大相撲小言場所


夏場所をふりかえって〜新横綱武蔵丸誕生〜

 武蔵丸には参りました。一部で勝ち星や立ち会いについて横綱として不足があるような意見もあるようだが、相撲の勢いがこれまでとは違った。これまでなら日替わりで良かったり悪かったりしてたけど、今場所は15日間通してその波が少なく、負けても翌日に尾を引かず、終盤の息切れもなかった。私としては横綱昇進は妥当であると思う。2場所連続で優勝するということがどれだけ大変なことなのか、素人の私にはわからないが、現役時代にここ一番でかちかちになって一度も優勝できずに引退した時津風理事長が連続優勝した大関に対する賞賛の言葉が出ないというのは、どんなもんだろうかね。
 14日目に2敗どうしで武蔵丸と若の里が対決し、武蔵丸が圧勝した時点で、優勝は武蔵丸だと確信した。この2場所に限っていうと、一番安定しているのが武蔵丸なのだ。
 さて、他の力士についてだが、復活を期した曙は2連敗のスタートであったが、よく持ち直した。琴乃若から復帰後初白星をあげた一番は相手のまずい相撲に助けられたという感じがあったが、そのあとの勝ち星については文句なしだ。勝ち越しで合格と思っていたが、みごとに11勝。優勝争いに最後まで絡んだんだからいうことなしだ。来場所もこのひたむきな相撲が見られれば、優勝の可能性も出てくるのではないか。勝ち星に対する執念というものを感じさせてくれた土俵であった。
 立派だったのは技能賞の若の里。13日目まで2敗で優勝争いのトップに立っていただけではない。両手をしっかりとつく立ち会い、ケレン味のない正攻法の相撲、最後まで攻めを休まない出足。怪我が完全に治りきってないので受け身にまわらないようにと常に攻めの気持ちでいたのだろう。気持ちのいい相撲だ。
 魁皇も最後まで優勝争いに加わったけれど、相撲が強引。全然変わってない。勝ち星だけなら大関を狙えるところまできたけれど、もっと立ち会いを大事にしないと、すんなり大関には昇進できないだろう。
 そういう意味では出島にはがっかりした。なぜ立ち会いの変化など楽な相撲で勝とうとするのだ。大関を目指す気がないのか。関脇止まりでいいならそういう相撲も構わないだろう。しかし、出島は素質からいっても大関になれる力士なのだ。引かれても前に落ちない粘っこさ、黙々と前進する圧力。怪我も治ってきているようなのだから、楽して勝つ味を覚えてほしくないのだ。
 闘牙は今場所の活躍でけっこう面白い存在になってきた。長身から繰り出すのど輪は地力がついてきたら上位陣の脅威になるだけの威力を秘めている。こういうくせのある脇役がそろわないと、相撲は面白くない。
 安芸乃島はいったいどうしたのかな。大関昇進を意識して硬くなったのかな。出足がなかったな。しぶといだけで勢いが感じられなかったな。期待してただけに残念としかいいようがない。こういうチャンスは年齢的にいってももうめぐってこないんじゃないだろうか。
 さて、問題は若乃花。明らかに怪我が治りきってないのに出場したのはどういうわけだろう。横綱の責任というのは、勝つことにあるのであって、参加することにあるのではない。確かに若乃花と貴乃花、二人も横綱が休場するというのはよくないことかもしれない。しかし、万全の体調でないのに出場して負け星を連ね、挙げ句の果てに途中休場というのはいかがなものか。
 全休の貴乃花、千代大海ともに、来場所は万全の体調で臨んでほしいし、それが無理なら全休もやむを得ないのではないか。

 さて、新横綱の武蔵丸をめぐって、場所中に時津風理事長や佐渡ヶ嶽審判部長が「優勝しても横綱にはできない」「単独なら検討する」など無用の発言を行ったことについて、私は怒りさえ感じる。勝負師はナーヴァスになっているのだ。いらぬことを繰り返し発言すれば、力士が動揺する。大関や横綱を務めたほどの人たちがそんなこともわからんのかと思う。これまでも横綱大関がかかった場所で協会幹部が同様の発言を行っているが、不愉快千万だ。そんなことは千秋楽が終わってからいうべきだろう。要職にある人たちの言動とは思えない。
 それだけに、最後まで自分の相撲を取り切って優勝した武蔵丸は偉い。十分横綱の値打ちがある。

(1999年5月26日記)


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