笑芸つれづれ噺


狂言界の現況 日本芸能再発見の会レポート

安東伸元さん
 「日本芸能再発見の会」第40回例会(2003年6月21日)は、羽衣学園短大教授で狂言師の安東伸元さんに「今日の狂言界の現況」と題してお話をうかがった。
 安東さんは大学の定年退官を前に「狂言メソッド」という論文を発表された。話はそれを軸に進められる。
 安東さんはまず「家元制度」に対しての意見を述べられた。能楽は室町時代は民衆芸能であったが、観阿弥と世阿弥が将軍のお墨付きを得、徳川時代には武家の式楽となった。つまり支配者の最高芸能という位置づけがなされたのである。当初20あったグループから5つの流派がピックアップされた。その基準は政治力やグループとしてのまとまりであったという。この結果幕藩体制に組み込まれ、封建制の枠組みの中で世襲制度などが確立し、武家流になっていったのである。
 徳川時代以前に起こった能は、それでも視点は民衆のものであった。しかし、同じテーマを扱っていても、徳川時代以後に盛んになった歌舞伎は支配者側をヒーローにしているという違いがある。ただ、式楽になってからの能は新作は作られず専門化し、表現法の細部にこだわるようになっていく。
 明治以降、能楽師は路頭に迷うようになる。警察官になった者から泥棒になった者までいたという。しかし、新政府の要人が欧州へ視察に行き、オペラを見せられたことで変化が現れた。オペラハウスといっても日本の能楽堂と変わらず客は正装で訪れる。使節団はそれを見て「日本にもオペラのようなものが必要だ」と考えた。そして帰国して発見したのが能楽であった。というのも、能楽を愛好したのはもっぱら大名であり、下層武士出身者が中心の明治新政府の要人は能楽の存在を知らなかったという。かくして敗戦まで能楽は政府の保護下に入った。敗戦後、一時的に能楽師が廃業することもあったが、したたかに復興していく。それは時の権力者とすぐに結びついていったからである。
 戦後、アメリカ文化が日本に流入し、演劇が大衆に触れるようになった。イギリス人たちが能を絶賛し、日本文化のブームが起こる。これは、西欧近代合理主義のリアリズム追求という姿勢では現実の壁を乗り越えられないと感じたイギリス人が東洋文化に目を向けて壁を乗り越えるための起爆剤にならないかと考えたからだという。
 安東さんは、「今、その値打ちがわからないものは実は日本人なのではないか」と言い切った。それは明治維新の時にボタンを掛け違ったことに始まり現在でも市川猿之助を筆頭に近代写実主義を取り入れた歌舞伎が現れている。新劇はロシア演劇を見本にスタニフラフスキの演劇論をそのまま実行したが、後に東野英治郎が「能狂言に軸足をおいていたら新劇も変わっていた」と述懐したという。明治政府は能狂言などを「古典伝統芸能」と位置づけてしまった。これにより古典文化を捨てさせようという意見は封じたけれど、芸術であるという認識も封じられ、海外のクラシックバレエなどと同列に論じられることもなくなった。安東さんは「能狂言は世界に通じる舞台芸術」と長年主張してきた。「古典芸能」という言葉についてまわるマイナスイメージがあるように感じておられるのだ。
 ここから「能狂言」が封建制度に組み入れられた結果、世襲制になってしまったことに対する苦言が発せられた。和泉元彌の「自分には伝統的な血が流れている」や茂山逸平の「狂言のDNAがある」という発言に対し、封建的なものを今に残している理不尽さを感じるという。また、このような家元的な稚拙な発言をそのまま報道するメディアに対する批判も出た。記者の不勉強にも不満が募る。子ども向けの狂言公演を前に「狂言とはどんなものですか?」と尋ねた記者さえいたという。
 しかし、安東さんはただ、単純に家元批判をしようというのではない。能が古格を残していられるのも家元制度あってのことだと考えるからだ。ただそれが和泉元彌の「宗家」の登録商標など家の既得権にからんでくることに対する不満があるのである。一般の人は洋楽ならば演奏の優劣がわかる素地があるが邦楽にはその下地がない。従って「人間国宝」などの肩書きが頼りになる。そのため芸の未熟さを補うために肩書きを欲するということに対する批判なのである。芸能人気取りで芸を磨く努力をしない「宗家」への苦言なのだ。
 安東さんは京都市立芸大に出向し、クラシック音楽の世界に触れた。そして、「物事にはアカデミズムの部分が必要だ」という認識を得た。だから、茂山千作さんには「スーパー狂言」などはしてほしくなくアカデミズムの中心となってほしいと思うのである。
 明治政府が西洋文化に求めたよりどころを今こそ古典芸術に求めてほしいと願う安東さんは、アジア各国の人々が自分たちの伝統を大切にしているのに対し、日本の若者が古典芸能を知らないことを異常だと感じている。アジアからの留学生には自民族のアイデンティティが根底にあるが、日本人の学生は「日本」を背負っていないという。日本の伝統芸能を体にしみこませた上で洋楽をすればすばらしいものになると考えている。文部省が音楽の時間にやっと邦楽を取り入れることにしたが、自分が草の根的に活動してきた「狂言鑑賞会」は補助を止められた。それだけに家元は根本として残っていてほしいのだ。ただ、「狂言といえば野村、茂山」だけという短絡的な状況に対しては危機感を持つ。一家に集中することには問題がある。
 安東さんは大学教授の肩書きを持つことによって好きなことができるようになったという。「申楽大和座」を作り、若手の育成もしてきた。そのなかで、「血統」ではなく家の環境が家元を支えてきたのだと実感した。洋楽にはメソッドがあり誰でも上達する方法論がある。しかし、邦楽には普遍性がない。だから「狂言メソッド」を作ったのである。しかし、洋楽でも楽譜は忘れないようにする資料に過ぎない。やはり伝承芸能であることに違いはないのだという。従って、安東さんは「狂言は全ての日本人に伝承すべきだ」という持論を展開する。若者に教え、その若者が子どもに謡い聴かせる。それが必要なのだ。
 家元は犠牲者であると安東さんは指摘する。国が何もしないから、伝統を背負わされてしまう。たた、人間国宝になると年金がつく。文楽の人たちに人間国宝が多いのは年金で国が守ってやっているということなのである。ところが、自分が偉くなったと勘違いするのである。
 日本では、全てに金がかかる。何にもないから工夫した時代もあったが、今は何でもあるからそれを使わなくてはならない時代になり、よけいに高くつくようになった。文化庁は家元に意見できず、能の五流が独占、という図式がある。しかし、新しいものが挑戦できるという機会を作らねばならないという提言が最後に示された。

(2004年6月16日記)


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