田中哲弥は不遇の才人である。そのシュールな感性や、笑いのセンスなど、どれをとっても一級品ではないか。また田中哲弥は理知的な作家でもある。彼の感性は常に理屈っぽいほどの理性に支えられている。
どの作品でも笑わせながら醒めた視点で笑う読者を見つめる田中哲弥の姿が見え隠れするではないか。
彼の不遇は、その作品の主な発表媒体がヤングアダルト文庫やホラーアンソロジーであるところにあるのではないか。ところが、彼のギャグはくすぐられただけで笑うような者には理解不能であり、彼の書きたいものはおそらくホラーではないのである。
これを不遇といわずして、なにを不遇というのか。彼の作品は決して大衆受けしないたぐいのものではない。それどころか、彼のサービス精神は、まさに大衆に歓呼の声をもって迎えられるべき普遍性を持っている。早い話が質の高いギャグをアホでもわかるように書けるのである。彼はまたリリカルな感性の持ち主でもあり、読み手に甘酸っぱい感興をもたらすすべも知っている。決してカルト的な作家ではないのである。それを端的に示したのが『やみなべの陰謀』である。
ならば、田中哲弥はこのまま不遇のうちに終わるのであろうか。いやいや、そんなことはあるまい。新しい世紀を迎えて、今、SFが注目され、様々なタイプの作家が必要とされてくる。その時、田中哲弥の座るポジションがないはずがない。時代が彼を必要とする、その時が訪れようとしているのだ。
(「S−Fマガジン」2001年2月号掲載)
附記
「S−Fマガジン」21世紀到来記念特大号PART1日本SF篇で発表された「21世紀SFのキイパースン」の作家紹介を、という依頼を受けて書いたもの。