笑芸つれづれ噺


爆笑王ダイラケ

 私が中田ダイマル・ラケットの漫才をTVなどで見たのは、その晩年のものでしかない。
 それでも、「ダイマル・ラケット爆笑三夜」という代表的なネタをちゃんと残しておくために催されたイベントなどによってダイラケの漫才が面白いと若い世代に再認識され、自信を取り戻して最後の光を輝かせた頃だったので、まだよかった。
 現在市販されているVTRはちょうど漫才自体が低迷してWヤングが孤軍奮闘していた時期のものであまり生気がないのが残念である。
 昭和30年代はダイラケの時代だったといわれる。最近、その頃の録音をCDで聞いて、納得できた。勢いが違うのである。私が見た頃は長年演じ続けてきたネタを練り上げた面白さはあったものの、さすがに観客を一気に引きずり込む勢いはなかった。それでも、爆笑させられた。
 ダイラケはネタがいい、動きがいい、間がいい、テンポがある。笑わせるための全ての要素を持った漫才だったのだ。
 「家庭混線記」、娘の婿が自分の父親で逆らえんが、孫は可愛いなあと、ダイマルがいう。それは妹ではないかとラケットがつっこむ。家族の関係がしっちゃかめっちゃかになり、こんがらがる。「痛いとこ押すわ、押されてしまる、しまったら痛い」というのはこのネタ。
 「ぼくは幽霊」、「青火がポー、ボヤがパー」と幽霊に化けて出る練習をするやり取りは圧巻だ。
 「ぼくと君の恋人」、互いの恋人の特徴をあげて「あ、いっしゃいっしょや」と喜んでる場合やないで。そしたらジャンケンで決めよかといかさまジャンケンをする。手のごまかし方の仕種が最高。
 「ぼくの農園」、「ちょっと風邪ひいて寝ててな」「そんなもんひくからあかんのや、布団ひいて寝んかい」。これだけで爆笑。
 「地球は回る目が回る」、天動説と地動説を言い張る二人、ダイマルの屁理屈にへこまされるラケットが絶品。「北半球と南半球があってやな」「キタの阪急はわかるわい。ミナミは南海じゃ」「誰が電車の話をしてるねん」。
 いちいちネタをあげていったら切りがない。
 ダイマルがつまらないことを言うと、ラケットはネクタイを直し、身づくろいをしてからさっと退場しようとする。その間、無言。まあ待てとそでを引っ張るダイマルの間のよさ!
 これだけの芸を持った漫才師というのはもう出ないのではないだろうか。
 晩年の映像でもかまわない。「花王名人劇場」でやった独演会をビデオ化して販売してくれる会社はないものか。
 上方落語で「爆笑王」といえば初代桂春團治だが、漫才では文句なしにダイラケである。
 文句があったら、言うてみてみ。聞いてみてみ。

(1998年8月25日記)


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