大相撲小言場所


九州場所をふりかえって〜日馬富士2年ぶり優勝、北の湖急逝〜

 千秋楽、平幕で2敗の松鳳山が敗れると、1敗でトップに立っていた日馬富士も稀勢の里に寄り切られる。白鵬が勝てば優勝決定戦になるところだったが、鶴竜に中にはいられなすすべもなく敗れ、日馬富士の優勝が決まった。優勝争いをする力士ガスへて敗れての優勝決定というのはめったにないことで、私も長年相撲を見ていけれど、こういうケースは記憶にない。それだけ誰が優勝してもおかしくない優勝争いだったということだろう。
 白鵬の終盤の失速は予想外だった。13日目に日馬富士に速さ負けをしたが、おそらくその時に先場所に傷めていた膝がやられたのだろう。14日目にはやはり膝の怪我で本調子でなかった照ノ富士にがっぷり四つから寄り切られ、そして千秋楽には鶴竜に完敗。これまでの白鵬なら考えられない失速だった。もっとも、10日目の栃煌山戦で猫だましを連発するなど、らしくない相撲をとっていたのだが。あれは今思えば失速の前兆だったのかもしれない。いかにも相撲を楽しんでいる様子を見せていたのだが、私には強い栃煌山の出足を止める窮余の策だったように見えた。11日目の稀勢の里戦では相手が驚くほど体勢を崩してしまっていたし、10日目の時点で膝はもうかなり怪しかったのかもしれない。
 日馬富士は、とにかく早く動くことで今場所を制した。満身創痍の中、とにかく動いて勝機を見出していた。どの力士もその動きの速さに敗れていた。だから千秋楽の稀勢の里は動かさないようにつかまえ、日馬富士もなすすべがなかったのだろう。
 最後まで優勝争いに残った松鳳山も、今場所の動きは素晴らしかった。速攻、そして当たりの強さで相手に自分の相撲を取らせる隙を作らせなかった。久々の敢闘賞は当然。
 三賞は、他に敢闘賞に勢。技能賞に嘉風。勢はとにかく土俵際の粘りがよかった。最後まであきらめない姿勢で12勝は立派。嘉風は8勝にとどまったが、序盤戦で1横綱2大関を下した時は、先場所までの勢いが失われていないと感じさせた。やはり動きの良さが目立った。
 先場所優勝の鶴竜は、なんとか横綱で優勝できてほっとしたのか、先場所のような何が何でも勝つという執念が見えなかった。千秋楽に白鵬を破って意地を見せたが。大関陣では稀勢の里が10日目に豊ノ島に取りこぼし、やはりそこから失速。そこまでは嘉風に敗れただけで1敗と優勝争いに加わっていたのだから、この取りこぼしは大きかった。琴奨菊は13日目に勝ち越しを決めた翌日から休場。無理をせず大事を取ったのだろうが、途中休場は寂しかった。照ノ富士は先場所痛めた膝の具合がいま一つだったが、前に出る相撲でなんとか勝ち越した。特に白鵬に勝った相撲は、がっぷり四つから力で寄り切っただけに、怪我を早く治してもとの相撲が取れるようにしてもらいたい。カド番の豪栄道は千秋楽に栃煌山を首投げでくだしてなんとか勝ち越したが、大関としての存在感が全くなかった。大関の座をかろうじて維持しているだけという状況は歯がゆいばかり。
 逸ノ城は明らかに稽古不足で、快進撃をしたころの勢いは全くなくなってしまった。遠藤は怪我の具合がよほど悪いのだろう。立ち合いから一気に持っていかれて踏ん張ることができず大敗。期待が大きいだけにここから巻き直してほしい。
 十両優勝の正代はなんと2場所で十両を通過。幕下時代のもたもたした相撲がなくなり、一気に相撲開眼した感がある。来場所は新入幕。この勢いがどこまで続くか。
 千秋楽まで優勝争いがもつれ、見ごたえのある場所ではあったが、全体にはわりとあっさりした相撲が多かった。勝ちたいという執念が強かった松鳳山と勢が12勝で準優勝の星を残したのは、偶然ではあるまい。

 場所中に北の湖理事長が急逝。ブログに書いたものをそのまま以下に転載しておく。
 北の湖敏満日本相撲協会理事長の訃報に接する。享年62。死因は直腸癌による多機能不全。
 毎日、新聞には理事長のコメントが出ていただけに、急死に驚く。ただ、本場所の協会ごあいさつは今場所も元横綱北勝海の八角親方が代行してはったんで、具合は悪いんやろうというのはわかってはいたけれど。
 私が相撲ファンになった頃、史上最年少で横綱に昇進。「憎らしいほど強い」と言われた。もっとも、横綱昇進当初はポカのような負けも多く、また優勝決定戦では勝てへんというここぞというところでの勝負弱さもあった。貴ノ花の初優勝、2度目の優勝は、いずれも北の湖との優勝決定戦やった。魁傑の初優勝、千代の富士の初優勝も同様。立ち合いに変化することもあった。そやけど、勝つ時はほんまに力強かった。立ち合い、腰を振るように立ち、勝ちあげで相手を起こし、左四つ右上手を引くと一気に相手を持っていく。右からの上手投げも強かった。
 横綱輪島とは何度も名勝負を繰り広げた。大横綱の風格があった。威風堂々、そんな感じがした。これはのちに「大横綱」と呼ばれた千代の富士、貴乃花、朝青龍、そして現在の白鵬にもない雰囲気やった。それだけの横綱やのに、「土俵の主役」は常に貴ノ花や千代の富士に譲るという損な役回りになった。晩年は休場を重ね、出場すると声援を大きく受けるようになった。「同情の声援はいらない」と当時言うてはったと記憶する。
 引退後は理事長にもなったけれど、不祥事で辞任したり、歴代の理事長の中ではあまりええ印象はないけれど、公益財団法人化に向けてはかなり苦労したというから、私らのような見てるだけのファンにはわからん苦労が多かったんやろう。
 まるで相撲人形のような体型で、こういういかにも「お相撲さん」というタイプの大横綱は、北の湖親方以外にはいてなんだんやないかなあ。
 貴ノ花がいて、輪島がいて、北の湖がいて、高見山がいて、さらに個性豊かな力士たちが土俵を沸かせてくれた。そやから私は相撲ファンになったんやろう。ええ時代やった。横綱北の湖は主役であり、敵役でもある。それを自分の役割と心得、横綱らしさを全うしようとした。そやから、あの時代の相撲は面白かった。
 謹んで哀悼の意を表します。

 

(2015年11月22日記)


目次に戻る

ホームページに戻る