本場所の直前、朝青龍主催のゴルフコンペに参加した力士たちの間で優勝が争われた。どんなに批判されることをしても、土俵で白星を重ねれば「禊ぎ」になるという考え方もあるだろうが、トップアスリートは大会直前にその相手と公然と遊んだりはしないだろう。今回優勝を争った横綱大関たちは、そういう意味では自覚に欠けていると言わざるを得ないし、さらにそのメンバーの中で優勝が争われたことが、心ないライターや週刊誌からまたもや「八百長」という声をあげる隙をつくっていると言われても仕方ないところだ。そういう意味では、特に白鵬と日馬富士、技能賞の鶴竜、将来性のある光龍、白馬といったところは、場所前の行動については注目されているという自覚を持ち続けてほしい。そして、一番責任の重い先輩横綱の朝青龍については、協会も何らかの処分を下すべきだったと思っている。
相撲内容だけを取り上げていうならば、非常に面白い場所だったと言えるだろう。なにしろ千秋楽を迎える時点で優勝の可能性のある力士が4人いるという展開である。そして、ピークの過ぎた横綱が脱落し、今後もライバル関係を続けていくだろう若い横綱と大関による優勝決定戦になったのだから(だから本場所直前に馴れ合いみたいにゴルフになんか行ってほしくないのですよ)。
白鵬は序盤から中盤にかけては例によって堂々たる横綱相撲。自己最高の33連勝を記録した。しかし、13日目の日馬富士との熱戦でかなり強引なすそ払いにいったことで持病の腰痛がぶり返したという。14日目の琴欧洲に敗れた相撲は、少し相手をなめた部分もあったのか、あまりにも不用意に寄っていって投げを食らった。優勝決定戦では完全に日馬富士の体勢を作らせてしまい、連覇を逃した。
優勝した日馬富士は、11日目の稀勢の里との相撲で立ち合いに変化をしてとったりの奇襲に出た相撲などいただけないところはあったものの、白鵬との本割りの相撲ではほぼ互角の相撲を取り、動きが止まったため敗れたものの実力が横綱にも迫るものになったことを示してみせた(だから本場所直前に馴れ合いみたいにゴルフになんか行ってほしくないのですよ)。大関相撲を意識しすぎて序盤に崩れた先場所までと比べ、自分の相撲を取りきるという基本中の基本をとりもどしたといえるだろう(だから本場所直前に馴れ合いみたいにゴルフになんか行ってほしくないのですよ)。
敢闘賞の稀勢の里については、まったく期待してなかったのに、そういう時にはこうやって優勝まであと1勝などという成績をあげる。まったく困った存在だ。今場所はこれまでに見られた雑なところがなくなり、四股名の通り「勢」のある相撲が取れた。これを毎場所続けることができれば大関はおろか綱を締められるだけの内容である。しかし、そうやって期待すると裏切るのだろうな。だから来場所に期待はしない。今場所に関しては日馬富士を除くどの大関よりも大関にふさわしい内容だったと思う。なんで平幕に落ちてもたもたしているのだ、この力士は。
新関脇の豪栄道は序盤は大関陣を次々倒す勢いでこのまま突っ走るかと思わせたが、そう甘くはなかった。横綱との対戦ではまだおっかなびっくりの立ち合いでその力の差を見せつけられてしまった。地元大阪出身なので応援していたのだけれど、残念。後半は別人のように勝てなくなったが、これを糧としてまた再スタートしてほしい。栃煌山も同様のことがいえる。技能賞の鶴竜は地力がついたという印象だ。もともと地味に黙々と相撲を取るタイプなので、気がついたら強くなっていたという感じがする。それだけ努力しているのだろう(だから本場所直前に馴れ合いみたいにゴルフになんか行ってほしくないのですよ)。
前半戦を盛り上げた高見盛、久々に思い切りのいい相撲を取れた琴奨菊、千秋楽に勝って全敗を免れた豊真将など、見どころの多い場所だった。ただ、13回目のカド番を脱出した千代大海については、勝ち越したものの全く「凄み」を感じさせず、今場所はよくてもそろそろ限界を感じさせる相撲内容だと言わざるを得ない。
とにかく、見どころも多く熱戦が目白押しの場所だった(だから本場所直前に馴れ合いみたいにゴルフになんか行ってほしくないのですよ)。今後もこういう場所が続くことを願っている。
元関脇高見山の東関親方が定年退職を迎えた。現役時代、近くのスーパーのサイン会で見せてくれたサービス精神あふれるファンへの応対が忘れられない。相撲好きの中学生(私のことね)は、ますますのめりこむようになったのであった。ちなみに、「高見山の殊勲インタビュー」という物真似芸を私は自分の持ち芸にしている。これをやるとたいていうける。それだけ多くの人たちに親しまれた存在だったのだ。東関部屋は潮丸が引退して引き継ぐという。来日以降45年間お疲れ様でした。魅力ある相撲を見せ、また親方としても横綱曙、そして高見盛など異能力士を育ててくれて、ほんとうにありがとうございました。
(2009年5月25日記)