笑芸つれづれ噺


上方芸能よもやま話 日本芸能再発見の会レポート

相羽秋生
 「日本芸能再発見の会」第22回例会は講師に相羽秋生さん(演芸評論家、大阪芸大教授)を招き、芸人の「人気」などについて具体的な例をもとにしたよもやま話をうかがった。
 相羽さんはまず広義の「笑い」と狭義の「お笑い」の区別を示した。「笑い」は人間の感情のひとつであり、その中で「お笑い」は「笑い」を起こさせる作用であるとし、ここでは「お笑い」=「演芸」として話を進めていく。
 「演芸」を大きく「話芸」と「体技」の二つに分けた氏は、「話芸」が仏教、「体技」が神道と結びついて発展してきたと説明。
 「話芸」には落語、講談、浪花節があり、仏教の「説教(経)」がそれぞれ展開していった結果、現在に至ることを示した。落語は狭義を広めるために親しみやすい話としてスカタンな人物を主人公にし反面教師とするよう説いたところから、講談は絵解き説教から、浪花節は節談説教からそれぞれ演芸として変化してきたのだという。
 一方、「体技」には曲芸や奇術をあげ、ジプシーの大道芸が大陸を通って日本に渡り、神道の太神楽として広まっていったという説を紹介した。体技は言葉が通じなくてもわかるため、世界に通用する芸であるということにも触れる。
 現代になって、漫才、コント、そして集団コントである「吉本新喜劇」が登場した。これは「話芸」と「体技」のミックスされたもので、動きがなければならないTVに合う芸であり、TV時代で発展したのである。
 「お笑い」の分類をしたあと、大阪での演芸場の現状が語られる。全国に演芸場を作ろうとする吉本興業と、浪花座の改築などで演芸場そのものがなくなる可能性のある松竹芸能を対比させ、演芸の独占がもたらす弊害について触れた。
 さて、芸人については、次の4つのパターンがあると分類。
1.人気があり、実力もある。
2.人気はないが、実力がある。
3.人気はあるが、実力はない。
4.人気も実力もない。
 4は論外として、芸人の理想はもちろん1である。では、2と3のどちらを評価するかということになると、2は儒教的発想にとらわれたものであり、今後は3の「人気」について真剣に考えていかねばならないのではないかというのが、氏の考えである。
 このあとは、「人気」に対する氏の考察が話の中心となる。
 「人気」とはなにか。人の気、つまり、他人の評価であり、また、人の気持ちが集まることだと氏は考える。人の気を集めることに心を砕いた芸人の例として、藤山寛美の心配りが出された。どんな高級車に乗っていても楽屋に横付けにせずに道頓堀の橋の上で降り歩いて劇場に行った。楽屋への入り口でお客に必ずあいさつをした。地方客が中座への道をタバコ屋に尋ねることを考えて自らあちこちのタバコ屋に足を運んだ。店屋物をとれば、食器は必ず自分が率先して洗って返した。紫綬褒章をもらったときに「中座と道頓堀商店街があったから叙勲もあった」と商店街に100万円を寄付した。葬儀の時には道頓堀商店街が参列者にふるまい酒をしたことから、寛美が死後も「人の気」を引きつけたのがわかる。人の気をつかむためにする仕掛けの数々は、他の者には真似ができない。
 「人気」を得るためには、次の5つの要素のうち、最低3つは必要だと、氏は説く。
1.かわいらしさ。
2.気遣い、気配り。
3.苦労と工夫。
4.係累を作れ。
5.好奇心と行動力。
 1については、欠点を隠さないことでかえって人に愛される、ということである。例として藤山寛美の金づかい、ミヤコ蝶々や正司敏江の無筆などをあげ、抜けていることが相手に優越感を与え、それがかわいらしさにつながるという。
 2については、漫才コンビの互いの気遣いを例示した。やすしきよしがボケとツッコミを固定しなかったのはボケ役に人気が集まりコンビ解消の原因になる、それを防ぐためであったという。それは阪神巨人ら後のコンビに受け継がれていく。ギャラの配分でも、かしまし娘やレツゴー三匹がギャラに差ができないように同じだけ取り、残りは両親に渡したりプールしておいてトリオのための出費に使ったという。
 3については、経済的な苦労や肉親の愛情が少なかった芸人の例をあげ、彼らが苦労から脱するために工夫を凝らしたことを示した。特に桂三枝は創意工夫の達人であったという。西川きよしのレギュラーを長続きさせる方法、桂枝雀の稽古を楽しむための工夫などもあげられた。
 4については、八方美人になるのではなく、誰か可愛がってくれる人を見つけることでその人に使ってもらうという処世術について述べた。好き嫌いが分かれる人の方にかえって魅力があり、人気が出るのである。
 5については、好奇心を持ち、行動範囲を広げることが芸人としての幅を広げていくことを示す。例としては、自分で飛行機を運転しどこへでも飛んでいく桂文珍がある。
 相羽氏はこの5つの条件は芸人だけではなく、一般社会にも通用するのでみなさん応用して下さいと述べ、最後にギャグをかまして講演を締めくくった。
 芸そのものよりも、芸人の生き方についての話が中心で、いささか偏りもなくはなかったが、長い間芸人を見続けてきた相羽氏ならではの講演だったといえるだろう。

(1999年9月11日記)


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