笑芸つれづれ噺


漫才師を育てて40年 日本芸能再発見の会レポート


 「日本芸能再発見の会」第16回例会は講師に藤井康民さん(ケーエープロダクション社長)を招き、漫才作家の弟子となり40年以上漫才師を育ててきた中で見つめてきた大阪芸能史についての講演が行われた。
 大阪の芸能プロといえば吉本興業が全国的に有名で、その前には松竹芸能の全盛時代もあった。ケーエープロはそれら2大プロダクションの間で、若井はんじ・けんじ、横山ホットブラザーズ、海原お浜・小浜、海原千里・万里、海原さおり・しおり、長江健次といった人気者を輩出してきた。漫才師を育てることにかけては定評のあるプロダクションといえる。
 ご自分の履歴を語ることがそのまま漫才の戦後史を語ることになるのでは、と前置きがあり、藤井さんが漫才作家の秋田實のもとにいった経過から話ははじまった。もともと藤井さんは喜劇映画を作りたくて1949年に東横映画(現東映)に履歴書を出したのだが、どこをどうまわったのか秋田實のもとにその履歴書がいってしまったのだという。秋田實といえば戦前、横山エンタツ・花菱アチャコやミスワカナ・玉松一郎らの台本を手掛け現在のしゃべくり漫才のもとを作ったその道での第一人者。しかし、戦後は「京大で教えるんや」と言っていたという。
 藤井さんをあきらめさせようと、秋田實はイギリス笑話の翻訳ばかり毎日やらせたり、ミスワカサのところにあずけたりしたそうだ。藤井さんはその時に幕間の漫才までしたとか。ところがなぜか藤井さんはいわれるままに行動した。これは終戦直後の就職難ということも関係していたようだ。
 NHKの大阪放送局がラジオで「上方演芸会」の放送をはじめたことが、藤井さんの転機となる。秋田實が書いた漫才の台本を大阪の馬場町にあるBK(NHK大阪の愛称)に運ぶ仕事からはじまり、芸人さんに台本についての指示を伝えたするようになり、藤井さんは漫才に興味を持ちはじめる。
 続いては阪急電鉄の小林一三が秋田實に「漫才師による劇団の結成」をもちかけ、「宝塚新芸座」が発足、藤井さんは演出もするようになった。ミスワカサ・島ひろし、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケらを中心としたこの一座は評判となり、宝塚歌劇団の生徒といっしょに地方公演をするようにもなる。しかし、秋田實は漫才師は漫才を中心にするものという信念をもっており、演劇を中心にすえた小林一三と対立する。漫才師を「宝塚新芸座」から引き上げた秋田は一度は阪急側と和解するが、結局たもとを分かち「上方演芸」というプロダクションを設立した。このプロダクションはのちに松竹芸能と合併し、藤井さんも松竹でプロデューサー的な役割を果たすことになる。この頃台頭してきたのがミヤコ蝶々・南都雄二だそうだ。蝶々は芝居を続けたがったが、結局漫才を選ぶことになる(「蝶々劇団」はこの頃からの夢だったのかもしれない)。
 松竹芸能で藤井さんは新人の育成に情熱を注ぐ。しかし、中田ダイマル・ラケットをはじめとする漫才ブームの中で、新人には出番がない。藤井さんは会社に内緒で、新人たちを当時演芸興業を再開したばかりで芸人の少ない吉本に紹介したという。その中には平参平、桑原和男、前田五郎(コメディNo.1)らがいたそうだ。後の吉本の隆盛を支えた人たちがいたわけで、藤井さんは「もったいないことをした」と笑う。
 藤井さんは新人の扱いなどで松竹芸能と意見を異にし、1968年に独立する。ちょうど阿倍野再開発で劇場を建てるという話もあり、その計画にのってみようと考えたのだ。結局再開発は不調に終わり、現在に至るまで劇場は建っていない。
 「ケーエープロ」には藤井さんを慕う芸人たちが自分の意志で松竹芸能から移籍してきた。はんじ・けんじ、お浜・小浜、横山ホットブラザーズがそうである。
 このあと、所属した芸人さん、特に千里・万里のエピソードが多く語られた。漫才師に対する愛情が伝わってくるような話であった。
 藤井さんは、放送局が漫才をつぶした、と断言する。本来20分ほどの長さで演じられていたものを放送時間の都合で5〜3分にまで削ったり、賞を制定することで逆に選にもれたが将来性のある芸人をあきらめさせたり、という苦言が飛び出す。しかし、衛生放送による多チャンネル化は長い時間にじっくりと漫才を聞かせる芸人を必要とするのではないかと予測し、そうなることを期待していると語る。これには新野新さんも同意していた。
 若い芸人に対しては、一獲千金を狙い過ぎると指摘。ダウンタウンも売れるまでには10年かかっているのだから、それだけ辛抱できる新人が少ないという。
 漫才とともに40年以上を過ごし、しかも小さなプロダクションで手作りで芸人を育ててきた藤井さんでなければ聞かれない話も多かった。もう72才になるというのに、エネルギッシュな語り口であった。

(1998年6月6日記)


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