死んだ子の……


作品解題

 高井信さん編集「SFハガジン」第132号(2019年9月1日/ネオ・ベム発行)掲載。
 この話は少しだけ実話を交えている。私には10歳下の「産まれなかった弟」がいたのである。墓参りに行くたびに、その弟に話しかけたりしている。むろん、返事はない。彼が生きていたらどうなっていたかなあなどとよく想像する。それにちょっと一味付け加えてみた。書き終えて読み直すと、山田太一「異人たちの夏」の一場面みたいな感じになってしまったなあと思ったけれど、テーマもアイデアも全く別なのでそのまま投稿した次第。


「ケン坊、今年も来たよ」
 私は墓に向かい手を合わせながら、人に聞こえないように声をかけた。
 夏の日差しの中、線香の煙がただよっている。
 ケン坊とは私や妹が勝手につけた名前で、実は名前はない。なぜなら、私の十歳違いの弟になるはずだった彼は、死産であった。子どもだった私が父から聞いた話では、へその緒が首に巻きついていたという。名前さえつけてもらうこともなかった弟は、それでも荼毘にふされて、その骨は先祖代々のわが家の墓に納められた。
 生きて産まれていれば四十代半ばか。高校か大学へ行っている子どもがいてもおかしくない。現に、五つ下の妹には社会人一年生の娘がいる。五十代半ばの私が未だに独身で、年老いた両親も諦めてしまっている今、弟がいれば少しは自分への風当たりもましになっていただろうに。
「責任転嫁してもなあ」
 私は苦笑した。産声すらあげずに産まれ落ちた弟に何の責任があるだろう。
「そうだよ」
 私の背後から声がした。振り返ると、少し妹と似た感じの顔立ちの働き盛りの年齢に見える男性が立っていた。
「あの……あなたは?」
 聞きながら、私にはもうわかっていた。
 弟だ。もし生きていたならば、こんな感じになっていただろうと私が想像していた姿そのままの、弟だ。
「ケン坊だよ、兄貴。で、こいつが女房。うちの子どもたちはあちらで留守番してる」
 弟の後ろから音もなく姿を現したのは、私の初恋の人によく似た女性だった。
「あなたは……」
「太賀さん、お久しぶりです」
 彼女だ。高校時代に若くして大病にかかり、その命を散らしてしまった鈴さん……。
「縁あって、あちらで宅と出会いましたの。あなたという縁で」
「僕が母さんのお腹にいる時から、兄貴はケン坊って話しかけてくれていただろう。兄貴と姉ちゃんの声は一番よく聞こえていたんだ。だから、鈴さんがあちらにきた時、ほかに縁がほとんどなかった僕は、すぐに彼女に吸い寄せられたんだ」
「でも、その姿は……」
「兄貴は墓参りのたびに僕に話しかけてくれていただろう」
 ああそうだった。私はここに来るたびに、墓に向かい生きていたらこんな感じになっていたかなあと想像しながら、いつも彼に呼びかけていたのだった。
「鈴さんのご両親も何かあるたびに大人になった彼女を想像しながら位牌やお墓に話しかけていたんだ。今兄貴が見ている僕たちは、おかげで大人の姿になれたんだよ」
 私は声ひとつかけられなかった。いるはずのない弟と初恋の人が、確かに私の前にいる。
 白昼夢。そんな言葉が頭の中に浮かんだ。額から大粒の汗がしたたり落ちていた。
 私の思いが、家族の思いが、彼や鈴さんをどこか別の世界で生かしている。そんなことってあるのだろうか。
「あちらって……どこだ。あの世ってのはあるのか」
 しかし彼はそれには答えずに言った。
「ああ、もう行かなくては。今からそれぞれの実家の仏壇に行ってゆっくり休むんだよ」
「家に帰ったら、会えるのか?」
「だめだよ。本当なら今ここで姿を現わすのも禁じられているんだけどね。兄貴の想いがあまりに強かったものだから、吸いこまれるように現れてしまったのさ。うかつだったな」
 にっこりと微笑んだ二人の姿は、あたりの風景に溶けこむように消えていった。
 気がつけば、私以外に人の姿は誰も見当たらず、ただ線香の煙がゆらゆらと風に流されているだけだった。
「ケン坊……」
 妹に話そうか? いや、現実主義者の彼女なら一笑に付してしまうに違いない。
 私は、汗をぬぐいながら墓を後にした。
 久しぶりに実家に帰ろう。そして、仏壇に参ろう。ケン坊に会おう。
 たとえ今見たものが私の想像の産物だったとしても……。


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