横綱とは、大関とは。改めて考えさせられる場所であった。
横綱朝青龍が、13勝2敗で優勝した。相撲の速さ、力強さ、細かいところでの技能と、他の力士とはかなりの差をつけての優勝である。ただ、土俵態度で物議をかもした。4日目の旭天鵬との一番では、大相撲の末寄り切ったが相手が既に土俵を出て力を抜いているところをダメ押しのように左で突く。9日目の旭鷲山との一番では、相手が待ったをしているところを思い切り突き飛ばして尻餅をつかせた上、土俵際で引き落とされると俵の部分を指差して審判員にクレームをつけ、それがかなわないとなるとさがりをふりまわす。そのさがりが旭鷲山に当たったりもする。花道でもさがりをふりまわして悪態をついていた。まだ22歳と若く、感情をコントロールできない部分もあるのだろうが、力士は勝敗にクレームをつけられないというルールは師匠の高砂親方がきちっと教えてやるべきだろうし、土俵上であそこまで感情をむき出しにするのはみっともない。普通のスポーツならばそれでもいいのだが、相撲はスポーツであるとともに伝統技芸でもある。相撲独自の文化がある。それを理解してもらわないと、最高峰である横綱の威厳は保てない。曙が誉め讃えられたのは、その点を理解していたからなのである。また、2番ともモンゴルの先輩であるという点も気にかかる。故国での政治的な立場の違いなどが関係しているともいわれるが、そんなものは土俵に持ち込むべきではなかろう。
最後まで優勝争いに残った魁皇は、序盤戦の連敗が響いた。場所前の調整に失敗したのか。つまらない取りこぼしが優勝争いの興をそいだ。
横綱挑戦の千代大海は10勝止り。高見盛戦の不用意な立ち合い、若の里戦での引きなど、自ら墓穴を掘っている。横綱になるためには、細心さが必要だ。
武双山と栃東の両大関はやっとのことでカド番脱出。怪我を治すことが無理ならば、それに合わせた取り口を工夫する必要も出てくるだろう。
期待外れは若の里。勝ちたいという欲が相撲からは感じ取れない。隆乃若の休場が響いているようだが、それでは困るのだ。
殊勲賞は旭鷲山。朝青龍戦の勝利がものをいった。もっとも、持ち味の多彩な技は今場所も見られなかったのが残念。それに対し敢闘賞の旭天鵬は、天性の腰の重さを生かした相撲が取れるようになり、三役で初の勝ち越し。しかも10勝。若手がもたついている間に、遅咲きの脇役が主役にのし上がりつつある。技能賞は安美錦。体に厚味が出てきて、立ち合いに当たり負けしなくなった。立ち合い踏み込み、前まわしをすばやく取って出し投げで崩すという勝ちパターンを作れたのが大きい。
負け越しはしたが、出島の出足も光った。来場所以降は大関再挑戦を期待したい。
感情むき出しの横綱と、勝ち越すのがやっとの大関。強ければそれでいいというわけではないが、強くなければならないことも確か。大関は優勝できなくても最後まで候補に残るくらいであってほしい。改めて考えさせられる場所であった。とにかく千秋楽まで手に汗握る優勝争いが見たいのだ。そうい意味では盛り上がりに欠ける場所であった。
元関脇安芸乃島が引退。下半身の粘りがものすごく、最後まで勝負をあきらめない姿勢には感心させられた。特に横綱大関戦でファイトを燃やし、土俵を盛り上げた。こういうタイプの力士は、最近は少なくなったなあ。長い間、お疲れ様でした。
(2003年5月24日記)