笑芸つれづれ噺


上方落語におけるお囃子の発達 日本芸能再発見の会レポート

林家染丸
 「日本芸能再発見の会」第21回例会は講師に三味線から鳴り物までお囃子全てをこなす三代目林家染丸師匠(落語家)を招き、上方落語でのお囃子について話をうかがった。
 もともと落語だけでなくお囃子も好きだった染丸師匠は、先代の染丸に入門してからも、師匠に隠れて三味線の稽古を独学でしたりしていたという。というのも、先代は太鼓が苦手で、亡くなった兄弟子の小染と染丸師匠(当時染二)の二人にも「噺家の数が少ないから、太鼓を叩けたら、そっちばっかりやらされるから」という理由で太鼓を打たせなかったのだ。ところが1968年、ガンで急逝する直前に先代は「稽古をするならこの人に」と、お金を包む相手なども教えてくれたという。先代は染丸師匠がこっそり練習していたのを知っていたのだ。当時「千日劇場」の専属で〈ヘタリ〉(鳴り物専門の方をさす隠語)をしていた桂右之助、桂文蝶、〈下座〉(三味線)の林家トミ、スエ姉妹に教えを請い、染丸師匠のお囃子の修行が始まった。
 ところで、上方落語の特徴は話にもお囃子が入ること。東京落語は出囃子のみ。これには理由があり、江戸時代に落語が生まれてから江戸ではお座敷で落語が発達し、上方では野外の小屋で発達したところからくるという。だいたい東京落語の出囃子に三味線が入ったのも比較的最近のことで、もともとは太鼓だけだったのが上方の影響で三味線も入ることになったのだという。他にも細かな違いとしては上方落語が落ちが決まったところで、「ドンドン」と太鼓が入るのに対し、東京では余韻を楽しむというような理由で少し間が空いて受囃子が始まる。これも上方落語が見せ物小屋や歌舞伎の影響を強く受けているからだそうだ。
 なにしろ小屋掛けでやっている落語である。道行く人の足を止めなければならない。見台を小拍子で叩くのも歌舞伎のツケ(舞台をタタンタンと叩く)もその名残だという。文献には残っていないが、染丸師匠は江戸時代から上方落語にはお囃子に鳴り物を入れていたのではないかと考えているそうだ。
 明治の頃、入場料の高い歌舞伎に対し、落語でも「芝居噺」という歌舞伎のダイジェスト的なものが流行した。そのため芝居に合わせたはめものが噺に入るようになったのだが、芝居噺がすたれても「お客さんが得した気分になって喜んでくれるやろ」というような感じではめものが残ったのが上方落語。ただし、歌舞伎と違い、落語では下座では三味線を女性が鳴り物を落語家が担当する。これは、歌舞伎に遠慮して本格的な囃子方がやってるのではないことを示すためだったとか。ちなみに「下座」は本来「外座」と書き、江戸時代、旗本の次男坊などが一座の外部のものとしてお囃子を担当したところからくるのだそうだ。身分制度の厳しかった時代、いくら三味線がうまくても旗本の息子たちを河原乞食と同格に扱うことはできなかったのだ。
 お囃子の種類がここで紹介された。
1.出囃子(受囃子)……ご存知噺家が高座に上がるときと下がるときに鳴らされるもの。
2.はめもの……落語の中で場面に合わせて鳴らされる効果音やBGM。
3.儀礼の鳴物……開演、中入、終演を示す太鼓。「どんどんどんとこい」と打つ一番太鼓、「おたふくこいこいかねもってこいこい」と打つ二番太鼓、前座の「なかいーり」の声に合わせて鳴らされる中入の砂切(しゃぎり)、前座の「おじかーん」の声に合わせて鳴らされる「でてけでてけてんてんばらばら」と打つ果て太鼓(ハネ太鼓、打出、追出ともいう)がある。
4.間囃子……奇術の幕間や伴奏など、場をつなぐときに使用。
 これらは最後にお弟子さんと実演された。長唄用の細竿にしめ太鼓、大太鼓、銅鑼が目の前で華やかに鳴らされると大きな拍手が。出囃子では前座用の「石段」、中座用の「赤猫」「じんじろう」、真打ち用の「早船」、春團治のみに許されている「野崎」、六代目松鶴の「船行」、二代目染丸から当代の米朝に受け継がれた「かっこ」など、おなじみのお囃子を聴くだけで、その高座が目に浮かぶ。それぞれのニンに合う出囃子を下座の方が選んでくれるのだそうだ。
 染丸師匠によると、落語をするにはお囃子を知っておいた方がよいという。下座さんとの間というものを覚えることで噺の間もよくなるのだ。また、下座さんも落語をよく知っていないとできない。師匠が教えを請うた下座さんたちが次々と亡くなり、その数が減ったことに危機感を持った染丸師匠は自ら「お囃子教室」を主宰しそこから既に3名、またそれ以外からも下座さんが育っていて、現在はかなりバランスよく下座さんの数がいるとのこと。ただ、大阪には落語の定席がなく、珍しい噺のはめものなど、とっさに弾ける人も少ないので、定席があって常に実践の場で勉強できることが望ましいのだが……。
 このほか、師匠が接してきた歴代の下座さんの思い出なども語られた。
 「お囃子」は落語や落語家を「はえさせる」意味から「はやし」と呼ばれるようになったのではないかという安藤鶴夫さんの説を紹介し、今後も上方落語に欠かせないお囃子の伝統を後に伝えていきたいという決意を述べて締めくくられた。
 普段はあまり知られることの少ない「お囃子」に焦点を絞ることでますます落語の面白さがわかってくる、楽しい講演であった。

(1999年6月12日記)


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