ぼやき日記


8月1日(日)

 夏祭りも無事終了。ばたばた走りまわっているうちに1999年7の月が終わってしまいました。終わってしまえばあっけないもんですな。私、もう少しどきどきすると、長年思うてたんやけど、人間というのは目の前が忙しいと人類の運命なんてどうでもええように感じるんかねえ。

 先日、さる出版社より本をいただいた。たいていは「謹呈 著者」「乞御高評」というような紙がはさんであるだけなんやけど、この出版社は担当の編集者の方が手紙を書いて同封している。それはええんやけど、どうも敬語の使い方が妙なので、その本を贈って下さった作家の方の了解を得て、ご紹介することにしよう。ただし、出版社、著者、本のタイトルは伏せておく。

拝啓
 小社より刊行させて戴きました書籍、
××先生著『○○』
を××先生のご依頼によりご郵送させて戴きます。
お忙しい中誠に恐縮ですが、ご高覧を賜りますよう、宜しくお願いいたします。
敬具

 一生懸命敬語を使っている気持ちは分かるんやけど、なんだかへりくだりすぎてものすごく卑屈になっている。「刊行させていただきました書籍」といわれても、私はその本の刊行に何ら関与していない。別に恐縮していただくほどのこともないし。
 あと、「拝啓」ときたら、次は時候のあいさつやないかねえ。「時下ますますご清栄の段、お喜びを申し上げます」という便利な文例があるんやから、そちらでもかまわんでしょう。この用法であれば、「前略」を「草々」で受ける方が自然やと思う。
 敬語は難しい、という。そやけど、この場合、自分でわざわざ難しく難しく考えていってこんな文面になったような感じがする。事務的な文章は「生活ものしり帳」の類で文例を調べて、そのまま引き写したらそれでも別段礼を失したことにはならんと思うけどね。
 文は人なりというけれど、一生懸命敬語を使って頭を下げながら仕事をしている様子がこの文から浮かんできた。きっと、この方は普段から敬語を苦手にしてるんと違うやろか。
 もっとも、私も常に適切な敬語を使うてるかどうか、いささか心許ない。こんな所でえらそうなことを書いていて大失敗してることもあるかもしれん。自戒せねば。

8月2日(月)

 昨日の深夜、この日記を更新したあと、布団に寝転がって妻と毎度変わらぬ無駄話をしていた。ええかげん遅うなってるのに風呂にも入らんと何をしておるか。蒸し暑いので窓を開けて風を通していた。ま、ここまではようある話。
 私の枕の向こう側でなにか動いた。薄茶色いかたまりですわ。最初は衣類が風で揺れたんかと思うたけど、それにしては動きがおかしい。ちらりとそちらに視線をやるとやね、なんと子猫がおるんですわ。うちは生き物は飼うてない。妻が勝手に飼うてるのが出てきた、ということはまずない。妻は犬派で猫はさほど好きというわけやない。飼うんやったら犬。
 うわあ、どこから入ったんや。うちは団地でも階は上の方ですよ。そんなひょこひょこ猫が入れるような場所と違うよ。どこかを伝ってベランダから入ってきたらしい。妻もびっくりして一瞬かたまってしもうた。
 そのあとようよう捕まえてドアの外に放り出す。野良猫らしく、首輪もしてない。ドアののぞき窓から見たら、じっと「私、可愛いでしょ」というような感じでこちらを見ている。あかんでこれは、このままやったらまた入ってきよるで。というわけで、ほうきでシッシッと追い立ててなんとか団地の庭までおろす。
 不思議やなあ、おかしいなあ、今まで猫なんか入ってきたことないのになあ。二人して首をひねりながら、風呂に入って窓を閉めて扇風機をつけて寝た。
 明け方5時頃か、震度3の地震がきた。かなりがたがた揺れて、正直恐かった。
 今日、妻がふと「あの猫、地震がわかったんでうちに避難しにきたんと違うやろか」という。そうかもしれん。たいていの家はエアコンをいれてて窓は閉まってる。うちは夫婦揃って冷房に弱いんでエアコンはいれてない。たまたま窓を開けていた上にあかあかと電灯をつけていたわけで、猫にしたら、ここやったら入れると安心して逃げ込んできた、ということかもしれん。動物にはそういう天災を予知する能力があるらしいからね。
 とにかく猫になんべんも入られたらたまらんので、二人して一致協力し、甘い顔は見せずに徹底的に排除したはずやのに、妻ときたらさっきこんなことを言うのや。
「また猫が入ってこないかな」。
 入ってきてほしかったんやったら、餌でもやったらよかったんでしょ。なんのためにほうきで追い払うたんやら。

8月3日(火)

 昨日サンテレビのナイターを見ていたら、タイガースの中継2000試合を記念した放送やった。関西以外の方に説明いたしますと、サンテレビは神戸にあるUHF局で、「サンテレビボックス席」というナイター中継は試合開始から終了まで完全中継をうたい文句にしている。いつぞや深夜0時25分まで試合があったときも、むろん完全中継。タイガースの中継でもっているようなTV局やというと、関係者に怒られるか。それ以外は釣り番組やらテレホンショッピングやら古い映画ばっかりやってる。古い映画に時々掘り出しもんがなくはないけれど。
 で、記念番組のゲストは、女優の千堂あきほと元タイガース監督の後藤次男さん。
 後藤さんは懐かしうて懐かしうて。サンテレビで25年にわたって解説をしてはったんですよ。私ら子どものころ、解説というたらまず後藤さんやったね。私の場合はKBS京都でサンテレビのナイターを見てたんやけど、熊本訛の混じるおっとりした口調で「そうですねえ。今のバッティングはよかったですねえ」とこの人はほんまに連続打席最多打点記録をもっていた大打者やったとは信じられんくらい当たり前の相槌を打つんやけど、これがまた味があってよかった。年齢でいうと、球界の長老クラスのはずなんやけど、ご意見番の水戸黄門の大久保彦左衛門のというような呼ばれ方をされへんのが好きやねえ。いくつになっても若い頃からの愛称「クマさん」で呼ばれ続けている。元気でいてはるねんなあと、実に嬉しかった。
 ここを読んでられる方で、現在関西以外の地方におられるタイガースファンのみなさん、後藤さんはお元気そうでしたよ!
 さて、その後藤さんに谷口アナウンサーが「これまでの外国人選手と比べると、後藤さんはジョンソンをどう評価されますか」ときく。生き字引みたいな人やけど、辛辣なことを言わない人やから、どない言うかと耳を傾けてたら、「そうですねえ」といったあと、口ごもって言いにくそうに「中……ですかなあ」。そらそうかもしれん。後藤さんが監督をしたはったときにはカークランド、ラインバック、ブリーデンと球団史に残る外国人選手がいてたからね。
 この放送ではイニングの合間に江夏、田淵、遠井、バース、掛布、岡田、真弓ら歴代の名選手のビデオ映像が流された。ああ、田淵のホームランの美しいこと。江夏はノーヒットノーランの試合を自分のサヨナラホームランで決めた、あの映像。ブリーデンのホームランは迫力があったんやなあ。
 そういう映像のあとに現在のタイガースを見せつけられると、実に辛い。

8月4日(水)

 妻から「温泉に行こうよー」としょっちゅう言われてたんやけど、ものぐさな私は、「いずれそのうち」などと返事をして実行に移さずにいた。
 この前「なあなあ、宝塚温泉で泊まって『手塚治虫記念館』に行こうよー」と言う。日帰りで行けるところをわざわざ泊まらんでも。どうせ泊まるんやったらちょっと遠いところの方がええやん。というわけで、この蒸し暑い夏に温泉に行くことにした。せっかくやから山手の方が涼しいてよかろ。で、有馬温泉に行き先を決める。教職員互助組合の補助で少し安くなる宿があるのが決め手。
 さっそく予約をし、補助券の交付を受けて段取りができた。次の日曜日は温泉や。二人で旅行するのはこれが初めて。いっしょに同じところに外泊したことはあるけど、これは「京都SFフェスティバル」の合宿やから、旅行とはいわんもんな。
 どんなもんがあるんかガイドブックを買うてきて見たり、区分地図で場所を確かめたりする。いやこの、有馬というのは大変なところにあるんですな。宝塚からバスで行く予定やけど、途中には「蓬莱峡」なる場所がある。蓬莱の向こうでっせ、蓬莱の。アイスキャンデーと違いまっせ。六甲山の方には「仙人窟」というところもある。昔は仙人が住んでたようなところですか。他にも「鬼ヶ島」「水無滝」「極楽茶屋」と等高線のしましまの上にどんな場所やろうと思う地名が書いてある。有馬温泉からは離れてるけれど、しましまの具合からいうと温泉が湧いてなかったら有馬かて同じような場所やったのと違うやろか。
 避暑にはもってこいですな。とにかく私らの住む大阪府パナソニック市はもともと湿地帯やったということもあるのやろう、蒸し暑いことこの上ない。空気も悪い。一泊だけでも美しい自然を楽しみたいもんです。夜には河原の特設ステージでライヴ演奏があるというのも楽しみ。
 その前に書評の原稿を書いてしまわんとあかんなあ。有馬から帰ってから、ではちょっと書けへんやろうなあ。

8月5日(木)

 書評の原稿をなんとか書き、送稿。編集長からもOKが出て、ひと安心。しかし、いつものことやけど、1行目が難しい。私は必ず前振りをしないと書評が書けへんのです。「1行目が書けん」とほたえていたら、妻が実に的確なアドバイスをくれる。
「2行目から書いたら?」。
 なんとありがたいお言葉。そんな器用な真似は、私には無理やというに。

 これだけでは愛想がないので、もう1つ小ネタを。
 夕刻書店に行くついでに、妻に頼まれた買い物をしにスーパーマーケットに寄る。
 特設の籠があって「すいか風メロンパン」という札が立ってる。なんじゃいなと見てみたら、表面が濃い緑色のメロンパンが売ってある。パンの生地は赤く染めてあり、種に模したチョコチップが見え隠れしてる。
 これ、なにも「すいか風」などと銘打たず「すいかパン」でええんとちがうやろうか。メロンパンかて別にほんまもんのメロンが入ってるわけやないんやからね。メロンの香料の入ってないのは「サンライズ」という名前で売ってあるやん。「うぐいすパン」はあんこが緑色なだけでその名がついてる。「かにパン」にいたっては、かにの形をしてるというただその一点で「かに」を名乗っておるのだ。「すいかパン」と名づけて都合が悪いということはあらへんと思うけどね。
 しかし、色味だけでもいかにも体に悪そうなパンやなあ。作ってるのは松たか子デザインと称するエプロンが当たるプレゼントをしてる大手パン会社であります。こんなもん売れると思うてるんやろか。誰が買うんやろ。こんなものを買うのはかなりの物好きに違いない。
 というわけで、明日の私の昼食は「すいか風メロンパン」であります。

8月6日(金)

 今日は近くの「市民文化会館」で落語会があったので聞きに行く。前売り1000円で4席聞かれるのはありがたいことです。
 演目は桂文弥「七度狐」、月亭八天「遊山船」、桂小春團治「くっしゃみ講釈」、林家染丸「猿後家」。ちんまりとした和室でくつろいだ雰囲気がいい。小春團治が熱演。地元出身ということもあって、昔近くにあった場末の映画館の話題を枕にふっておおいに受けていた。
 3本立ての上映なのにその3本になんの脈絡もない、床がなんとなくねちゃついていてゴキブリホイホイの上を歩いてるみたいやった、あちこちの映画館をたらい回しにしてるのでフィルムに傷が付いて雨が降ってるみたいやった、上映途中でフィルムが切れてつなぐまで待ってた。いやあ、なつかしいなあ。私の生まれ育った京都の一乗寺に「京一会館」という映画館があって、ここはプログラムがしっかりしていて「黒沢明特集」とかテーマをちゃんと決めてたり、「映画祭り」という全国から人の集まる催しをしたりしている有名な場末の映画館やった。へんな言い方やけど、ほんまに場末の映画館やったんですよ。名画特集の次の週は「団地妻特集」やら「団鬼六特集」をやる。そのくせ何度か閉館の危機を迎えるとその度に大島渚監督らが呼びかけて「京一会館を存続させる会」かなんかを作るというような。一時は日本で一番有名な場末の映画館やったんと違うやろか。
 ここの床もやっぱりにちゃにちゃでした。フィルムの状態もあんまりようなかった。
 ずいぶんと昔に閉館したけど、小春團治の枕をきいてふと思い出したね。そういえば、この「場末の映画館」というのが最近はずいぶん減ったように思うね。映画産業が斜陽というのはこういうところに一番現れてるんやろうね。

8月7日(土)

 今日は妻の実家へ。途中、K鉄電車に乗る。私の住んでるところはK阪沿線。乗り慣れた電車と違う電車に乗ると、雰囲気も違う。K鉄は、車両に乗り座席に座ろうとする時、「ああここがあいとるな」という感じでのんびり座れる。いかに混んでてもゆったりした感じ。いつもやとそうはいかん。どんなにすいてても乗客は血眼になって座りに行く。がらがらでも「なんとしても自分の座りたいところに座るんや」という感じやね。
 以前、K阪のある駅で電車が来るのを待ってた時のこと。私は列の一番前に立ってたんだ。で、電車が来た。私は新刊書を山ほど買うて荷物が多かったんで、一番はしっこの席に座りたかった。また、座れる位置にあった。ドアが開いて、私はすっと自然にドアの横の席に座ろうとしたね。そしたら、私の前を一陣の風のごとく何者かが横切り、次の瞬間には座ろうとする私の尻に誰かの尻が当たる。私はそのまま尻を落とした。すっと横を見ると人相の悪いおっさんが私を見つめてる。私、びびりましたよ、正直。ここで「なにすんねん」とか言うてみ、「なんやねん」と言い返されたら、私、腰抜けるよ。そんな度胸あらへんもん。そやからいうてやね、「すんまへん」と席を譲らんなん理由はあらへん。こういう時はぼけるに限る。幸いヘッドホンを耳につけてたから、おっさんのことには気がつかなんだという感じになってたから「は?」とアホみたいに口を開けて言うてみた。おっさんは何も言わんと私の隣に座ったけど、対角線上にあいてるはしっこの席を見つけたら、さっと移動した。そのおっさん、急行の駅3つ目くらいでおりたんやで。あのはしっこの席への執着はなんやったんかね。
 とにかく毎回椅子取りゲームみたいな電車に乗ってるからね、ゆったりした座り方のできる電車に乗ると同じ大阪でもなんか私鉄沿線によってここまで違うかと思うね。
 K阪電車でなるほどと納得したのは、駅から出るときに「ドアを閉めます」とアナウンスすること。他の電車やと「ドアが閉まります」とまるで勝手にドアが閉まるみたいに言うけど、車掌さんがドアを閉めるスイッチを入れてるんやからね。「閉めます」と強い意志を持って言い切るのは説得力があると思うね。ほんま、電車によってこんなに違うかと感心することは多いね。

 明日は有馬温泉で一泊。次回更新は月曜の深夜の予定であります。

8月9日(月)

河川敷特設ステージ
 夫婦で有馬温泉に行ってまいりました。昨日の正午に出発、宝塚からバスに乗って、山道を抜け、家からなんと3時間ほどで到着。これでも温泉旅行は温泉旅行。
 駅前をうろうろしていると、なにやら河原のところに工事の足場が組んである。護岸工事をしてるんかいなと思うたら、なんとこれが特設ステージであったんですな。「あそこでジャズのライヴがあるの?」とやや半信半疑。しかし、ここ以外にステージらしきところはなし。まあええわいと旅館に。
 教職員の互助組合が斡旋している宿であるのであまり大きな期待はかけてなかったんやけど、これがまあ上等な宿。入るとお香が焚きしめてあって、ほのかに香る。まずはお薄をいただく。お抹茶もお菓子も上等。仲居さんは若い人ばっかりやけど、接客態度もよい。いたるところに野の花が素朴な花器に活けてある。いっぺんこんな上等な旅館に泊まったら、他の宿には泊まられへんのと違うやろか。
温泉源
 で、せっかく来たんやから観光をしようと有馬を散策。あちこちに温泉源が。写真はそのうちのひとつ。ポンプでくみ出した温泉をパイプで周辺の宿にまわしているということらしい。あと、太閤秀吉が入った露天風呂の遺構が展示してあったり、なかなかにおもしろい。なんでも奈良時代に僧の行基がここを湯治場として開いたということで、行基の銅像はある太閤はんの銅像はあるおねねの銅像もある。
 旅館に戻って風呂に。薬湯は赤茶けた色をしてる。これは「金泉」というんやそうです。透き通ったのは「銀泉」。標高が高く涼しい。そやから湯につかって体は火照ってても暑苦しさはない。
 夕食がまたうまかった。いきなり板前さんが来て目の前ではもちりを作ってくれはったりと趣向を凝らしてあって、腹一杯になってもまだ入る。
 食後、河川敷特設ステージへ。有馬に来た目的のひとつがこれ。
 
田中啓文さんがいるジャズバンド(名前は知らない)の演奏で田中哲弥さんも特別参加してる。これを楽しみにしてたんです。
熱演中
 私はクラシックならどんな曲でも最初の一音で作曲家とタイトルと作品番号がわかるわけはないが出だしだけでだいたい見当はつくんやけど、ジャズの曲は全然知らない。なに知らなくとも田中啓文さんが立ち上がってソロをとっているときに「ぶっぶぶっぶぶ、ぶっぶぶっぶぶ」とおんなじ音をリズムに乗せてえんえん繰り返しているのがアドリブのギャグであることくらいはわかるぞ。かっこええんです。ジャズメンなんです。田中哲弥さんは演奏中は緊張の面もち。
 MCというのですか、曲の間のおしゃべりは田中啓文さん。だいたい1ステージだけの予定が休憩をはさんでもう1ステージやることになったそうだ。北野勇作さんも来たはって、休憩中に田中さんたちとわあわあおしゃべりしてたらお姉さんがたこ焼きを売りに間に入ってくる。私ら夫婦は最前おなかいっぱい食べてきたところやので腹に入らん。いらんいらんというのにしつこいお姉さんやったぞ。
 さて、第2ステージが始まり、まず1曲。曲が終わって啓文さんが「エー、今の曲は『警告あります』という題で……」笑うてるのは私や妻や北野さんだけやないですか。わずか数名のためだけにわけのわからんギャグをとばすという。並んで座ってる3人だけやたら受けてまわりの者は「こいつらなんやねん」というようなたまらん状況です。
 田中啓文さんはやはり田中啓文さんであった。
 とても楽しいライヴでありました。ライヴ終了後、いっしょに飲んだりする時間がなくて残念。
 今日は朝風呂に入り、帰り、宝塚で「手塚治虫漫画記念館」に寄ってから帰宅。
 帰ったら、
あつーいあつーい。汗だらだら。よくあるパターンでは帰宅第一声が「あー、やっぱり家が一番やねえ」。うちは違いますな。「もっと有馬にいたかった」。旅館はよかった、風呂は気持ちよかった、ライヴは楽しかった、涼しかった、涼しかった、涼しかった。いかによい旅であったか二人で反芻しつつ、土産物屋で買うてきた「炭酸せんべいの割れ」をぼりぼりかじるのでありました。

8月10日(火)

 ホームページ開設以来、1年と10ヶ月たった。現在使用中のパソコンを買うて2年と少しという勘定か。
 それまではずっとワープロ専用機を使うていた。今ではなんでもかんでもパソコンを使用してる。
 で、ワープロ専用機を使うてたころに書きかけてうまくいかずにほっていた童話を改稿しようとして、困ってしまった。私の現在使うているパソコンと互換性がないんである。そのワープロの場合、MS−DOS文書に変換することはできるので、もし私がウィンドウズのマシンを使うていたら問題はないんやけど、私が使うてるのはMacなんですな。それでもこのMacには「PCエクスチェンジャー」なるプログラムが入ってるんで、なんとかなると思うたんですわ。実際、ウィンドウズ95以降で作成したテキストはなんとか変換できる。ところが、古いワープロのMS−DOS文書がどないもならん。私がワープロを買うた時にはまだウィンドウズ95は出てへんかったということもあるのかもしれんけど、どうやらフォーマットが古すぎて2年前のMacでは対応でけへんみたい。
 できれば、ワープロをつかって改稿するよりも今使ってるパソコンを使いたい。たぶん、ウィンドウズのマシンなら多少フォーマットが古うても読み込むと思う。しかたないので、久しぶりに職場に行き、学校のパソコンで変換することにした。
 原チャリで走って気がついたけど、遠いんですわ。ようこんなん毎日通うてるなあと思うくらい。これでうまいこといかなんだらアホやでと思いつつ、職場のパソコンにFDを差し込む。私、ウィンドウズの知識が少ないせいか知らんけど、なかなかうまいこといかん。文字化けはする、読み込みはでけん。こら失敗したかなと何度かやってるうちに、でけたでけた。
 「メモ帳」というアプリケーションで開いたら、ちゃんと出た。あとはそれをウィンドウズでフォーマットしたFDに移し変えたらええだけや。
 今日は童話の原稿だけしか変換せんかったけど、書評の原稿なんかも次々と変換して、このサイトに収納しよう。
 しかし、ワープロ専用機はいいところもたくさんあるんやけど、こんなに互換性がないとほんまに困る。なんでMacのフォーマットでもいけるようにしてくれへんねん。それともサブマシンにウィンドウズのものを買えということ? ビル・ゲイツなんかきらいやあ。夏休みの間は、テキスト変換のためだけにいちいち職場に行くのは面倒やし時間ももったいないよなあ。


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