ぼやき日記


9月21日(火)

 運動会もまだだというのにもう学習発表会の準備をしなければならん。
 今年は3年ぶりに台本を書くことになった。3年前は自作「おどりじいさん」を自ら台本化したものやったけど、今年は「西遊記」をベースに劇ともレビューともつかぬものにする予定。キョンシーが飛び跳ねたりチャイナ娘が踊ったりドラキュラやら鬼太郎やらなんでもかんでも出してやるという出鱈目で無茶苦茶で派手で楽しいものにしたい。
 で、打ち合わせをしているときに、20代前半の若い女性の先生がぽつっと言うた言葉に、私はいささか愕然とした。
「『西遊記』って、なんかイメージがわかないんですよ。三蔵法師とか孫悟空とか知ってるんやけど、舞台になったときにどうなるのか、つかめないんです」。
 うーむ。そういえば、最近は手塚治虫の「悟空の大冒険」や堺正章、夏目雅子の「西遊記」を再放送したりしてないなあ。私らの子ども時分は、絵本でも「そんごくう」というのはけっこう人気の高いものやったと思うし、実になじみ深いものやないかと思うんですけどね。
 彼女と同世代の男性の先生にもきいてみたけど、やっぱり同じような答えが返ってきた。こういうところに世代間のギャップがあるとは意外やった。
 というわけで、彼女に「西遊記」のイメージを持ってもらうために、私の秘蔵のビデオライブラリー(そんなたいそうな)から、前記の2作品を貸すことにした。うっふっふ、これでばっちりイメージ化してもらうでえ、とデッキに入れてテープを見返してたら、「かえって歪んだイメージを与えてしまうんと違う?」と妻に言われてしもうたが、ええい、かまうもんか。だいたい原典の「西遊記」完訳版をちゃんと読んでる人の方が少ないと思うぞ。私は平凡社版のを読んだことがあるから、それだけはちょっといばれる。他にいばれるところがないのでこういうところでいばらねば。なに、あなたはお読みですか。気にしない気にしない。
 さてさて、彼女の目に映る「西遊記」ははたしてどんな印象を与えてくれるであろうか。ぜひ感想をききたいもんです。
 関係ないけど、久しぶりに実写版「西遊記」を見直して、夏目雅子の美しさにため息がでた。夏目雅子の三蔵法師は品があって色香もただよう絶品で実によろしいな。

9月22日(水)

 仕事帰りに最寄り駅の北側の商店街に寄る。フィルムを現像してもらうために写真屋に行くためやったんやけど、その商店街では辻々の電柱にスピーカーがとりつけてあって、しょっちゅうBGMを流してる。どこかで聞いたような曲やねえ。なんの曲やったかいなと記憶を探ったが曲名がでてこない。こういうときはメロディを頭の中で繰り返しておったら、後でぽっと出てくるもんや。
 用事をすませておいといた原チャリに乗ろうとしたところで、出てきたよ、曲名が。
 映画「エマニエル夫人」のテーマ曲やないか。何を考えているか商店街。
 いまどきの若い人は知らんやろうけれど、「エマニエル夫人」というと私が中学生の頃に話題を呼んだエロティクな映画ですぞ。主演はシルビア・クリステル。籐椅子に足を組んで半跏思惟像の如くエマニエル夫人が座るソフトフォーカスのポスターが頭に浮かんできたぞ。
 実は私は「エマニエル夫人」を見たことがないんやけれど、日活ロマンポルノが「東京エマニエル夫人」なる映画を作ったくらいやから、きっとやらしい映画に違いない。なんか当時すごくやらしい映画やと大人気やったんやから、とてつもなくやらしい映画に違いない。あ、急に見たくなってきた。どんなやらしい映画なんやろう。レンタルビデオ屋に行ったらあるかな。もうそんな古い映画はないかな。
 ま、とにかくそれほどまでにやらしい映画の主題曲をBGMに使うとは何か深い意味でもあるのか。だいたい選曲をした人物はなんの曲かわかってかけているのか。もしかしたらかなり若い人が有線でちらっと聞いて印象に残ったので選んだ、というようなこともあり得る。かつて「エマニエル夫人」をこっそり見に行った、現在はかなりええ年をしたおっさんたちは、自分がそんな映画を見に行ったということを知られたくないから指摘できない。おおそうやそうに違いないわい。
 え、なんで私が見てもいない映画のテーマ曲を知っているかですと。同級生のしんたにくんというのが見に行ったというてしょっちゅう口ずさんでたのですよ。そのしんたにくんというのは私のことではありません。決してないっ。
 しかしなんですな。冗談抜きで、中学生くらいの年頃の記憶力というのはすごいもんですな。同級生の鼻歌まで記憶しておるのですぞ。そんなものは憶えんと公式のひとつでも憶えといたらええというのに。まったくアホなことだけは憶えてるもんやねえ。

9月23日(木)

 台風が近づいてるというのに朝からいい天気。午前中いっぱい太陽は燦々と輝き青空は澄み渡り、しまったこれやったら洗濯をしておけばよかったと思うていたら、昼頃から一天にわかにかき曇りとどろとどろと音のする豪雨となる。やれやれ洗濯物を干しておったらずくずくに濡れてしまうところであった、洗濯をせんでよかったと安堵するが、1時間ばかりであがり、また青空が見える。やはり洗濯をすべきかと思いながら、いやいやまだまだ油断はできんと様子を見ていると、やっぱり強い雨が降ってきた。そうだそうだ洗濯をしなくて正解やったと思うと、これもまたほどなくやむ。雲はなく月も星もきれいに見える夜空を見上げながら、今さら洗濯をしても遅いなあと思うような、そういう一日やった。
 そやからというて、一日洗濯の心配ばかりしてたわけやないんですけどね。

9月24日(金)

 台風が通り過ぎた夕方、窓から外を見ると、なんともいえん薄紫の光があたりをつつんでいた。たぶん、夕焼けが偏光の関係でそういう色になったんやと思う。雲の具合とか、大気中にばらまかれた砂埃やとか、そういうものの反射が関係あるんやろうね。
 しかし、なんとも気持ち悪い色やなあと感じた。本来は夕焼けで赤い空になるところが、薄暗い紫色なんやから。いくばくかの知識があるから、これは光の反射の関係なんやとかそういう意味づけができて、それを合理化してしまえるわけやけど、知識がないと実にこの禍々しいものに感じて、台湾の地震やとか名古屋の竜巻やとか天変地異と結びつけたくなるんやないやろうか。
 ほどなく、空は夕焼けらしい赤に。夜になると中秋の名月が美しい姿を現した。風にながされただよう雲が通りすぎるたびに、月の光がぼんやりとにじむ。これなんか、うち続いた災害が夕焼けによって洗い流された、というような意味づけをすることもできるね。そんな意味づけをしてどうするというわけやないんやけどね。
 出し抜けに妻が「ああ、お月さんが動いてる」。違うがな、動いてるのは雲。「お月さんが動いてるんやで」。あんた何時代の人や。
 しかしまあ、空の色や月や雲に何か意味を持たせたくなった昔の人たちの心境がなんとなくわかる秋の夕暮れでありました。

9月25日(土)

 お彼岸であるので、京都へ墓参りに。しかし暑いなあ。
 四条大橋のところから見える気温を表示した電光掲示板があるんやけど、見るんやなかった。32゜Cやて。暑さ寒さも彼岸までもなにもあったもんやない。このまま秋が来ないで一足飛びに冬になって突如雪が降ったりなんかしたらどないしよ。
 墓参りの帰りにCD屋や本屋に寄る。
 映画館の1階にある大きな書店の店員にはほんまにもううんざり。例によって「カバーはおつけしましょうか」と言うんで「結構です」と答えてしもたのが間違い。前にも同じことをこの日記で書いたけど、いつからこういう場合の「結構です」は断りの意味でなくなったのか。私は「いやー結構結構、つけて下され」と言うたんやないよ。「カバーはいらないんですが」とあわてて言うと、それが気にいらなんだのか仏頂面で。
 私は本を3冊買うたんやけど、もう一人の店員は2冊だけしかレジを打たん。それやったらそれで私はありがたいんやけど、かの仏頂面の店員に指摘されて、あわててもう1冊後から打つ。「レシート2枚になってもよろしいですか」て、それは別にええけど、まとめて打ってもらうと場合によっては消費税が1円安くなったりするからできればまとめて打ってもらいたいんやけど、そうも言われんしねえ。
 いや別にファーストフードの店員みたいに愛想良くしてくれというんやないよ。「いらっしゃいませ。まあ、この本ですか。これ面白いですよ。これを読んだらあの本も読まれてはいかがですか」などと話しかけられても返答に困る。しかし、今日の店員は2人とも集中力が欠如しておる。わざわざお客の並んでないレジに行ったのに。人の話をろくに聞いてない店員と人が何冊レジに本を渡したか確認もしない店員と。
 私は普通に接客してくれたらそれでええんよ。それ以上のことを求めてるわけやないんよ。最寄り駅前の小さい書店のアルバイトの方が、どれだけちゃんと接客してるかしれんね。

9月26日(日)

 今日は運動会のため、日曜出勤で明日は代休。
 仕事やから運動会に行くけど、そうでなかったらあまり行きたくない。
 子どもの時分から、運動会は嫌いなんである。理由ははっきりしてる。足が遅い、体力がない、運動神経が鈍い。三重苦やね。
 小学校の運動会なんか、必ず「徒競走」やとか「50メートル走」というような競技があって、これは全員出なならんという過酷なものやった。4〜6人で競争するんやけど、何人で走ろうと同じこと。私の結果は必ず決まってた。べった、べべ、どべ、どんけつ、びり。どないしたって誰かよりも上にいくということがない。一度だけ後ろから2番目に入ったことがあった。これは、私よりは少しだけ足の速いという奴が途中でこけたので、なんとかそいつより先にゴールしたというもの。今思うと嬉しくもなんともないけど、あの時は「ああ俺はべったと違うぞ」と密かに喜びを噛みしめたものでありました。誰もそんな喜びに気がついたものはおらんかったと思うけど。
 中学にあがると、競技をある程度選べるようになる。一人2〜3種目に出ることとなっていて、私はまず綱引きやの棒倒しやのという自分のどんくささが表面に明らかにならんものを選んだもんです。綱引きで「お前の引きが弱かったから負けたんや」とは言われへんもんね。棒倒しやったら、適当にのこのこと走っていって、一番後ろから飛びつく格好をするだけでも誰も文句は言わんもんね。
 しかし、それでもなにか走る競技には出んならんかった。そこで選んだのが「400メートル走」あたりの中長距離走。これやとたとえ足が遅かっても「最後までよう走った」とほめられることもあったからね。あれは中学2年生の時やったかな。「400メートル走」でダントツのべったになった私は、ええい、ままよとばかりに自分のクラスの席の前を通ったときにバンザイの格好をしてその手を振りながら愛想良く笑ってやった。それがなぜかうけて、席に戻ったら「あれはよかった」とか言う奴までいる。後から走った奴がそれをまねして足下をからませてこけよった。あほなことをするにも、それなりの技巧はいるものである。
 どうも、運動会というとそういう思い出ばっかりで楽しかった記憶がない。また運動会となるとやたら張り切る奴がおるんやね。まあ、そういう奴のためにある行事やと割り切るしかなかったけど、割り切れんものはあるんよ。
 ともかく、運動会は無事終了。よかったよかった。

9月27日(月)

 日曜に出勤して月曜に休むというのは、曜日の感覚を狂わせるなあ。
 ダイエーの「ホークス優勝バーゲン」に行ったんやけど、ダイエーの近くの銀行がちゃんと開いてるのを見て「おお今日は月曜やったんか」と再確認したりする。
 かねてからポータブルCDプレイヤーにガタがきていたんで、ちょうど電化製品1割引ということなんで、買い換えることにした。今使うてるのは、結婚前からずっと愛用してるもので、これまでもCD読みとり部分がぶっ壊れて部品を交換したり、上ぶたを換えたりヘッドホンジャックを換えたりして、トータルしたら新しいのが買えるくらいまでして使うてきた。
 そのうちホールド機能が壊れて鞄の上からボタンが押されて勝手に動き出すようになる、またヘッドホンジャックがいたんできて右側の音声が聞こえなくなる、とまたこれ修理に出したら高くつきそうになってきた。それなりに愛着はあるけれども、これは予備にしておいて、新しいのが壊れたときに使うことにしよう。右の音が聞こえないのに使えるのかというと、これ、コツがあって、ヘッドホンのプラグを動かしたりボリュームのひねりをいじくったりすると、うまく聞こえるようになったりするんですわ。しかしいくらなんでもこれは不便ではある。
 ダイエーの近くにあるディスカウントの電気店に行って価格を調べる。ここの値段とダイエーの割引価格を比べて、安ければ買うということにしたのだ。バーゲンと称して高いものを売りつけられんようにという防衛策ですな。で、1台だけダイエーの値段が下回るものがあった。実は、それが本命の商品やったんで、買うことにする。
 今気がついたけど、トポスにも寄って価格を比べたらよかった。そっちのバーゲンの方が安かったかもしれん。しもた!
 しかしこれ、本が店によって値段が違うたら、私はきっと何軒もまわって一番安い店でまとめて買うんやろうな。輸入CDなんか、そないしてるからね。労力はかかる時間は食う。高いもんでも手近で買うて読む時間を確保した方が賢い、というようなことになるかもしれん。どっちが得なんか、難しいところですな。

9月28日(火)

 なんでこんなにしんどいかな。また風邪ひきの季節になったかな。この日記でも再々書いてるように、私は寒暖の差に弱い。じきに風邪をひく。締切が2つ重なってるのに、原稿を書くというところまで気持ちをもっていけないのはきついなあ。気力と体力にはやはり密接な関係があると思うね。

 「プレハブ」と聞いて、建築現場に立てられた臨時の事務所のような建物を連想する人は、おそらく私と同世代の人やろうと思う。私が小学生の頃、やたら子どもの数が多くて教室が足らんようになり、校庭に鉄骨の骨組みでベニヤ合板を張り合わせてワイヤーを×の形に張って締め上げたトタン屋根の簡易建築物がぽこぽこ建てられた。「プレハブ教室」やと教えられた。生徒の数が落ち着いたら解体できるようになってたわけやね。
 私は小学校の2年の時にプレハブ教室にほりこまれた口。夏は暑い冬は寒い。歩くとぎしぎし音がする。1年生の子は鉄筋の新校舎に入っておったんやから、この待遇の差はひどかった。その時分はなんとも思わんかったけど、今考えるとなんで私らがそういう仕打ちを受けなならんかったんや。突如腹が立ってきたぞ。
 そのころ大量採用されたとおぼしき教師の数がだぶついてきたりなんかして、大阪府だけをとっても教師のが多すぎる状態になってる。
 内部のことを公表するのはなるべくなら避けたいんやけど、どうやら大阪では「教師としてのセールスポイントを自分でアピールできない人はリストラの対象にしてしまうよ」という方針を打ち出しているようだ。私はというと、はたして教師としてどれくらい売り物があるのかな。どうやら物書きをしていることはセールスポイントになるらしいんやけどね。一芸入試やないけど、専門分野で売り物がない人間は、それ以外でもなんとかアピールせんと生き残れんという、なかなか厳しいもんがある。公務員という地位に安閑と乗っかっていられる時代やないんですな。
 しかし、物書きがセールスポイントになるんやったら、原稿を書く時間を作らせてくれよ、と全くお門違いなことを考えてしまう。我ながら自分勝手ですわ。

9月29日(水)

 締切がきてますねえ。原稿書けませんねえ。ラジオでは野球中継をしています。もうじき23時になるのに、まだタイガースとカープは野球をしています。ラジオを聞いていたら原稿なんかとても書けません。頭がぼけてるので一日の記憶がありません。憶えておきたくない嫌なことが職場であったということはありません。あほらしくて思い出したくもないというようなことは起きていません。ごっつ腹が立ってめちゃめちゃ疲れたということもありません。ストレスなんかたまってませんし、出がけに今日は仕事を休みたいとも思いません。私はいたって健康で元気で快調です。大丈夫です。なんの心配もありません。たったこれだけのことを書くのに1時間近くかかっているというようなことはありませんし、いっぺん書いたものがあまりにつまらないので消しては書き直すというようなこともしていません。
 あなたは疑り深い人ですね。今週は書かれたものを素直に受け取るようにすると、人間関係が円滑になります。恋愛運は、朝一番に出会った異性に声をかけると恋が芽生えるかも。ラッキーカラーは黄色。北北東の方角が吉。待ち人来たらず。転宅は決断すべし。失せものは高いところに見つかる。体調は良好であるが深酒は慎むこと。

9月30日(木)

 TVで野球を見る。
 カープとタイガースの試合を見ていたんやけど、時々チャンネルを変えてドラゴンズとスワローズの試合も見る。胴上げの瞬間というのを見てやろうと思うたわけです。広島市民球場と神宮球場の雰囲気の違いというのは激しいものがあったね。かたや最下位争い、こなた優勝決定の試合。比較する方が間違うてるか。月とすっぽん、提灯と釣り鐘、作家と書評家、美女と野獣、愛と誠、ケンとメリー、アリスとテレス、てなもんです。
 広島ではトランペットの音ばかり響いて、なんかしんとしてる。神宮は熱気と歓声が充満してる。チャンネルを切り替えるたびにコントラストが強くなる。
 ぱーぱぱぱらっぱぱーぱぱぱらっぱ、ぷちっ、うおーわーわー、ぷちっ、ぱっぱぱーぱらぱぱー、ぐわおーむおおーぐわあおー、ぷちっ、ぱぱーらぱーぱぱぱらーぱぱー、ぶちっ、ずずーんどどーんずおー、ぷちっ、ぱっぱらぱーぱぱらぱーはあーあタイガースこれでまた最下位です、ぷちっ、うわんうわんうわわわんわー星野監督の胴上げです。なんでこんなに違う。
 なにはともあれ、ドラゴンズ優勝おめでとう。久慈も関川も泣いていた。
「なあなあ、ドラゴンズが優勝したら、どこがバーゲンするの」と、妻。
 そんなんしらんがな。栄の地下街かオリエンタルナカムラとちがうか。シキシマパンの安売りとかノリタケの食器のバーゲンはないのか。
 阪神百貨店がバーゲンするのはいつの日か。
 そんなもの見てんと原稿を書きなさい。原稿が書けるくらいなら野球なんか見てへんわい。誰か助けてくれい。誰も助けへんわい。締切と違うの、どうするの。どうもこうもしようがないわい。
「どうしたん、一人でぶつぶつ言うて。どうしよう、壊れてしもうた」。
 真空管時代の白黒テレビやあるまいし、そんなかんたんに壊れへんわい。あっ、耳から煙が。口から火花が。


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