大相撲小言場所


初場所をふりかえって〜玉鷲初優勝、稀勢の里引退〜

 今場所最大のトピックは稀勢の里の進退であった。初日から3連敗し、ついに引退を表明。以下は、当日の私の「ぼやき日記」より転載。
”引退会見で「横綱は大関とは大違いでした」と言うていたけれど、大関は陥落することがあるから、力が落ちても現役を続けることができる。今は琴奨菊が、かつては小錦や出島、雅山など多くの「もと大関」が若手の関門のように立ちはだかったりしていた。ところが横綱という地位は陥落が許されない特別な地位で、力が落ちたら引退するしかない。いつまでも強くあり続けんとあかんのが横綱なのですね。
 稀勢の里は新横綱の場所で優勝したくらいやから、強い横綱になる可能性は秘めていたと思う。そやけど日馬富士戦で大胸筋を断裂し、それでも強行出場して優勝はしたもののその怪我がもとで力を出せなくなってしもうた。まこと不運としか言いようがないけれど、強行出場せずにすぐに治療にかかっていたらどうやったか。貴乃花も怪我を推して出場し、「鬼の表情」で優勝したけれど、それが最後の優勝になってしもうた。強くあり続けるのも横綱の責任というならば、稀勢の里は1度の優勝と引き換えに強さを失うてしもうたということになる。
 もし先代師匠が健在やったら、休ませていたかもしれん。そやけど先代の死後に後を継いだ現在の師匠はそれがでけなんだ。たとえ現役時代は格下やったとしても、師匠という立場になった以上、相手が横綱でもちゃんと師匠としての役割を果たすべきやったのに、それがでけなんだのですね。
 かくして数字の上では「弱い横綱」という記録だけ残して引退することになった稀勢の里。でもね、土俵入りの力強さや、相撲に取り組む姿勢などの「品格」の部分では立派な横綱やったと私は思うてます。そう「品格」では朝青龍より上やったかもしれんよ。横綱は強くなければならんけれど、強いだけでもあかんという、ほんま不思議な地位なのです。
 稀勢の里関、お疲れ様でした”
 鶴竜も休場し、一人横綱となった白鵬は、錦木戦など同体取り直しの上押しこまれるなど苦戦が続いていたが、6日目の正代戦から本来の相撲を取り戻し、一時は独走状態になるかと思われた。しかし、11日目に休場から再出場した御嶽海に一気に押し出されると、玉鷲にも土俵際でいなされ体勢を崩したところを押し出され、貴景勝の突き落としにぱったりと前に落ちると休場してしまった。錦木戦で足を痛めたというが、翌日からは万全の相撲をとっていただけに最後まで出場して優勝争いに残ってほしかったのだが。
 かくして優勝争いは2敗でトップに立った玉鷲と、3敗で追う貴景勝の両関脇が千秋楽まで残った。玉鷲は特に大きく変わったわけではなく、いつものように突き押しに徹していたが、今場所は動きがよく腰の構えも万全で危なげがなかった。貴景勝も下から押し上げる自分の相撲をとり切っていた。明暗は千秋楽。がちがちになった遠藤は玉鷲の前に足が出ず前に落ち、その時点で玉鷲の優勝が決まる。貴景勝は大関豪栄道の鋭い寄りになすすべもなく土俵を割り、大関昇進のチャンスは来場所に持ち越された。玉鷲は殊勲賞と敢闘賞。貴景勝は技能賞。殊勲賞には途中休場しながらも再出場の日に白鵬を倒して3横綱すべてを撃破した御嶽海も選ばれた。
 残念だったのは大関陣。インフルエンザの影響で稽古のできなかった高安は序盤で3敗を喫し9勝がやっと。豪栄道は初日から4連敗。それでもなんとか持ち直し、白鵬に不戦勝でなんとか勝ち越し。栃ノ心も4連敗のあと休場した。栃ノ心は肉離れが完治しないまま出場を強行。全休して怪我を治してから来場所に臨んでもよかったのでは。
 三賞以外では10日目まで2敗で優勝争いのトップに立っていた千代の国が古傷の膝を痛めて休場したのが残念。怪我がなければ優勝争いにからんでいたかもしれず、これまでも怪我に泣かされていた力士だけにそれがこの場所でまた出てしまったのは不運としか言いようがない。新入幕の矢後が中日まで1敗と好調だったが、勝ち越しを意識し過ぎて連敗し9勝どまりに終わった。幸運だったのは北勝富士で、2日連続の不戦勝もあり、9勝を記録。不戦勝がなければ負け越しの可能性もあった。序盤6連勝でスタートした阿武咲は中盤の連敗で失速したが、引き癖を治さないと大勝はできないだろう。
 十両では小兵の照強が来場所新入幕の可能性あり。幕内でも足取りやひっかけなど自在な動きで相手をかき回してほしい。
 優勝争いが千秋楽まで続いたという点では面白かったけれど、稀勢の里の引退、2横綱1大関の休場、大関の不振などでやはり興がそがれたという思いはぬぐえない。とはいえ、玉鷲の優勝は、苦労人がこつこつと積み重ねてきたものが報われたという意味で、他の力士たちにも励みになるだろうし、貴景勝以外の若手が壁を突き破れないでいる中、ベテランが手本を示してくれたという意義があったと思う。
 

(2019年1月27日記)


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