横山やすしが死んだ時、あれだけ自滅的末路であったというのに追悼番組はじゃんじゃん組まれるわ、生前の漫才を収録したVTRやCDはどんどん出されるわでそれをまた全部録画し全部買うということをしたことがある。
これはやすきよというコンビが80年代にTVを中心に起きた漫才ブームの頂点にいたということが関係しているんでしょう。
ところが、漫才ブームが起きる直前のこの二人はバラで司会とかすることの方が多くてあまり漫才をしていないのであった。漫才の頂点にいたというコンビではなかった。実は、そのころ漫才を中心に人気を呼び漫才界のトップにいたコンビがあったのだ。
Wヤング。西川ヒノデ門下で最初は楽器を持って舞台にたっていたが、しゃべくり一本に転向し、次々と県名や動物や酒の銘柄やタバコの銘柄などを折り込んだ洒落の応酬で爆笑を呼んだ。丸顔の平川幸雄は「ちょっときいたあ」「えらいすんまへん」などの流行語を連発。相方の中田治雄はとちりも多かったが、それが味となって速いテンポと絶妙の間で一世を風靡した。
ところが、そのころは漫才自体が人気低迷していた時期であった。中田はそのころ楽屋ではやっていた野球賭博に手をだし多額の借金を抱え、1975年10月、飛び下り自殺をしてしまう。
漫才ブームを支えた当時の若手たちが実は「やすきよ」を目標としていなかったことは断片的に伝わっている。ビートたけしは「Wヤングの漫才が一番面白かった」とどこかで書いていた。島田洋七は「Wヤング師匠みたいな面白い漫才をしたい」とインタビューで答えていたはずだ。名プロデューサー澤田隆治は「『花王名人劇場』に最初に呼ぶ漫才はwヤングのつもりだったのに自殺してしまったのでやすしきよしにした」と講演で語っている。これは私自身が自分の耳で聞いている。
80年代の漫才ブームはWヤング中心に起こっていた可能性があるのだ!
だのに、やすきよの漫才の記録は大量に出回っているのにWヤングのそれは「漫才の殿堂」と銘打たれたVTRのシリーズにただ1本あるのみである。
これはあまりに不公平ではないだろうかと思っている。
私は今でも彼らのいくつかのネタを空で言える。
特にすばらしいのは「ああ結婚」というネタで、結婚式を扱った漫才ではこのネタが今でも最高傑作だと思う。
確かにキャラクターの面白さではやすしきよしの方が強烈で対比の面白さもある。しかし、それに寄りかかった感じでしゃべくりだけの面白さではWヤングが上だったのだ。発売されたVTRはあまりできのいいものは収録されていない。「ああ結婚」すらないのだ。
こんなに残念なことはない。
中田治雄の死後、平川幸雄は吉本新喜劇でチンピラ役を主に演じていた佐藤健志を相方として迎え、現在もWヤングという名で漫才を続けているが、佐藤の間が悪く、かつての輝きを取り戻すことはできていない。
「第2次漫才ブーム」のころの音源はかなりCD化されているし「第3次漫才ブーム」の映像もVTRでまとまったものがでている。ところが、谷間に咲いた大輪の花であるWヤングは生前の栄光が嘘のように忘れられている。なんとも残念なことである。
いつか、Wヤングの再評価が起きることを私は何年も何年も待っているのだが、どうにもその気配はない。残念なことだ。
(1998年9月25日記)