大相撲小言場所


相撲はスポーツか

 大相撲は、芸能である。そう言い切ってしまう自信はないのだが、近代スポーツとはその在り方が違うのである。
 現在の相撲協会ができたのは昭和天皇がまだ皇太子で、摂政という立場にあったころのことだから、大正年間である。その時に財団法人の認可を受けている。その前は、東京と大阪に2つの相撲協会があり、別々に運営し、時には交流の相撲大会を開いていた。江戸時代は相撲会所というのが各地にあり、特に、江戸、大阪、京都の三ケ所の会所が盛んであったという。
 横綱を認可する家柄が熊本の吉田司家と、京都の五条家の2つ。うち五条家は弱い横綱を次々と認可したため、権威をなくし廃れてしまった。
 興行は常に神社などへ奉納する「勧進相撲」のかたちをとった。でないと、幕府から許可がおりなかったわけだ。親方衆は部屋を開いて力士を育てる一方で、茶屋を経営して見物客を集め、祝儀をもらう。力士は部屋に所属するだけでなく、各地の大名のお抱えとなり、強い力士を抱える大名は大きな顔ができたとか。
 今の相撲協会は、これらの系譜をしっかりと受け継いでいる。評判の悪い茶屋制度は「相撲サービス会社」の名で存続し、番付には勧進元の許可を得たというしるしの「蒙御免」の字が中央に鎮座ましましている。大名のお抱えはなくなったものの、出身地は番付に記され場内アナウンスで呼ばれ、地元新聞には「郷土力士」として横綱以上の扱いを受けたりする。
 相撲界こそは、現代に残された「江戸時代」なのである。
 力士はマゲを結い、行司は神職を模した装束をつけ、呼び出しはたっつけ袴に白扇。中味は現代人だが、スタイルはあくまで江戸情緒。つまりは、異世界なのである。
 近代スポーツを語るときのように相撲を語ってはいけない。江戸時代から綿々と続いている興行なのだ。地方場所は巡業と呼ばれ、決してオープン戦とかエキビジションなんて呼ばれ方はしない。巡業−あくまで「興行」なのである。最終日は「千秋楽」である。歌舞伎などと同じだ。
 われわれは、そこを理解していないと、近代スポーツでは考えられない矛盾に次々とぶちあたる。その矛盾は「相撲だから」の一言で片付けられてしまうのである。

 相撲はスポーツという芸を見せる興行であり、それは歌舞伎などの演芸と同様、日本独自の文化なのである。 

(1997年10月10日記)


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