ブック・レヴュー


伝奇バイオレンス(1980年代後半総括)

 書店に行く。いつも気になるのは新書ノベルズの棚である。一時のブームは去り、生き残った数社が、それでも、毎月五六冊ずつ新刊を出版している。
 現在は、綾辻行人にはじまった『新本格推理』を中心とするミステリに人気が集まっている。ほんの数年前までは、いわゆる『伝奇バイオレンス』がかなりの量で出版されいたことを思い出す。まことブームは移ろいやすい。
 夢枕漠の「魔獣狩り」が登場したのは一九八四年だった。この「サイコ・ダイバー・シリーズ」がベストセラーとなって以来、〈超伝奇バイオレンス〉と銘打たれた小説が次々と出版され、書店には毒々しいイラストのカバーが否応なしに目に飛び込んでくるという状況になった。
 本稿で扱う八〇年代後半は、そのブームが頂点を迎えた時期といえるだろう。リストに上げられたものをいちいち紹介していたのでは、ページがいくらあっても追いつくまい。そこで、私なりにこの時期の状況をかいつまんでふりかえることにしたい。
 ところでタイトルにも掲げられている『伝奇バイオレンス』というジャンルであるが、私はこの言葉に若干のひっかかりを覚える。いったいぜんたいなにをもって『超伝奇』というのか、そのひっかかりをはっきりさせておく必要があるように思う。話はそれからでも、遅くない。
 国語辞典で『伝奇』の項を調べると、「普通では考えられない超現実的な話」とある。いやなんと、便利な言葉だ。SFだろうが、ファンタジーであろうが、なんでも伝奇になってしまう。これでは話が進まない。
 『伝奇バイオレンス』のルーツとなる『伝奇小説』はなにかと問えば、やはり半村良ということになるだろう。現代に起こる怪事件を、神話や伝説にその因を求め、解決していくという形の作品は、まさに『伝奇バイオレンス』に直接つながるものである。半村良がひいた路線に乗るかのように、SF系の荒巻義雄、推理系の志望田景樹、冒険小説系の谷恒生らが『伝奇小説』に参入してくる。謎の解決方法も、それぞれ自分の小説フィールドを生かしたものとなっていて、変格SFといった趣のあったこのジャンルを一般に定着させていった人々である。
 そこに格闘技の要素を投げ込んでいったのが夢枕漠であり、スプラッタ・ホラーの味付けをしていったのが菊地秀行だと、早い話がそうなる。
 メチャメチャ乱暴な論ではあるが、これでいくぶんイメージがつかみやすくなったのではないだろうか。かえって混乱したかな。
 さて、そういった〈前史〉をふまえて、八〇年代後半のこのジャンルの状況を見ていくことにしよう。
 実際、この時期に発表された『伝奇バイオレンス』作品を読んでみると、前記の『伝奇小説』に関する定義がいささか怪しくなっていくことは否めない。特に、『伝奇』より『バイオレンス』の側面がかなり強くなっていく。なにより強調されているのがセックス描写である。
 変格SFの一ジャンルなどというものではない。つまり、ポルノ小説の一ジャンルといったほうがにあうようなものが増えているのである。ブームに伴う粗製乱造はいうまでもない。旅情推理作家の木谷恭介や、法医学ミステリ作家の門田泰明といった畑違いと思われる作家の起用も相次ぐ。あるいは、友成純一。この異才のデビューは、ポルノ文庫シリーズの「マドンナ・メイト」からである。これなどは、この時期の『伝奇バイオレンス』のおかれた位置を象徴しているのではないだろうか。
 もっとも門田泰明はこの後バイオレンス・シリーズの『黒木豹介』ものを連発、一躍人気作家の仲間入りをしてしまった。人間なにが転機になるかわからんものである。
 この時期の『伝奇バイオレンス』に共通する特徴といえば、謎の事件の原因が過去に端を発していないものが増えていることが挙げられる。出雲神話に材を採る石飛卓美や、西行を主人公とする火坂雅志あたりが、『伝奇』にこだわっているぐらいである。
 では怪奇な事件の原因はというと、大抵はオカルト的な処理をしている。伝奇=オカルトといった感じである。むろんその解決は、SFや推理を用いず、もっぱら暴力的な解決に頼っている。だから『バイオレンス』なのだけれども。これには格闘技だけでなく、超能力、あるいはヨガの秘法や気功術など東洋の神秘を主眼目にしたものも現われている。中には真言立川流の秘術なんて、ずばりセックスが主題のものもある。
 そう、セックスもまた暴力的である。嫌がる女性を力ずくで犯す、妖術にかけて性奴隷にする。そういう願望を持った男性が多いのか。なんだか情けない。推理系伝奇小説の雄であった志望田景樹でさえ、この時期には完全にこういった傾向の類型ばかりを量産している。読んでいて悲しくなった記憶がある。 粗製乱造、質の低下の末に来るものは、ブームの終焉と相場が決まっている。火付け役の夢枕漠や菊地秀行は、今では独自の境地を開き、新書ノベルズの新刊に『伝奇バイオレンス』がないことも多い。
 最近目立つのは檜山良昭や荒巻義雄に代表される〈if〉の世界を描いた歴史戦記ものや、胡桃沢耕史らを中心とした中高年向けユーモア・ミステリであるが、実は志望田景樹はこの両ジャンルともかなりの作品を出しているのだ。今、新書ノベルズでなにが流行っているか知りたければ、志望田景樹の名を探せばよい。志望田を見れば新書がわかる!
 ところで、最近特に感じることといえば、あの『伝奇バイオレンス』のブームって、いったいなんだったんかねーという思いだ。
 こうやってSFマガジンでとりあげるぐらいだから、現代SFの新潮流として位置付けられた時期はあるのだろう。しかし、夢枕漠・菊地秀行を除いて、『伝奇バイオレンス』の作家として生き残ったものは少ない。
 友成純一、石飛卓美、火坂雅志ら優れた書き手が発掘されたという点では、確かに意義はあった。が、残念なことに書き手の層が薄すぎた。ティーンズ・ノベルとちがい、それなりに質が高くなければ生き残ることはできないのだった。だから、ジャンルとして確立されることなくブームは終ってしまったのであろう。
 しかし、SF的なアイデアをいかに大衆に読みやすく提供できるかという意味で、あのブームは貴重なものではなかったか。SFといういくぶんとっつきにくい世界が今後どのような形で生き残っていくか。そのような課題に対する一つのあり方を示唆してくれたような気がしてならないのだ。

(「S−Fマガジン」1993年9月臨時増刊号掲載)

附記
 1980年代後半のSFを総括するという企画でかつて新時代社から出ていた「日本SF年鑑」の衣鉢を継ぐものとして出版された号に掲載された。
 伝奇バイオレンスの総括というよりも新書ノベルズ全体の総括みたいになっているのは、当時私が「てんぷら☆さんらいず」という同人誌で「ノベルズ発掘隊」という書評ページをもっていた、そのままの調子で書いてしまったからだろう。
 今読み返すとあまり具体的なことを書いてないので全く資料的価値がない。今ならもう少しきめ細かい書き方をするだろう。


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