大相撲小言場所


九州場所をふりかえって〜朝青龍大記録達成!琴欧州大関へ〜

 前人未到の7場所連続優勝、年間6場所制覇、年間最多勝利84勝を横綱朝青龍が達成した。記録へのプレッシャーは相当なものだったようで、14日目に魁皇を寄り切ってこの大記録を同時に達成した時には勝ち名乗りを受ける時に涙を抑えられなかった。孤独な中での記録達成である。高校留学で来日し、先輩たちからはかなりいじめられたという。もっとも、先輩になったら下の者をいじめてもいいと誤解して、若松部屋(現在は高砂部屋)に入門しスピード出世をした時には付け人たちにちょっかいをかけたりもしたそうだ。急速に強くなったために軋轢も多く、特にマナー面での注文は多かった。教えるべき高砂親方が遠慮してしまうということもあるようだが、それが逆に朝青龍を追いつめたのではないか。また、昇進以来ずっと一人横綱が続いており、その座を脅かす存在がいないため、勝ち続けるためのモチベーションを保つのにも苦労しているという。そのような中での記録達成だけに、称讃を惜しむものではない。ただ、土俵上の態度や強引な取り口に、強さに含まれるべき「美」があまり感じられないのがこの横綱の苦しいところである。年齢は若くとも、これだけのキャリアがあれば自然と風格が漂ってくると思われるのだが、今場所も何番か相手を徹底的にやっつけるためにかなり無理な体勢から攻めていったりもしており、どうもいたずらっ子がそのまま大きくなったという感じが抜けないのである。大きな相手につかまえられると力が出せない。だからスピードを磨く。体に切れがある時はいいが、その切れが鈍ると完敗してしまう可能性はある。13日目の琴欧州戦でがっちりと組まれて身動きが取れなくなった相撲は、その弱点が露呈したものだったといっていい。もっとも、現在朝青龍を上回るスピードのある力士がいないため、こうやって勝ち続けられているのではあるが。精神面での成熟が今後の課題となるだろう。
 その朝青龍に完勝した琴欧州は11勝4敗でみごとに大関の座を射止めた。初日に垣添に翻弄された一番は、緊張過多で見られたものではなかったが、2日目が不戦勝となると肩の力が抜け、まわしをしっかり握って下から攻める相撲が出始めた。課題はまだこうなると強いという型ができていないということだ。例えばカド番脱出の魁皇は、右上手をとれれば無類の強さを発揮する。こういった型ができると、横綱への道が開けてくるだろう。殊勲賞と敢闘賞を受賞したが、文句なしである。
 敢闘賞の雅山は全盛期の圧倒的な馬力相撲は影をひそめたが、横からの厳しい攻めがさえ、3人の大関を倒して大関昇進前に受賞して以来の敢闘賞となった。幕下から這い上がった再入幕の栃乃花は、正攻法を貫いてお手本のような相撲をとった。11勝をあげての5年半ぶりの敢闘賞は、低迷時の苦労を思うと感慨深いものがある。
 技能賞は時天空。足技に頼り過ぎていたのが、突き押しが冴えたのが印象に残ったのだろう。もっとも、私はまだ時天空の相撲に技能賞は時期尚早のようには思うが。
 その他の力士では徐々に復活に近づきつつある白鵬、前半は完璧な取り口を見せていた琴光喜などが目についた。
 結局今場所も14日目で優勝が決まった。どんなに朝青龍が強くても、観客が最後まで楽しめるようでないと、相撲人気は回復しないとおもうのだ。

 31代木村床之助が定年退職。小柄できびきびと動くいかにも行司さんらしい人だった。おしゃれで装束にも凝り、ピンクや明るい緑の行司装束が目をひいた。51年間の行司生活に別れを告げたことになる。お疲れ様でした。
 佐渡ヶ嶽親方(元琴桜)の定年にともない、後継者の琴ノ若が引退。若い頃は「ミスター1分」という、長い相撲を取る代表者として知られたが、近年は若い力士の関門というような存在になっていた。今後は佐渡ヶ嶽親方として後進を育成することになった。お疲れ様でした。
 

(2005年11月27日記)


目次に戻る

ホームページに戻る