一粒種トビオを交通事故で失った科学省長官・天馬博士は、科学省の技術の粋を集めて、一人のロボットを作り出す。しかし、トビオの名をつけられた彼が成長しないことに苛立った天馬博士は、ついにはサーカスに売り飛ばしてしまう。
やがて、ロボット研究の第一人者であるお茶の水博士に引き取られたトビオは、十万馬力と七つの力を備えた「鉄腕アトム」へと生まれ変わる。
あとから作られたロボットの両親、弟のコバルト、妹のウラン(虫プロアニメ版では赤ちゃんのチータンも加わる)ら家族たちや、ヒゲオヤジ先生やケン一といった学校の仲間たちに助けられながら、アトムは正義のために力を尽くす。
悪事をもいとわず実行するアトラス、戦うためだけに作り出されたロボット・プルートウ、身勝手な人間に叛旗をひるがえした青騎士……未だロボットに対する偏見や差別が残っている世の中で、アトムは様々なロボットと、矛盾を感じながらも戦いつづける。
手塚作品のみならず日本漫画史を代表する名作。
初出は「少年」。最初は「アトム大使」の題で1951年に連載が開始された。この時のアトムは、地球人と宇宙人の橋渡しをする脇役にすぎなかったが、52年より「鉄腕アトム」と改題、一躍人気漫画となった。また「アトム大使」は大幅改稿されて53年に「漫画少年」に連載された。
掲載誌休刊の68年まで連載は継続。
その他の媒体では「サンケイ新聞」に63年〜64年(単行本で「アトム今昔物語」と改題)、「鉄腕アトムクラブ」に64年〜66年のあいだ、並行して連載されていた。
それ以後も、読み切り作品が多数の漫画雑誌に単発で発表され続けた。
また虫プロアニメ版の続編が72年「小学四年生」などに連載されたが、これは第三の目と胸のプロテクターが追加された新デザインのもの。手塚プロアニメ版が放送された80年〜81年には、「小学二年生」に連載されている。
テレビでは55年にペープサート劇が、59年に松崎プロ製作の実写版が放送。しかし、決定版は虫プロ製作のテレビアニメ第1号となった63年〜66年に放送されたものだろう。唯一のカラー版「地球防衛隊の巻」は64年に「鉄腕アトム・宇宙の勇者」に最編集されて劇場公開された。また全米ネットワークで放送され、国際的な人気を得ている。ちなみに、虫プロアニメ版の最終回では、アトムは地球を救うため核爆発制御装置を抱きながら太陽に向かって突入していった。その後80年から1年間、手塚プロ製作でカラー版のテレビアニメが手塚自身の手でリメイク。まさに永遠のキャラクターと呼べるかもしれない。
しかし、鉄腕アトムは単なる科学文明賛美のシンボルではない。逆に、暴走する科学に対する歯止めとなる「良心」として存在し続けたのだ。
(「SF Japan vol.3」2002年1月冬季号掲載)
附記
「SF
Japan」の特集「手塚治虫スペシャル」で、現役作家による手塚作品のリスペクトが行われた。その際、元の作品を読んだことのない読者のために、私が各作品の解説を書くという大役を依頼された。作品のあらすじ、初出誌、アニメや映画になったことなどももれなく書くようにという注文で、このためにそれぞれの作品を全て読み返した。かくしてできあがったのが、この文章。
「鉄腕アトム」は比較的まとめやすかったという記憶がある。作品の性格もはっきりしているし、映像化も限られていたからである。