大相撲小言場所


初場所をふりかえって〜白鵬33回優勝の新記録達成〜

 私は場所中のブログでこう書いた。
”今場所の白鵬はこれまでの白鵬とは違うような気がした。今日(13日目)の稀勢の里戦に勝って33回目の優勝を果たし、大鵬の記録をついに抜いたんやけれど、とにかくいつものような余裕が見られなんだように思う。がむしゃらというのか、体より気持ちが先に行くというのか、もう少しで負けているというような相撲も何番か見られた。そこで勝ってしまうのが白鵬のすごいところなんやけれどね。
 これはもう33回目の優勝を何が何でも今場所で決めてしまわなならんという思いが強かったんやないかと思う。一場所でも先送りになると、それだけプレッシャーが強くなって記録を塗り替えるどころか32回のまま終わってしまうんやないかという恐怖心にも似たものがあったんやないかと推測してしまうのでありますね。どんな形でもとにかく勝つんだ、相撲内容は二の次。そんな相撲が多かった。
 それだけ記録を塗り替えるということに対するプレッシャーというものはすごいんやろうなあ。常人には計りしれん、まさに白鵬にしかわからん重圧なんでありましょう。”
 千秋楽を終えて15戦全勝。千秋楽の鶴竜戦では頭をつけて相手を起こして寄るという、めったに見せない体勢も見せた。これもまた新記録を全勝で決めるんだという執念にほかならない。優勝インタビューで、「今後の目標は」ときかれて「精神面を大鵬親方に近づけるように磨いていきたい」と語ったが、それは今場所にとにかく33回目の優勝をという使命感にも似たものがあったのだろう。
 途中まで優勝争いをしていた日馬富士だったが、7日目に常幸龍に土俵際で逆転負けを喫し、11日目には碧山の引きに崩れ落ちると、気力がそこで切れてしまったようだった。気で勝つ力士だけに、取りこぼしがあるとこれはかなりきつい。鶴竜もまた2日目に宝富士の上手投げで取りこぼし、6日目には栃煌山の押しに屈して、優勝争いから脱落。稀勢の里は3日目に照ノ富士に力負けして押し出され、9日目には琴奨菊の寄りをまともに受けて2敗目。それでも白鵬との直接対決は本割では土俵際の突き落としで物言いのつく相撲を取り意地を見せたが、録り直しの相撲で力尽きた。
 優勝争いの相手が勝手に脱落してくれるのだから、白鵬としては楽な展開だったはずだが、敵は他の力士ではなく、自分の中にあり、プレッシャーに打ち勝っての全勝優勝だったということだろう。
 カド番の2大関では、琴奨菊が11日目に鶴竜を下して勝ち越し、早々と脱出。しかしそれで気がゆるんだわけではないだろうが9勝止まりに終わったのはまだ体調が本調子ではないということか。豪栄道は12日目には7敗目を喫して大関3場所にして陥落かと思わせたが、遠藤、碧山、琴奨菊に対して持ち前の思い切りのよい相撲で終盤3連勝してなんとか陥落は免れた。しかし、千秋楽に勝ち越しを持ち越すようでは大関としては物足りない。
 敢闘賞の照ノ富士は14日目には逸ノ城と水入りの大相撲をとるなど、観客を沸かせた。怪力でまわしをつかむと力が出る。まだ粗削りながら場所ごとに力をつけてきた。初金星をあげた宝富士は千秋楽に勝ち越しと敢闘賞をかけた一番、佐田の海にうまさ負けをして大魚を逸したが、こちらも場所ごとに力強さを増している。
 遠藤は負け越したものの、立ち合いからの出足がかなり鋭くなってきている。ただ、攻め切れずに土俵際に逆転されることが多いのは、まだ下半身が安定していないということだろう。逸ノ城はがっぷり四つに組まないと相撲が取れないという弱点を研究され、初土俵以来初めて負け越し。場所前に指摘された太り過ぎの弊害か、動きに鋭さが見られなかった。
 十両では、若手の輝がまだ力任せの相撲ながら素質を生かしたいい相撲で11勝。幕下では堀切がスケールの大きな相撲で来場所の新十両を確実なものにした。ここらあたりが幕内上位で暴れる日が来ることを期待したい。
 とにかく今場所も白鵬のための場所のようになってしまった。15日間連続満員御礼という若貴ブーム以来の記録を作ったが、最後まで白熱した優勝争いを見せるようでないと、一過性のものになってしまうおそれがある。

 元小結の豊真将が引退。一気に出世してきた時は、金剛力士を思わせる体躯と力強い相撲ぶりで将来は大関にもと期待させたが、たび重なる怪我で一進一退を繰り返し、ようやく復活してきたかと思うと、またも両ひざをやられる大けがで幕下まで落ちてしまった。そのまま引退となったのは惜しまれる。深々と例をする折り目の正しさ、所作の美しさは折り紙つき。インタビューでのやりとりも誠実さを感じさせる好青年だった。まさに不運の力士人生というほかない。今後は立田川親方として後進の指導にあたる。怪我との戦いからやっと解放される。本当にお疲れ様でした。

 元幕内の栃の若が突如引退を発表して驚かされた。恵まれた体格で将来を嘱望されたが、勝負師としてはあまりにも優しすぎたのか、相撲に対する自信を失い、気力がなくなっての引退となった。恵まれた体格でありながら消極的な相撲も見られ、素質を生かしきることができなかった。もったいなかったが、残念である。第二の人生での成功を願っている。

(2015年1月25日記)


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