う。そのCD屋が全国展開してる老舗のチェーン店やということを割り引いても、これはやっぱり早いよ。
 本の場合、取次が介在するということで時間がかかるということをきいた。CDかて取次の会社があるはず。私の記憶では今回注文をしたCD屋は取次の会社も兼ねていて、一時は業界最大手のひとつであったチェーンやから、こういう芸当ができるのかもしれん。
 「レコード芸術」で以前に読んだ記事では東京にあるCD流通センターのCD検索は非常に機能的やそうです。なるべく早く注文されたCD0お客の手元に届けられるようにというシステムが完成してるらしい。
 私はどうしても書店と比較してしまうんやけど、本の場合は版型やら種別やら多岐にわたってるから、CDみたいにはすっといかんのやとは思う。それでも、こうやってCDが迅速に手元に届いたりなんかすると、本もなんとかならんもんかなあという気になってしまう。そういう意味では、本の場合は特にネット注文という方法が大きな意味を持つようになってくるかもわからんね。

 前回に書いた「奇妙な添付書類」の件ですが、冬樹蛉さんのご教示で、特にウィルスということではなかったことが判明しました。しかし、あんなやり方やったらメールを送りつけて宣伝をする効果はないと思うぞ。

8月20日(金)

 ロビー・ラカトシュ・アンサンブルはいいぞいいぞ実にいいぞ。
 などと書いただけではなんのことやらさっぱりわからんと思う。説明しよう。
 ロビー・ラカトシュというのはハンガリーのジプシー・ヴァイオリン弾きである。太って縮れた毛をのばし鼻下にひげをたくわえた奇怪な風貌で、悪役商会の丹古母鬼馬二みたいだといえばわかると思うが、よけいわからん人もいるかもしれんが、とにかく若い女性が黄色い声を張り上げたくなるのとは正反対のおっさんですわ。ところがやね、このヴァイオリンが実にうまい。野趣があり豪快かつ繊細。アンサンブルにはジプシーミュージックには欠かせんツィバロンという民族楽器も入ってるけど、この音色が東洋風味でまたいい。
 クラシックはもともとあまりCDが売れていなかったんやけど、カラヤン、バーンスタインというようなスターが死んでからはますます長期低落傾向にあった。打開策という感じでピアソラのタンゴを録音したりしてきてそれなりに上向きにはなってるみたいやけどね。クラシック名門レーベルの「
ドイツ・グラモフォン」が、何を考えてジプシー音楽のラカトシュと録音契約を結んだかようわからんけど、閉塞してる状況を打破しようとしてるということかな。
 まあそんなことはどうでもよろしい。本場物のチャルダーシュはもちろんのこと、ロシア民謡からウィンナ・ポルカ、ミュージカル・ナンバーにジャズとあらゆる音楽をラカトシュ自身の音楽に消化してばりばりばりと弾きまくり、歌い上げる。
 最新盤は「ブダペスト・ライヴ」。演奏のノリもよいし曲目もバラエティに富んでいるので、どなたも楽しめること請け合い。私は輸入盤で買うたんやけど、雑誌の広告を見たら国内盤にはボーナストラックとして「だんご三兄弟」が収録されてるとか。せっかくのライヴ盤になんでそういういらんおまけをつけるかな。
 ラカトシュが来日したら、ぜひ一度生で聞いてみたいなあ。


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