ぼやき日記


9月1日(水)

 今日は始業式。とうとう夏休みが終わってしもうた。生徒に「夏休みボケしてたらあかんで」という前に、自分が仕事のペースをとりもどさんとあかん。しばらくはしんどいなあと、ぜいたくなことをいうてるね、自分でも。もっとも、こういうぜいたくをするためには必死で受験勉強をして難関を突破せねばならんのやから、これはこれで大変ではある。

 妻と食事をしていて嘉門達夫の歌が話題になる。特に「アホが見るブタのケツ」という歌の着想のよさを2人してほめる。子どものはやしことばをフレーズにして歌を作ってしまうというのは、できそうででけんよ。
 関西以外の地方ではどうか知らんけど、私らは子どものころ、「あっ、あれなんや」「え、どれ?」「アホが見ーるブタのケーツ」というような具合に使っておったのです。
 私が小学校低学年のころ、クラスの連中からよく言われたのは「てっちゃんてっちゃんかねてっちゃん、ちくわとかまぼこちょうだいな」やった。喜多哲士というのは本名ですからな、みんなから「哲ちゃん」と呼ばれてたんだ。それとコマーシャルソングに引っかけてからこうてたんですな。今思うとなんであんなに怒ってたんか知らんけど、はやしたてられるたびに「うるさいわーい」とやりかえし、それがおもしろいのか「ほーら、てっちゃん、かまぼこくれやー」「ちくわもくれやー」。そのたびに「うるさいわーい、ぼく、かねてつと違うわーい」と反論してたわけです。
 こんなんは可愛い方で、「みっちゃん」と呼ばれてた人はもっとひどい歌を歌われてたね。
「みっちゃんみちみちばばたれて、紙がないので手でふいて、もったいないのでなめちゃった」。
 なんと汚い歌やろう。そら、みっちゃんは怒るわ。これでにこにこ笑うてられたら、よほどできた人間かどこか感性が鈍磨しているかどっちかやと思うね。思うに、子どもというのは残酷なもんやね。こういうひどい歌で人をはやして喜んでおるのやからね。
 で、妻が「歌詞が違う」と言いだした。妻が知っている歌詞は「みっちゃんみちみちうんこたれて」やったそうです。もっとも、そのお母さんは「みちみちばばこいて」やったらしいから、かなりえげつない。
 このはやしことばの節回しは、どう聞いてもイントネーションが関西弁だ。一瞬関西限定のはやしことばかなとも思うたけど、東京出身の作家の方がエッセイでこれについて触れていたような気がする。となると、これは全国で歌われていたんやろうか。
 というわけで、またまたわけのわからんことが気になってきた。
 はたして、この歌は全国共通なんやろか。また、歌詞もおそらく細かな違いがあるはずなんやけどどういうバリエーションがあるんか。
 もし、お手数でなかったら、全国のみなさんから教えていただきたいと思います。「みっちゃん」と呼ばれてる方には古傷をえぐるようなことで申し訳ないけれど、気になり出したらとまらんのです。よければ、掲示板かメールで情報をお寄せ下さい。お願いいたします。
 ところで、なんで「みっちゃん」になったんやろ。「みちみち」という語呂がよかったということなんやろうけど、別にみっちゃんでなかってもええように思うんやけどねえ。これも不思議ではあるね。

9月2日(木)

 この夏トルコからカザフスタンと危ないところばかり選って旅行をし、それでも無事に帰ってきた同僚のS氏と、生徒が帰ってから馬鹿話をしていた。
 「襲名」ということが話題の中心。外国の王様は同じ名前の人が多い。そやからシャルル14世やとかエリザベス2世やとかいうように数字で区別するわけですね。これは別に襲名をしてるわけやないんやけど、同名異人の区別には必要ではある。
 関係ないけど、このデンでいくと「ルパンIII世」というのはおかしいな。怪盗ルパンの名前は「アルセーヌ」やから「III世」とつけるなら「アルセーヌIII世」と表記せんといかんのと違うかね。それやったら誰のことかわからんか。
 それはともかく、歌舞伎役者、落語家、力士なんかはわざわざ過去の名人と同じ名前に改める。ことの起こりは、興行上の理由とか、先人にあやかるとか、そういうようなところからきてるんやろうね。
 で、S氏と松竹新喜劇の話をしていたときに「藤山直美が『新生・松竹新喜劇』に参加してたら『二代目藤山寛美』を襲名させられてたのと違うか」という流れになり、「水谷良重が『二代目水谷八重子』を襲名したのは、新派の創立の経緯からいうとおかしいんやないか」「引田天功やら高橋竹山はなにも無理に二代目をつがさんでもよかったんやないか」と進んでいき、「今に宝塚歌劇も襲名が行われるようなことになったりして」という大馬鹿な結論になった。二代目春日野八千代やとか三代目天津乙女の襲名披露レビューなんかをやったりするわけやね。確かジェンヌは自分で芸名を考えることになってるはずやけど、すでに退団した先輩のようになりたいから同じ名前をつけるという人がいるかもしれん。そういうことは劇団がやらせへんかもしれんけど。
 しかしこの襲名制度、他の世界にも使えるかもしれんね。野球なんか、「イチロー」「ヒデカズ」「ユウキ」などという本名以外の名前で登録してもかまわんのやから、「掛布雅之」などという登録名があってもおかしくはなかろう。「二代目王貞治」と「二代目江夏豊」の対戦を見ながら「先代の対決はすごかったぞ」と自慢するじじいが出てきたりする。タイガースあたり、毎年新しい外国人選手に「バース」と名乗らせてはどうか。「今年のバースはあかなんだなあ」「来年のバースはどやろ」「いや、来年の外国人選手には『オマリー』を襲名させるらしいで」。おもろいと思うんやけど、あきませんか。

9月3日(金)

 今朝の新聞を読んでいたら、私の住んでるところの電話番号が来年から変わるらしい。現在は市外局番4ケタ、市内局番2ケタなのが、どっちも3ケタになる。
 ということは、年賀状で変更の告知をせねばならんということか。まあ、それはいい。いいけど、あちらこちらで配りまくった名刺があるけど、その相手全員に知らせねばならんかもしれんな。これは困ったことやね。いったい誰に配ったか、いちいち憶えてない。名刺をいただいた方には知らせることができるけど、そうでない方には知らせようがなかったりするからね。
 それだけやないんやね。アクセスポイントも同じ市外局番のところを使うてるから、それも変更せんならん。名刺も作り直さんならん。
 もっと面倒なんは、今から年末までの間にあう初対面の方に渡す名刺やね。今もっている名刺に2000年からの新しい電話番号を書き添えて渡さんならんということだ。新しい番号だけの名刺を先に作って渡すと、今年の間はもちろんその番号ではつながらん。今のまま渡したら、あとから変更のお知らせをせんならん。
 あと、せっかく自分の家の番号を覚えるために作った語呂がワヤになるというのも、実は困る。新しい語呂を考えるのも面倒や。
 しかし、NTTもなにも2000年の元日にそういうことをやらんでもええのと違うかと思うね。コンピューターの2000年問題とブッキングしたらどないするんやろ。もちろん2000年問題についてはちゃんと対応できているという自信があるんやろうけど、万が一ということを考えると、そんなややこしい時にこれまたややこしいことを重ねんでもええやろうと思うけど。
 何ヶ月か先のことではあるけれど、今からある程度対策を考えておかんならんな。

 おがわさとしくんの新作漫画が「精華大学マンガ科準備室」のサイトで読めます。エッセイともなんともつかない不思議な漫画で、おがわくんによると「いちおう初連載マンガで、初カラーマンガで、初オンラインマンガの初物づくしマンガなんでいろんな人に読んでもらえるとありがたい」そうです。タイトルは「漫画家未満」。「S−Fマガジン」のイラストなどでおがわくんのファンになった方もそうでない方も、面白いからみんな読もう。

9月4日(土)

 検索サイトのライコス・ジャパンからメールが届き、なんでもこのページをライコスのサイトに登録してくれるという。こういうのは、ありがたいことやね。たとえ足の爪がはがれたの駅の裏でおっさんが歌を歌っておるの天かすと揚げ玉はどう違うかと毎日つまらんことを書いてるだけのサイトとはいえ、たくさんの人に読んでもらえる機会が増えるというのは、毎日更新する張り合いがあるというもの。
 カテゴリはなんと「文学」やそうで、さっそくライコスのサイトをのぞいてみると、ちゃんと「SF」のカテゴリもあるんですよ。私がリンクしてるサイトはたいていは「SF」のところで紹介してあるのに。私としては一応SF関係のサイトであると思うてるのになにあ。なんか仲間はずれにされたみたいやね。なんでやねん。文学てな高尚なサイトと違うぞ。で、紹介文を読んで、なんとなく得心がいった。「読書感想文」のコンテンツで見ると「ヤングアダルト」と「架空戦記」が圧倒的に多い。その上、野球の本やら相撲の本やら演芸の本やら歴史の本やらなんでもありで感想文を書き散らしてる。ライコスの人も悩んだんやろうね。「こいつは何に分類すればよいのだ。ええい、わけの分からないものはとりあえず『文学』ということにしてしまえ」というようなもんやないかと推察する。困れ困れもっと困れ。いやそのわざと困らせてるわけやないんですよ、ほんまに。
 まあ、中身はともかく感想文の数だけは500を超えたことやし、個人サイトとしてはそれなりに情報量はあるかもしれへんね。そこらへんでライコスも登録しようということにしたんでありましょう。トップページのカウンターもなんと80000をヒット。そんなにたくさんの方が立ち寄ってくれはったんやなあと、これも実にありがたい。
 これをきっかけに、この「ぼやき日記」も内容をグレードアップし、毎日有用な情報を厳選してみなさんにお届けする、ことがでけたらええんやけど、人間の中身が変わらんのでこればっかりはどうしようもない。困ったもんです。人だけやなしに自分でも困ってしまうところがどうしようもない。ああ困った困った。

9月5日(日)

 原稿がらみで読まねばならん本が増えた。今日は新学期に入って初めての日曜日やから、がばがばと本を読むぞと思うてたけど、夏休みぼけで昨日までの数日けっこう無理してリズムをとりもどそうとしてたんかな、食事をしたら腹がくちくなり、ついうとうとして気がついたらがーがー寝るというのを一日繰り返しておった。
 毎日10冊くらい本を読めたらなあ。そんな無茶な。

 だいたい本を読むのにBGMとしてブルックナーの交響曲なんか聴いていたのが眠気をもよおす原因になったのかもしらん。ブルックナーの音楽というのは、好きな人にいわせたらあんなにええもんはないのやそうだ。天上の音楽やとか神へ捧げる音楽やとか、なかなかたいそうなことを書く評論家もいる。
 そやけど、私には9つの交響曲の、どれを聴いても同じに聞こえる。眠くなるような旋律が延々続いたかと思うと、単調なリズムやけどやたら騒がしいスケルツォがわんわん鳴ったり、だんだん盛り上がってきたかと思うと突如音楽が休止してしもうたり、どの曲も同じパターンにしか聞こえん。私にはブルックナーのよさというのが全くわからんのであります。
 わからんから、BGMにはちょうどええかな、と思うたんだ。なまじ好きな曲をかけてたら、そっちに気がいって読書に集中でけんからね。
 ところが、ブルックナーの交響曲というのはなかなかすごい音楽らしく、BGMでたらたら流しているだけでコンサートの時と同じく睡眠を誘う効果をもたらすやないですか。近頃はやりのヒーリングミュージックどころの騒ぎやないぞ。恐るべしブルックナー。

9月6日(月)

 なんたることか、誕生日がまた来てしもうたやないか。37歳である。どない見ても堂々たる中年のおっさんである。それやのに毎日毎日なにをくだらんことを書いておるのか。ええ年をしたおっさんの書くものやないと思うね。
 ところで、最近知ってびっくりしたんやけど、なんとあのショートショートの天才、星新一さんと私とは誕生日がいっしょやねんね。同じ星のもとに生まれてこの違いはなんなんや。いやいや、私にも必ずや同じ星に見守られた天分があるに違いない。その証拠として、19歳の時に書いて大学の同人誌に掲載されたショートショートをこの際思い切って再録する。
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「頭の良い兄弟」
 むかしむかし双子の兄弟がいた
 とても頭のよい兄弟で、片方は哲学を、片方は自然科学を研究し、後々までも大きな影響を与えた。
 ところが、あまりよく似ていたので、知らない人たちは二人を同一人物だと思うになった。知っている人が肖像画を石に刻みこんでも同一人物にしか見えない。
 今ではその兄弟は一人の偉大な人物として伝えられている。
 兄はテレス、弟はアリス。
 アリスとテレスである。
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 これこれ、お客さん、帰ったらあかん。
 しかし、あれから18年、私は全くといっていいほど進歩しておらんやないか。こうやって十年一日のごとくくだらんことばかり書き散らし続けこのまま老いさらばえて死んでいくに違いない。ああ悲しい。

9月7日(火)

 18年前のことを昨日書いた。実は、今日、偶然18年前を思い起こさせることがあった。ちょっとびっくりしたんで、書いておく。
 今日は午後から休みをとって、所用で京都に行った。そのついでに、祖母へ敬老の日の祝いを贈ろうと、「大丸京都店」へ寄る。
 妻と相談の上、羽毛の肩掛けを贈ることにした。で、発送伝票を書いていると、見たような顔が売場にいる。Aさんという、寝具の業者の人やないか。なんでそんな人を知ってるかというと、私は19歳のころ、「大丸京都店」の寝具売場でアルバイトをしてたんだ。というても、夏休みの2週間ほど、お中元の時に行っただけ。そのあと、「大丸」では中元歳暮の総合センターで持ち帰りコーナーを長らくやり、また、ギフトセンターの事務室で複数の売場の組み合わせ商品の発送の係をやり、鯉のぼりの販売、漬け物の販売、家具の配達、中国物産展で香炉を売る、佃煮の販売、そして最後は紳士服の発送とまあよう「大丸」のあちこちで仕事したもんです。
 むろん、「大丸」の社員なら、人事異動などで自分のバイトしてた売場の人はたいていそこにはおらないよね。そやけど、業者の人は違う。地下の食料品売場なんか、主みたいな人がいてるね。
 で、Aさんである。私はこの人とは直接いっしょに仕事をしたわけやないし、18年前にひと夏だけいたアルバイトのことなんか、憶えてはらへんと思う。私かて、今日見かけるまで忘れてた。あれから18年、Aさんはずっと「大丸」で寝具を売ってはったんやろうか。18年というと、決して短い時間やないよ。貧乏学生が今では所帯をもって教師でございとでかい顔をしているんやからね。その間、Aさんは同じ売場で次々と代わる店員やバイトを見てきはったんやろうね。
 別に私はずっと後ろ向きに生きていく気はないけれど、たまにはかつて自分が歩いてきた道を振り返り、かつて自分がいた場所を訪ねてみるのもええかもしれん。そのころには見えへんかったものが見えてくるかもしれん。
 なんか、感じるところのある買い物になってしもうた。あのころいっしょにバイトしてた人たち、今頃どないしてるんかな。

9月8日(水)

 今朝の新聞を読んでびっくり。漫才の「どんきほーて」が解散やて。岡けんた・ゆうた、ちゃらんぽらんとともに、あと一皮むけたらブレイクする漫才師やと思うてただけに、残念。
 なんでコンビ別れをするんかいなと記事をよく読むと、
きびのだんごが奥さんの実家の会社に就職するために芸人をやめるんやて。味のあるほんわかしたいい感じの芸人やのに、なんともったいない。その会社というのが、これまたびっくり「ジャパン」やて。
 あ、大阪の人以外は「ジャパン」いうてもわかりませんな。ディスカウントショップのチェーン店で、ガレージみたいな店舗にやたら安い商品がところせましと並んでる。暑苦しく肥えたおっさんの顔が看板。以前は「能書きおやじ」というてたけど、最近は改名して「さわやかおやじ」と名乗っている。どこが「さわやか」やねん、とつっこみたくなるね。最近の広告には「さわやか『ジャパン』」と店名にも「さわやか」をつけている。そういう会社です。創業者の孫娘がだんごの奥さんで、いずれは現社長である義父のあとをついで、だんごが社長になるということなんやろうか。
 しかしなんやね、だんごにしたら、ここんとこ話題は相方の
太平かつみに食われてる感じやったもんなあ。かつみは借金を売り物にしてて、一攫千金のためにカブトムシだかクワガタだかを飼育して失敗したりとなにかするたびにスポーツ新聞の格好のネタになってる。対するきびのだんごは「だんご三兄弟」が爆発的なヒットをしたときに、それにあやかってわざわざだんごのかぶりものを作り余興を増やそうとしたら、かぶりものができてきたときには早くもブームが去っていたとか、ちょっときつい状況やったもんなあ。
 すじのいいしゃべくり漫才やから、もうしばらく続けたら、横山たかし・ひろしや大木こだま・ひびきみたいに一気にその面白さが開花する可能性を秘めていたのに。なんか人がよすぎるような印象を与える分だけ、あくの強い者が生き残る芸人の世界では損をしていたかもしれん。そやけど、たかし・ひろしかてそういう感じやったのに、一気に突き抜けていった。どんきほーてにもそれを期待してたんに。
 太平かつみはこのまま芸人を続けて「借金を返します」とコメントしてる。しかしねえ、借金王で人気がでた中田ボタンというごっついキャラクターが先輩にいるから、二番煎じにならんようにあの手この手で一攫千金を狙い続けるしかないのと違うやろか。その手がなくなったとき、相方がおらんのはきついと思うよ。
 しかしなあ、きびのだんごが「ジャパン」の社長にいずれなるかと思うと、なんか変な感じがするなあ。20年くらいたって、経済紙に「意外にも社長は元漫才師」とかいうようなインタビューが載ったりするかもしれんのやなあ。それは、なんか嫌やなあ。

9月9日(木)

 本音というのは、時として実にこの笑いを誘うという、その見本が今日の大豊選手(タイガース)のヒーローインタビューやったねえ。
 今日のドラゴンズ戦、4−4で迎えた延長11回裏、この回の先頭打者の大豊選手はサムソン投手からバックスクリーンにサヨナラホームランを打った。時刻はもう22時をまわってたんで、ホームインしてすぐにヒーローインタビューが始まる。
 アナウンサーはホットな喜びの声を引き出そうとしたんやろうね。「どういう気持ちで打席に入りましたか」と質問。それに対して大豊は「
暑いから早く終わりたかったね」。よっぽど暑かっていらいらしてたのか、これは何回か繰り返してた。アナウンサーはなんとかフォローしようとして「自分で決めてやろうと思ったんですか」。しかし、そこでええかっこをする大豊やない。「そういうわけじゃないです」。ならばとアナウンサーは「ダイヤモンドを一周している間、何を考えてましたか」。「嬉しい」「興奮した」というような言葉を期待したんでしょう。なかなかその手にはのらん。「何も考えてませんでした」。切り口を変えようとアナウンサーも必死。「今シーズン、2本目のサヨナラホームランですが、いずれも中日戦ですね」。これは、大豊が以前中日ドラゴンズに在籍してたということで、いわゆる「恩返し」みたいなことを言うてほしかったんやろうね。「中日さんには申し訳ないけど、結果がそうなっただけでどこが相手でも同じです」。あとが続かん。「9月に入って、大豊さん、絶好調ですね」。ここで景気のいいことをいうてもらわんとという気持ちが伝わってくる。「あんまりほめられるとこけちゃうから、そっとしといて下さいよ」。
 これがサヨナラホームランを打った直後の談話ですよ。そうそうサヨナラホームランなんか打たれへんよ。よほど早う帰りたかったのかな。なんか怒られてるみたいで、アナウンサーが気の毒になったけど、聞きながらつい笑うてしもうたよ。
 そのあとで、ベンチレポーターがタイガース野村監督の第一声を伝える。「一言『
よう飛んだな』ということでした」。
 飾りのない言葉というのは、実に、実に、味わい深いものであることよ。

9月10日(金)

 別に私はフリークというほどやないんやけど、缶入りやらペットボトル入りのお茶で新製品が出てるとつい買うてしまう。ブレンド茶の新製品はよく出るけど、たいてい似たような味でこれというヒットがないね。ネーミングは好きな「のほほん茶」も味はそれほどいいとは思わん。
 先日見つけたのが「
沖縄健康茶−はとむぎ茶ブレンド−」。ポッカの新製品で、売りは「フーチバー(よもぎ)」と「ゴーヤー(にがうり)」をブレンドしているというところ。これはかなり苦いに違いない。どんな味なんやろうとわくわくしながらコンビニのレジに持っていく。そんなもんでわくわくするかね、普通。で、店を出てすぐにペットボトルの封を切り、一口こくりとやる。がっかり。こころもち苦みがあるかなという程度。原材料のところをよくよく見ると、「烏龍茶、玄米、はと麦、よもぎ、にがうり果実」の順に書いてある。ということは、成分のほとんどが烏龍茶ということやないか。
 もちろん、よもぎとにがうりが主成分というわけにはいかんのやろうけどね。そんなことをしたら普通には売れんやろうという判断やと思う。そやけど、「十六茶」「爽健美茶」「すらっと茶」「のほほん茶」「なごみ茶」「十萌茶」とブレンド茶があれこれ出てるんやから、多少は味が違わんと売れまへんで、と言いたい。
 実は、ブレンド茶もあれこれ飲んだけど、結局ただの「烏龍茶」や「麦茶」の方がおいしいのと違うかね。奇をてらったところで、結局は素材の味がストレートに出てるものの方がええということやないかな。
 あれこれブレンド茶がある中で、私が一番好きなんはサンガリアの「二十一茶」。なんでもいれたらええんやろとばかりに煎じたら味のつくものを放り込みその数を誇示してるところがいかにも関西の企業らしい。そしてなにより好きなところは他社のお茶より20円ほど安いんである。どっちにしてもたいして味が変わらんのやったら、安い方が好き。
 そやからもっと好きなんは、紙パックに入ったお茶。最高に好きなんは、家で湧かしたお茶。そやけど、それでは変なお茶を見つけて飲む楽しみはないからね。
 「沖縄健康茶」を見つけたときは、おお、変なお茶があると実に嬉しくなったのになあ。


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