ブック・レヴュー


突発的上方笑芸本ガイド
これぞ笑いのバイブルだ!

 関西人が二人寄ったらその会話は漫才になる、というのは半分はほんまで半分は間違いやないかと思う。
 やっぱりキャラクターというのがあって、ボケタイプの人間同士やツッコミタイプの人間同士がしゃべってても、そら漫才にはならへんなあ。それでも関西出身以外の人が聞いたら漫才に聞こえるみたいやけどね。それはやっぱり子どもの頃からお笑い番組が身近にあって、骨の随まで漫才やら落語がしみついてるからかもわからへん。
 大学時代、後輩にむやみに芸人にくわしい男がいた。ところが彼は愛知の出身で、しかもその年では知らん芸人のことまでしたり顔で語る。その中身はどうもどこかで聞いたことがある。「もしかして、君は小林信彦の本を読んでへんか?」と私がきくと、彼はちょっと照れたような表情で「僕の知識はみんな本からなんで、実際に見たことってないんですよ」と答えた。
 彼のバイブルはというと小林信彦『日本の喜劇人』(新潮文庫)、香川登志緒『大阪の笑芸人』(晶文社)、澤田隆治『私説コメディアン史』(白水社)やと教えてくれた。
 なあんや、私といっしょやん。ただ、私は見てないものを偉そうに喋ることを謹んでたというだけ。そらそうです、なにしろ私は京都生まれの京都育ちとはいえ、高校の先輩には子どもの時分から南座に通うて生で松竹新喜劇をほとんど見ていて荒筋はもちろんセリフ一つ一つまでそらで言え、「あの役はあの役者の時が一番やった」てなことを当たり前のように口にできるような人かていてたんですからな。知ったかぶりしてたらすぐに化けの皮がはがれる。
 それでも、漫才や落語が好きで小さい頃からテレビやらラジオやら、また実際の舞台やらを見てると、オタク気質の私としては自分の知らへん古い芸人さんの芸を知りたいと思うようになる。中学時代にはエンタツ・アチャコのSPを復刻したレコードを買うたり、読売テレビで『なつかしの漫才ベストテン』というような昔の録画を見せてくれる番組があったらカセットテープで音だけ録ったり(ビデオデッキみたいな高いもんは家になかった)してそのネタを覚えるくらいまで聞いたりしていた。
 それは関西に住んでるからできることであって、それ以外の地域にいてたら本で情報を得ることしかでけへんわなあ。実際、録画も録音も残ってへん芸人さんについては、桂米朝/上岡龍太郎『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』(朝日新聞社)や、棚橋昭夫『けったいな人々』(浪速社)というような本が最近は出ている。
 また、最近ではCDで『上方漫才黄金時代』『上方漫才名人伝説』というようなセットものが発売されたり、『春團治三代』という好企画のシリーズが出たりしているし、ビデオでも『お笑いネットワーク発 漫才の殿堂』というシリーズが出たこともある(ただし、このビデオは必ずしもその漫才師のベストフォームが収録されてるわけやないのが残念)。
 それでも特に落語はCDで往年の名人の録音が発売されるのは東京の落語中心やから、それがちょっと悔しい。
 とにかく、新しい笑いを楽しむ一方で、往年の名人について知りたいと思う気持ちは募る一方。病が高じて、放送作家の新野新さんが主宰する「日本芸能再発見の会」という、日本芸能の歴史をいろんな角度から見る会にまで入会した。ここでは芸能史の生き証人とでも呼べる人たちを招いてその話を聞くわけです。するとやね、私にはいかに予備知識がないかということを思い知らされるわけやね。
 講師の方たちの口から出る固有名詞の漢字がわからへんねんもん。話してはる方はもちろんわかってはるわけやし、まわりで聞いてはる年輩の方たちは当然のような顔でいてはる。なんで私はあと五十年早く生まれてきてへんかったんやろうと後悔するくらい。そんなもん後悔するというような性質のものと違いますか。とにかくおのれの無知を恥じるわけです。
 そうなると、大学時代の後輩を頭でっかちと笑うてられへん。年齢的に知らへんで当然のことやし、そういう人間に今のうちに伝えておこうという主旨の会やということはわかってますよ。それでもやっぱり予備知識は必要やわな。
 後輩があげた三冊はこれはもう必読書ではあるし、もう古典です。『大阪の笑芸人』の場合、著者の香川登枝緒さん(登志緒から改名)が死んだ時、実は年令を実際よりも上にいうていたことが判明して古いことについての信憑性が揺らいでるという事情はあるにせよ、それでも貴重な資料には違いない。『私説コメディアン史』ともどもどこかで文庫化してくれんものか。
 いやいや、貴重な証言はまだあります。私が予備知識を仕入れるために愛読しているのは、三田純市『昭和上方芸能史』(學藝書林)と読売新聞大阪本社文化部編『上方放送お笑い史』(読売新聞社)。どっちも編年体で体系的に上方演芸の歴史をまとめた好著。特に前者は著者の三田さんが病床でまとめあげた力作で、実際に見聞きしたものを中心に信頼できる証言をはさんでこれを読んだら自分が上方の演芸に精通しているような気分になれる逸品。
 後者は「放送」という視点から描いているので、前者のとらえ切れてない部分を補完してくれる。しかも、初代春團治のラジオ出演に関わる定説を覆す証言をもとに真相をつきとめたりしていて、どんだけきっちりと取材をしたはるかがそれだけでもわかる。
 いやもうほんまに、初代春團治の高座を生で聞いてみたい、ダイマル・ラケットの漫才を生で味わってみたい。それだけやない、今の笑芸は実はどういう流れのものから派生しているのか、その全体像をつかみたい。そのためにはほんまもんの「芸」を全て知ってんといかん。そやけど、それは無理というもの。例えばこの前亡くならはったミヤコ蝶々さんが南都雄二さんとやっていた漫才の代表作「運と災難」は活字では残っていても(池内紀『地球の上に朝が来る』(ちくま文庫)収録)、録音は残ってへんらしい。それやったら、ちゃんと知ってはる人たちが書き残したもので補うしかないんですわ。
 この前、新野新『雲の別れ 面影のミヤコ蝶々』(たる出版)を読んで感じたんやけれど、次にこういう「上方演芸史」を書くとしたら新野新さんやないかと思う。他には織田正吉さんあたりか。新しい時代の演芸史は我々の世代の誰か(もちろん現場にいてる人)が書くとしても、せめて私なんかがもっと知ったかぶりできる本が、こと上方演芸についてはまだまだ必要やないかと骨の随まで「笑芸」のしみついた関西人として思うんですわ。

 

(「本の雑誌」2001年6月号掲載)

附記
 「本の雑誌」の「旧刊発掘」のページの原稿を依頼され書いたもの。実はそのページは面白い旧刊を1冊だけ紹介すればよかったのだが、調子にのって何冊も並べてしまったので「突発的上方笑芸本ガイド」とコーナーのタイトルまで変わってしまった。何事もやりすぎてはいけません。


目次に戻る

ホームページに戻る