大相撲小言場所


平成十九年春場所展望〜八百長疑惑を封じるために〜

 初場所の途中から「週刊現代」誌に連載された「八百長告発」は、ついに民事訴訟というところまで発展した。原告には名指しで「注射力士」とされた者すべてが名をつらねている。つまり、力士本人が裁判所で証言するという場面もあり得ないことではないのだ。記事自体は告発者のライターがこれまで相撲について何かを書いたことのある人物でないことや、証言をしたとされる事情通なる人物が匿名であったりと、力士を実名で告発しているわりには信憑性を疑われるようなものだけに、どちらが正しいと私ごときが判断できるものではない。ただ、訴訟を起こした際の記者会見に弁護士だけが現れて北の湖理事長や起訴した力士たちの誰一人として姿を見せなかったのはどうかと思われる。すべては弁護士にまかせたというわけだろうが、筋としてせめて理事長は出席してもよかったのではないかと思う。
 私はこれまで日記で何度か書いているけれど、八百長はあってもいいけれどやるならうまくやれ、と考えている。私がみたいのは手に汗握る熱戦であり、見どころのある攻防である。たとえ「ガチンコ(真剣勝負)」であっても、立ち合いに大きく変化したり安易に引き技に走って自滅したりというような相撲は見たくないのだ。今場所も大阪府立体育会館に本場所を見にいく予定をしているけれど、その日の相撲がすべて一瞬でかたのつくような相撲であれば、きっと腹立たしいことだろう。それがたとえみな真剣勝負であったとしても、だ。
 八百長疑惑を封じるには、そのような熱戦をすべての力士がくりひろげることだ。先場所の琴光喜のように万全の体勢になりながら朝青龍の反撃を恐れるあまりなにも技をかけず結局みすみす勝利を逃してしまうような、ああいうつまらない相撲をなくせば、八百長などと雑誌に書かれても誰も本気にはするまい。雑誌の記事では北の湖や輪島も八百長に手を染めていたというが、あの頃の熱気にあふれた相撲は、個性豊かな力士がそれぞれの持ち味を十分に出してファンをひきつけていた土俵ならば、たとえ八百長だったとしても許せる。
 今場所も稽古十分とはいえない朝青龍が独走して、優勝を争うのは平幕下位の力士だけという展開になり、千秋楽を待たずに優勝が決まるというような展開であれば、八百長呼ばわりされてもしかたなかろう。横綱を恐れて腰がひけ、相撲にならないというのなら、それは金銭の授受がなくとも「無気力相撲」ということになるからである。相撲協会の定義では「無気力相撲」=「八百長」ということになるのだ。
 八百長疑惑を封じるような白熱した土俵をぜひ見せてもらいたい。

(2007年3月10日記)


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