優勝決定戦、横綱曙の表情は、緊張しているのか伏し目がちで力強さがなかった。強いときは相手をにらみつける。その鋭い眼光が影を潜めていた。対する出島は13勝をあげて大関昇進を確実にしていたということもあってか、平常心といった感じのポーカーフェイス。仕切りの時点で、勝負は決していたといえる。出島は一方的な相撲で優勝と大関、そして史上4人目の三賞独占(過去には、大受、大錦、貴花田)という栄冠を手に入れた。
出島の相撲はすばらしかった。先場所、11勝をあげながら立ち会いの変化が目立つということで三賞を逃した。いわばお灸をすえられたということである。その反省からか、今場所は立ち会いからよく踏み込み出足鋭く徹頭徹尾前進する相撲をとり続けた。敗れた相撲もはたかれて落ちたもので、それは決して汚点になるものではない。文句なしの大関昇進である。
曙は千秋楽こそ堅くなって逆転優勝を許したが、全盛時を彷彿とさせるような突き押しが出て、復活を感じさせた。優勝からながらく離れてさえいなければ、堅くなることもなかったのではないか。よくここまで戻せたものだ。逆に、今場所優勝を逃したことで安心することなく今後も目標を持って土俵に上がれることだろう。敗れたことで土俵寿命をのばせるのではないかという気がする。
新横綱武蔵丸は12勝。曙や貴乃花を下しての勝ち星で、3横綱の中では一番安定感のある相撲だった。合格点を与えられる横綱ぶりであったと思う。昇進については批判もあったが、今場所の相撲を見た限りでは横綱という地位についたことで、相撲がよりよくなったといえる。
休場あけの貴乃花は途中で左手を骨折。無理をして土俵にのぼったため、かえって興をそいだ。立ち会いの変化でしか勝てなくなり、まともにいったら相撲にならない。連続休場のあとだからまた休んではいけないという意識があったのだろうが、それは違う。勝ち目のないのに土俵に上がり続けることで横綱の地位を汚したといっていい。相撲が取れないのなら、休むべきであった。
敢闘賞は土佐ノ海。はたかれてばったりと落ちる場面がますます少なくなってきた。そうなればもともと地力のある力士、今場所の活躍は当然といえる。三賞は逃したものの土佐ノ海と同じ11勝をあげた武双山も、序盤こそ休場あけで不安定な土俵が続いたが、勝負勘が戻ると休場前に大関に挑戦したときの相撲に近い出足のいい取り口で復活の兆しを見せた。
残念なのは魁皇だ。7敗するまでは価値ばかり意識して足が前に出ず、防戦一方だったのに、そこからあとは別人のような相撲になった。先場所までの豪快な相撲が取れるようになった。ということは、大関挑戦の失敗は主として精神面からくるものだったのか。一から出直しとなる来場所だが、なんとか勝ち越せたのが救い。
栃東は迷いがあるのだろうか、体調が悪いのだろうか。得意のおっつけの強さがどこかに行ってしまった。勝った相撲もなにか生彩がないように感じられた。
元関脇の栃乃和歌が場所中に肋骨を痛め休場、とうとう引退。年寄竹縄を襲名して後進の指導にあたることになる。明治大学出身としては初めての幕内。一時は大関候補に名前の挙げられた実力者だった。また、元小結の琴稲妻も引退。年寄粂川を襲名する。稽古熱心で、決して体に恵まれてはいなかったが、左からの思いきりのいい上手投げでならした。
二人とも私と同い年。やはり同い年の水戸泉や寺尾が今場所もがんばっているが、長い間ファンを楽しませてくれた。お疲れさま。
お疲れさまがもう一人。立て呼び出しの謙三が今場所限りで定年退職。名呼び出しの寛吉のあとを受けて立て呼び出しとなったプレッシャーもあっただろう。ずんぐりとして、いなせな呼び出しのイメージとは少し違ったが、呼び上げの節回しがきれいであった。
(1999年7月18日記)