ブック・レヴュー


私が愛した落語本

  私にとって「落語」とは即ち「上方落語」である。小学生低学年のころにテレビで初めて見て「たーいらばやしかひらりんか」とそのフレーズをすぐに覚えてしまった「平林」は六代目笑福亭松鶴のものだったし、漫才めあてに行った「京都花月」では、露の五郎の少しエロティックな小咄をよく聞いたものだ。大学に入ると京都市民寄席に上方落語四天王勢揃いを聞きにいったりもした。中学生時代にはけっこう本気で芸人に憧れたけれど、実行するだけのふんぎりもつかず、現在では雑文書きにいそしんでいる。
 その分、芸人さんそのものをとりあげた本を熱心に読むようになり、芸能の歴史にも関心を持つようになった。芸人さん自身の書いたものは、芸能史の貴重な資料である。自分がなれなかった分、芸人さんの生き方は私にとっては見果てぬ夢なのだろう。
 やはり六代目松鶴について書かれたものが一番面白い。生きながら伝説を作って歩いていた人だと、三田純市『笑福亭松鶴』(駸々堂)には書かれている。若いころ六代目とつるんで遊んでいた著者による六代目の実像が虚飾なく書かれている。六代目の弟子である笑福亭松枝の書いた『ためいき坂 くちぶえ坂』(浪速社)は弟子から見た六代目像が生き生きと描かれている。師匠に対する思いの強さが伝わってくる。この本に関しては七代目襲名騒動の部分だけが話題にされがちだが、それ以上に落語家の弟子と師匠の強く結ばれた関係が印象深い。
 松鶴といえば桂米朝。滅亡寸前の上方落語を救った両輪の輪である。最近出版された『桂米朝私の履歴書』(日本経済新聞)がいちばんまとまっていて読みやすい。米朝の持っていた使命感がひしひしと伝わってくる。落語研究家が落語家になったのだということが端々から伝わってくる。六代目は「落語家」というスタイルを残そうとし、米朝は「落語」という文化を残そうとした、といえるだろう。
 それに対し、五代目桂文枝の『あんけら荘夜話』(青蛙房)は、両輪についていきながら独自の境地を作り上げた様子が文枝落語そのままに語られていて、手触りがまた違う。三代目桂春團治にも同様の伝記はほしいが、豊田善敬編の『桂春団治 はなしの世界』(東方出版)が初代から二代目、三代目と三人まとめた形であるだけなのが残念。
 最近は上田文世『笑わせて笑わせて桂枝雀』(淡交社)を繰り返して読んでいる。落語を通じて違う世界に至ろうとしていた異色の爆笑王が生き返ってくるようだ。

(「季刊BOOKISH」2003年10月第5号掲載)

附記
 ミニコミ誌「季刊BOOKISH」の特集「落語の本あ・ら・か・る・と」の原稿を依頼され書いたもの。大西信行、戸田学など新旧の演芸研究家が寄稿していて読みごたえがあり、私などの文章がまじってていいものかと思ったくらいである。もう少しわがままなセレクトでもよかったかと今になって思うが、もう遅い。


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