大相撲小言場所


小錦、引退へ

 平成9年大相撲九州場所13日目、幕尻に落ちていた元大関小錦の負け越しが決まった。幕内最下位であるから、このまま現役でとり続けたとしても来場所は十両だ。かねてより小錦は十両に落ちてまで相撲をとる気はないと発言していたので、今場所限りでの引退はまずまちがいない。
 小錦の登場は印象的であった。大きな体を生かした突っ張りで千代の富士、隆の里といった横綱を撃破、「黒船」とあだ名された。すぐにでも横綱にまで駆け上がるとさえ思われた。「相撲はファイトだ」と発言したら、「ファイト」を「けんか」と訳され、非難を浴びたこともあった。高見山は道化的な存在で皆から愛された。本当の高見山はかなり計算高いところのある人物だそうだが。しかし、小錦は違った。頭の回転も早く研究熱心で、強くなり第一人者となることで自分を認めさせればよいと考えていたようだ。実際、膝を怪我するまでの小錦は強かった。引かれても前に落ちず、相手を土俵下に突き飛ばした。
 双羽黒のさばおりで土俵に膝を打ちつけてから、小錦の下半身はその体重を支えることができなくなった。稽古量が減り、体重がみるみるうちに増加した。横綱を目前にしながらとうとう千代の富士の壁を破ることもかなわず、大関から陥落した。引退の二文字が場所ごとにささやかれるようになる。
 しかし、小錦は引退しなかった。日本国籍をとり、年寄名跡も手にし、いつ引退しても親方として協会に残って後進の指導にあたれたのに、彼は相撲をとり続けた。彼への拍手が増えた。大関時代は敵役だった彼が、陥落してからは幕内随一の人気者となった。その拍手は最初は同情の拍手だったかもしれない。しかし、最後には驚嘆と激励の拍手に変わっていった。
 何度も引退の危機は訪れた。すっと引かれるとバッタリ前に落ちる。しかし、相手をつかまえてしまえば怪力で土俵の外に運び出してしまう。取り口が変わったのだ。後一歩というところで引き落とされると、その度に小錦は土俵を叩いて悔しがった。かつてのように一気に土俵下へもっていけない力の衰え、後一歩が出ない下半身の衰え、それらに対するもどかしさを感じさせた。それでも、若手力士たちには最大の関門として立ちふさがった。
 小錦はどうしてここまで現役にこだわり続けたのだろうか。彼は弁護士志望だったが、家庭の事情で進学もままならず日本で相撲をとることに決めたという。彼にとって相撲は最後の砦だったのだろうか。
 小錦の存在感は大きかった。巨体というだけなら、幕下以下にもかなり大きな力士はいる。しかし、小錦はただ大きいだけではない。最盛期の強さにはとどかないまでも、ツボに入ったときの破壊力は今でも幕内では随一ではないだろうか。ギョロリとした目の愛敬のある顔つき、そう、彼の笑顔はとてもさわやかだ。茶目っ気のある発言の数々。小錦はもう「そこにいる」というだけで絵になる力士となったのだ。
 先場所の終盤、小錦は貴乃花を一気に土俵際に寄りたてた。全盛時の小錦がそこにはいた。残念ながら体を入れ替えられ破れたが、あの一番が小錦にとって最後の花道であったような気がしてならない。
 小錦のいない幕内の土俵がいかに寂しいものか、彼が休場する度に思い知らされたものだ。来場所からはずっとその状態が続くことになる。その穴を埋めることのできる力士は、まずいないだろう。
 一つの時代がまた過ぎ去っていった。それを感じさせる小錦の引退である。

(1997年11月21日記)


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