1995年、読み聞かせ童話雑誌「おひさま」(小学館)が新人発掘のために「おひさま大賞」を創設した。
私は前年度生徒の学習発表会のために劇を創作し、そのストーリーに日の目を見せてやりたいと考え、この賞に応募することにした。しかし、その劇自体はかなり長めのストーリーであったために、規定の応募枚数には収まりきらなかった。
そこで、どうせ応募するならと新たに書き起こしたのがこの「おどりじいさん」である。
これは幸い高い評価を得て優秀賞を受賞した。ただし、ページ数の関係から細かな部分を削らなくてはならなかった。
今回公開するのは、「おひさま」に掲載される前の、応募原稿である。削除された部分は決して冗長なものではなく、賞もこの原稿に対して与えられたと考え、公開することにした。雑誌掲載版と読み比べてもらうのも一興かと思う。
じいさんのおどりじょうずをききつけて、とのさままでがみたがった。
「そのとしよりをつれてまいれ。おしろのにわでおどらせるのじゃ」
とのさまのけらいがやってきた。
「やいやい、じいさんや、おきんか」
もちろん、じいさんはぐうぐうぐう。
おしてもひいてもたたいても、やっぱり、じいさんはぐうぐうぐう。
しかたがないのでけらいたちは、じいさんをかついでおしろにはこんでいった。
おしろのにわで、じいさんはずっとねていた。いつまでたってもおきるようすもない。「なんとかしておこすのじゃ」
とのさまのめいれいで、けらいたちはあのてこのてでおこしにかかる。
しまいにはなわでくくってにわのまつの木にぶらさげ、みずをかけたりおゆをかけたりおおさわぎ。
それでもじいさんは、ぐうぐうぐう。
「ええい。このものをきりころしてしまえ」
とのさまがおこっていうと、けらいはあわててとめた。
「おとのさま、ころしてしまえばおどりがみられませんぞ」
「ううむ。たしかにそのとおり。わしはおどりがみとうてたまらん。いったいどうすればいいのじゃ」
ちえのはたらくけらいがいった。
「村長をよびましょう。村のものならおこしかたをしっているにちがいありません」
さっそく村につかいがいった。
こまったのは村長だ。じいさんがいつおきるかなんて、じいさん本人にだってわからない。それがわかればとっくにじぶんたちでやっている。
「しかたない。おとのさまをおこらせたら、わしらのいのちもないかもしれん。こうなりゃ、村人みんなでおどってごまかせ」
村じゅうの、としよりも、わかものも、こどもも、みんなでそろっておしろにおしかけた。
「じいさんをはようおこせ」
とのさまがいうと、村長は、はいつくばって口からでまかせ、こうこたえた。
「みんなでじいさんをかこんでおどるのです。そうすれば、それにつられてじいさんもおきるんです」
「ならば、はようみなでおどらんか」
村人たちは、ひっしでおどる。
じいさんじいさんおきとくれ。こころのなかでいのりながら、てあしがちぎれそうになるまでおどる。
それでも、じいさんはぐうぐうぐう。
「じいさんはおきんではないか。いったいなにをしておるか」
とのさまがおこると、村長はおどりながら、いきをきらしていった。
「おそれながら、はあはあ、おどりがたらんのでございます。はあはあ。ごけらいしゅうも、おとのさまも、はあはあ、みんなでおどらんことには、はあはあ」
「なに、わしにもおどれともうすか」
とのさまも、けらいたちも、めちゃくちゃおどった。
じいさんのおどりがみたい、ただそれだけのおもいで、むやみやたらにてあしをうごかす。
そのうち、だんだんつかれてきて、村人のひとりがばったりたおれた。そして、ぐうぐういびきをかいてねむりはじめた。
みんな、みんな、つかれてしまい、あちらでぐうぐう、こちらでぐうぐう。
「なんじゃなんじゃ。みなのもの、そちたちがねてどうするのじゃ」
そんなことをいいながら、とのさまもついにはばったりたおれて、ぐうぐうぐう。
とうとう、しろのにわにいるものみんなが、まくらをならべてぐうぐうぐう。
あまりのいびきのやかましさで、なんと、おどりじいさんがめをさましてしまった。
「なんじゃいな、村のものから、おしろのごけらいしゅうから、おほほっ、おとのさままでこんなところでねてござる。それにしても、はらがへったわい」
そういうと、じいさんはむっくりおきあがり、てぶりあしぶりおかしげに、おどりながらしろからでていった。
とうとう、とのさまはじいさんのおどりをみることができなかったそうな。
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