ブック・レヴュー


神の目の凱歌 上・下
ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル著
酒井昭伸訳
創元SF文庫
1998年7月24日第1刷
定価上巻740円、下巻800円

 架空戦記小説の読み手として本書をどう読むか、というのが私に与えられた課題なのである。私が架空戦記を読む時は戦術をどのように展開させていくかよりも、戦争そのものをどうとらえているかという点を重視している。
 と、いうわけで、ここでは人類とモーティーの戦争という点に絞って書く。
 さて、本書で扱われる戦争であるが、前作『神の目の小さな塵』での人類とモート人との種族間戦争の原因を未然に防ぐという結末を受けて、人類側からはモーティを骨抜きにする工作を仕掛けに、モーティ側からは新しいルートで人類の居住空間に進出していくというそれぞれの思惑がまず根底にあるということから話が始まっている。
 ただし、これは戦争の直接の原因とはならない。というのは、モーティが前作から世代が交代して群雄割拠の時代となっており、人類が交渉する相手はそのうちの一つの勢力に過ぎないからだ。人類が戦う相手は交渉している相手ではない。交渉相手とは虚々実々の駆け引きのうちに協力体制をとることが成立をし、話し合いのテーブルにつかない勢力と戦争状態に入るという形となっているのだ。
 したがって、この戦争はモーティーの勢力争いに人類が関与し、人類に有利な条約を結ぶ勢力を勝たせることが最終目的となる。戦争が外交の一手段であるということを考えると、この戦争は極めて大国主義的な発想から生じたものだと読み取ることができる。例えば豪商ベリーはゲリラ的に侵入してくるモーティーへの脅威がその行動の根底にあり、モーティとの共存を願う立場として登場するグレンダもまた、モーティーを人類にとって無害なものとする寄生虫をまき散らしにいくことが目的なのである。ジャーナリストのジョイスは帝国の秘密主義に反対はしているがただそれだけでしかない。
 モーティはそれを受け入れているように見えるが、人類の帝国という強大な存在と通商したい勢力を善として描いているだけであって、それをよしとしない勢力の言い分はここでは一切登場しないどころか、極めて勝手な連中であるかのように描かれている。
 「勝てば官軍負ければ賊軍」を地でいくような戦争描写だけに、架空戦記読みとしては人類側が敗れて帝国の勢力範囲にモーティーが増殖していくという有り得べきもう一つの選択を読みたくなってしまうのである。

(「S−Fマガジン」1998年10月号掲載)

附記
 「S−Fマガジン」の「今月のクロス・レヴュー」のコーナーに寄稿したもの。海外SFは私のテリトリーではないのだが、「架空戦記の書評担当者として、戦略や戦術を視野に入れて書いてほしい」という依頼であったので、本文中にもあるように、そのことを意識して書いたもの。


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