大相撲小言場所


さらば横綱貴乃花

 横綱貴乃花が引退した。平成15年1月20日。優勝22回、通算勝利701勝の記録を残して。
 全盛期の貴乃花は、完璧だった。私が相撲を見てきた範囲でいえば、北の湖、千代の富士という大横綱がいたが、北の湖は力強い反面ポカも多かった。千代の富士は隙はなかったがウルフスペシャルと呼ばれた上手投げに見られるように相撲の美しさに欠けるところがあった。しかし、貴乃花の相撲は完璧であった。相手がどんな奇襲をかけてきても、正々堂々と受けてたち、気がつけば上手を取り土俵際に追い込んでいた。あまりにも自然な動きであった。きっと相手力士も何がなんだかわからないうちに敗れてしまったというような思いをしたであろう。目標は、角聖双葉山。私は双葉山の相撲は古いニュース映画の映像でしか知らないが、古老の相撲ファンが理想の力士像として必ず双葉山の相撲をあげる。その域に達していたかどうかは、私にはわからないが、少なくとも私の見てきた中では全盛期の貴乃花ほど完璧な力士はいない。
 人気大関貴ノ花の次男として、兄若乃花とともに入門時から注目されて相撲を取り続けてきた、そのプレッシャーは普通の力士以上に重かっただろう。若くして頂点に立ってしまったため、さらに完璧を期そうとして逆に相撲に迷いが出て、相撲の専門家ではない整骨師の言葉に踊らされてむやみに体重を増やし過ぎたあたりから、かげりが見え始めた。下半身の肉は落ち、妙に太るいびつな体型。それまでの均整のとれた体で取り続けていれば、優勝22回では終わらなかったはずだ。荒々しさを出したいと思ったか言動も粗野になり、兄弟の仲も悪くなり若乃花が敗れたのを見て控えで薄笑いを浮かべた時もあった。あの薄笑いの不快感はいまだに忘れられない。
 力士生命を縮めたのは平成13年夏場所の武双山戦での足の怪我であった。千秋楽、負傷をおして出場し武蔵丸との優勝決定戦となる。最後の優勝となったあの相撲で、鬼のような形相をした。普段は喜怒哀楽を出さないようにつとめていただけに、あの形相は特別なものであった。力士生命とひきかえに得た優勝であった。
 その後、治療のために長い休場期間にはいる。実は、この時期に貴乃花が出場していなかったということで、かえってその存在感が増すという皮肉な現象が起きている。貴乃花さえいれば。相撲関係者の焦りは、入場者数が減るほどに強いものとなったのだろう。
 最後の場所の相撲は、見ていて辛かった。雅山の二丁投げに裏返されながらも、審判委員は物言いをつけ、取り直し。貴乃花にとっては屈辱ではなかったか。裏返されたことよりも、負けたと思った相撲を強引に取り直しとされてしまったことに、である。
 休場後の再出場が決まり、土俵に上がった貴乃花の表情は、もう戦う者のそれではなかった。恬淡としていた。思えば、もう既に引退を決して土俵に上がっていたのだろう。
 私生活では、宮沢りえとの婚約と「愛情がなくなった」の一言で切って捨てた婚約破棄、河野景子との「できちゃった結婚」をなぜか「妊娠はしていません」とごまかしたことなど、あまりいい印象は残していない。20才の若者に完璧を期待してはいけないのだろうが、私生活での処し方の悪さが貴乃花自身のイメージを悪くしたことは否めない。
 最後にフル出場をした昨年秋場所のフィーバーぶりは、そんな過去や休場中の悪評などどこにいったかというくらい過熱したものとして印象に残る。あれは、ロウソクが燃え尽きる直前に大きく燃え上がった炎だったのか。
 貴乃花はもう土俵には上がらない。清々しい表情の記者会見を見て、彼が背負っていたものの重さを、今さらながらに感じた。
 貴乃花不在の大きさは、1年以上の長い休場期間に十分味わった。しかし、また土俵に戻ってくるという期待はあった。今回は、もう土俵には上がらないのである。朝青龍が、隆乃若が、若の里が、琴光喜が、栃東が、貴乃花に続いてくれることを願うばかりである。
 貴乃花関、お疲れ様でした。もう相撲のわからないナベツネの暴言ややめさせようやめさせようというように追いかけるおよそ相撲の事など愛してもいないマスコミに悩まされることはないのです。

(2003年1月20日記)


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