白鵬の連勝が63でストップした。2日目、相手は稀勢の里。当日のブログに書いた感想を引用する。
「白鵬は25歳。同年齢の若者たちと比べたら精神年齢でいえば格段に上やないかと思われるけれど、やっぱり25歳の若者には違いなかった。
稀勢の里の張り手にむきになって張り返しにいき、脇ががら空きになったところを組みとめられた。一度は右上手をとったものの、焦って前に出ようとしてその上手を切られてしもうた。
あとは防戦一方。休まず前進した稀勢の里の前になすすべもなく正面土俵を割った」
テレビを通じてとはいえ、歴史的瞬間を見ることができたのは幸せであったというべきか。
白鵬のすごいところは、大記録をとめられたあとも勝ち続けたこと。精神的な動揺は避けられず、立ち合いの変化をみせて相手につけいられたりする場面もあったが、それでも体勢を立て直して強引にでも勝ちにもっていっていた。そして千秋楽が近づくにつれ相撲も安定し、13日目、優勝を争う魁皇との直接対決以降はもとの白鵬に戻っていた。
土俵下インタビューで岩佐アナウンサーの質問に答えて、「おいしいものを食べて休みたい」と珍しく本音を漏らしていたが、心身ともに疲れた場所だったに違いなかろう。
今場所は、つい白鵬に目が行ってしまうけれど、他の力士たちも奮起した場所だった。
まず魁皇。引退目前のような場所が続いていたが、今場所は初日に安美錦にあっさりと敗れたあとは安定した相撲で連勝を続け、負けていた相撲も運よく残るなどして優勝争いに久々に加わった。この人が勝つと九州場所の盛り上がりが違う。
続いては把瑠都。2日目の阿覧戦など、土俵中央でのはりま投げという奇手も繰り出しながら持ち前の体の柔らかさを生かした相撲を存分にとり、12日目の豊ノ島戦で敗れるまで1敗を保ち続け、優勝争いに名を連ねた。
そして豊ノ島。先場所十両で14勝。今場所は幕内下位で14勝。しかも終盤、優勝を争う把瑠都や魁皇との対戦が組まれても、元関脇の力量を存分に発揮して速さとうまさがミックスされた相撲をとり続け優勝決定戦に進出した。さすがに初体験の決定戦ではかたくなって本来の動きができなくなっていたけれど、よくがんばった。来場所は本来の居場所である幕内上位か三役復帰が期待される。敢闘賞と技能賞のダブル受賞は当然。魁皇や把瑠都に勝ったこともあわせて三賞すべてを授与してもよかったのではないか。
さらに稀勢の里。白鵬の連勝を止め、10勝をあげた。勝つときの相撲の形がよくなった。課題は詰めの甘さだけれども、大横綱の大記録をとめたことが糧になり、来場所以降大きく飛躍できるのではと思わせる場所になった。
豪栄道も11勝。前に出る力が強くなり、謹慎前よりもいい相撲になった。豊ノ島も豪栄道も謹慎という処罰を前向きに受け止めて相撲に精進する姿勢をあらためて作り直したのではないか。
負け越しはしたが豊真将の相撲もかつての力強さを取り戻しつつある。体調がかなり良くなってきたように感じられた。あとは元の筋骨隆々の体に戻れば、入幕当初の力強さを取り戻すこともできるのではないだろうか。
琴欧洲には期待していたのだが、今場所は全くいいところなし。特に粘り腰が見られない。どこか痛めているのなら、早く治してほしい。日馬富士は肩やひじを痛めたまま場所入りし、毎日無理をするうちに下半身にも故障を併発して4日目から休場。体の小さい力士は無理をするとてきめんにすべてが悪くなる。あの大関貴ノ花がそうだった。来場所は昇進後初のカド番。あと2ヶ月で治すことができるかどうか。
白鵬は2年連続年間86勝という偉業を達成し、5場所連続優勝で苦境続きの相撲界を支えた。この1年の状況を考えると、本当に立派だったと、ファンとして感謝したい。そして白鵬の連勝記録を社説でほめたたえた各新聞社の編集委員たちは、読売新聞を除いて名古屋場所前は「場所開催は見合わせよ」と叩きまくっていたことを忘れたのかと思う。もし名古屋場所が開催されていなければ、この記録はなかったかもしれないのだということに思いいたってほしい。
(2010年11月28日記)