ブック・レヴュー


SF旅物語のきわめつけはこれだ

  旅心をくすぐるようなSF小説をご紹介することになった。
 SFにおける旅などというものは、まずもって実際には行けそうにもないところの旅であるから、このようなところに行けたらおもしろかろうなあ。でも行かれるわけがないなあ。そういう旅が描かれるのだ。
 で、リストアップをはじめたら、これがまた困った。SFはつまり異世界を描いたものがほとんどで、何を紹介したって旅だと強弁すれば「そうかもしれん」ということになってしまう。たとえば、A・C・クラークの「二○○一年宇宙の旅」(ハヤカワ文庫SF)というタイトルにそのものずばり「旅」という言葉の入っている小説がある。しかし、これを「旅を楽しむ」小説だと紹介していいものかどうか。月に現れた謎の石版。進化の秘密を解くために木星探査に行く主人公たち。その途中で起こるコンピューターの反乱。確かに面白い小説である。だが、これを読んで木星や月に行きたいと思うか。思わんでしょう。それこそ新幹線で東京に行って仕事して帰ってくる出張というのとたいして違わんではないか。違うという人もいるかもしれないけれど、旅心をくすぐってはくれないぞ。
 ここはやはり、目的地があって、そこへ到達する過程で現地の人々などとその土地ならではというように事件に遭遇し、というようなシチュエーションがほしいところだ。
 で、私がまず一番におすすめするのは筒井康隆「旅のラゴス」(新潮文庫)。設定がいい。かつて地球から宇宙船で移住してきた人々の子孫たちが住む星で、失われてしまった文明を探し求める旅をするのが、主人公ラゴス。恋をし、奴隷商人に売られ、過去の文明の記録を発見し、王国を作ってそこの国王になり、そこから脱出して再び故郷にもどり、失われた文明を復活させたあと、恋する女の消息を訪ねて再び旅に出る。生涯を旅とともに過ごし、波瀾万丈の体験をする。
 主役はラゴスではない。旅そのものだ。だから、タイトルも「ラゴスの旅」ではなく「旅のラゴス」なのだ。
 トマス・M・ディッシュ「いさましいちびのトースター」(ハヤカワ文庫SF)もはずせない。ここで旅をするのはトースター、電気毛布、電気スタンド、電気掃除機、時計という家電製品たちだ。別荘に置き去りにされた彼らは、主人の本宅に向かって旅立つ。森の中で雷雨に見舞われたり、泥棒に拾われて捨てられそうになったり、様々な困難を彼らのもつ能力を組み合わせて切り抜け、とうとう主人の家にたどり着く姿は感動的だ。実はこのシチュエーションは猫と犬の三匹が旅をするシーラ・バンフォード「信じられぬ旅」(集英社文庫)といっしょだったりするんだけどね。なお、これには「いさましいちびのトースター火星へ行く」(早川書房)という続編がある。
 SFだったら、時間旅行、宇宙旅行は欠かせない。集大成みたいなのがあるぞ。スタニフワフ・レム「泰平ヨンの航星日記」(ハヤカワ文庫SF)だ。これはSF版「ほら男爵の冒険」とも呼ばれる作品で、稀代の冒険家で大科学者である泰平ヨンが自らの旅を回想する形で語られる。奇想天外な宇宙人たちとの交流を語ったかと思うと、人類の歴史を理想的なものに変えようとしてみたり、SF的空想力をフル回転させて描かれる旅の記録なのだ。旅の醍醐味が未知なるものとの遭遇にあるとすれば、本書などはまさにそういった旅心をくすぐってくれる傑作といっていいだろう。本書は現在では入手が難しいので、古書店などで探してみて下さい。
 アイザック・アシモフ「ミクロの決死圏」(ハヤカワ文庫SF)は反対に人間の体内へ旅をする物語。ミクロ化された医師たちが科学者の脳を手術するために人間の体に入る。動脈から静脈、心臓に肺、リンパ管から内耳を経て脳内へと人体をめぐる旅はSFでなければ描けないものだ。心臓の弁を通り抜けたり白血球から逃れたりと、その体内の描写は一度ミクロ化して人体に入ってみたくなるほど。映画とはまた違った小説ならではの面白さを楽しめる。
 とにかくSFの旅は、我々が現実では味わえない楽しさを提示してくれること、これに尽きる。日常の世界を脱して空想の世界に旅をする。そういう意味ではSFというジャンル全体が、私たちの旅心をくすぐってくれるといえるのかもしれない。

(「本の雑誌」1999年12月号掲載)

附記
 「本の雑誌」の特集「旅に出よう!」で初めて同誌からの依頼を受けることになった。それまでは読者投稿欄に何度か掲載されていたのだが、依頼原稿となるとかなり緊張してしまい、ちょっと肩肘張った文章になってしまった。SF専門誌以外に初めて書いたわけだが、やはり専門誌に書くのとは違うという意識が強すぎたのかもしれない。


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