大相撲小言場所


春場所を振り返って〜尊富士、110年ぶりの新入幕優勝〜

 新入幕の尊富士が大鵬以来の初日から11連勝という記録を作った時は、まさかまだ優勝するとは思っていなかった。12日目に豊昇龍に土俵際のすくい投げで敗れた時、このままガタガタと崩れるのではないかとも思った。ところが若元春に圧勝し、追っていた大の里が琴ノ若に下された時、これはひょっとしたらひょっとするぞと思われた。14日目、朝乃山に寄り切られた際に右足首を痛め、車いすで退場した時、千秋楽は休場で不戦勝し、大の里が千秋楽に豊昇龍に勝てば前代未聞の優勝決定戦不戦敗で大の里の優勝という可能性さえ出てきた。しかし尊富士は出場し、豪ノ山を力で寄り切って自力優勝を決めた。師匠の伊勢ヶ浜親方は出場を止めたと言うが、それでも出ないで後悔したくないと押し切ったそうだ。
 ちょうど110年前に両國が新入幕で優勝して以来の快挙となった。勝因はそのスピード感のある出足で、3日目の狼雅戦だけは立ち合い動いて上手投げで勝っているが、それ以外の相撲は立ち合いから出足よく攻め、引くことなく前に出て圧力で相手を下した。阿炎にも、若元春にも、琴ノ若にも真っ向から挑み、相手に引かせるような相撲をとっていた。なにしろ初土俵は前相撲からとり、各段を一場所で突破し、十両も一場所で通過したというスピード出世。初土俵から幕内最高優勝まで9場所というのも記録である。
 最後まで優勝を争ったのは大の里。ただ、組み止められると足が流れて前に落ちてしまうという欠点は先場所から解消されていなかった。また、直接対決となった尊富士との一番では相手の圧力に負けて弾いてしまった。尊富士と大の里との明暗を分けたのは前に落ちなかった尊富士との差だったように思う。ただ、先場所に続いて11勝をあげたのは立派。尊富士は殊勲、敢闘、技能の三賞独占で、これは琴光喜以来6人目の記録(大受、大錦(充)、貴花田、出島、琴光喜に次ぎ、新入幕の三賞独占は大錦以来)。大の里は敢闘賞と技能賞を受賞。
 横綱照ノ富士は序盤に連敗し、早々と途中休場。カド番の貴景勝は勝ち越した翌日から休場、霧島は初日から黒星を重ね負け越しと、厳しい展開になったが、新大関の琴ノ若は10勝して大関としての責任を果たし、豊昇龍は尊富士と大の里を下し番付の格を両力士に示すことができたのだから言うことなし。ただ、どうしても上位でのつぶし合いがあるとそれだけ不利になるのはやむを得まい。
 朝乃山はもろく負ける日もあったが前頭筆頭で9勝をあげ、来場所の三役復帰が濃厚。翠富士は千秋楽に敗れて負け越したが、得意の肩透かしを2日続けて鮮やかに決めるなど印象に残った。豪ノ山も途中まで優勝争いに絡む活躍を見せ、その実力を発揮した。高安が久々に強さを感じさせる相撲で11勝したが、優勝争いをした2人の若手の影に隠れてしまったのは少し気の毒。ただ、三役では関脇大栄翔と小結錦木が元気なく、持ち味を発揮できずに大敗して三役から陥落が濃厚となった。
 尊富士と大の里の活躍で盛り上がったけれど、上位陣が最後まで優勝争いにからむことができなかったのは残念。そういう意味ではかなりイレギュラーな場所だったといえるだろう。

 なお、110年前の両國の優勝は東西制で、優勝旗は東方か西方に与えられるものであり、個人優勝は新聞社による写真掲額といういわばおまけのような位置づけで、天皇賜杯もまだなかった。年間の場所数や開催日数、相手が休場の場合の不戦勝制度もなしということで、天皇賜杯という公式の表彰制度になってからは初めてのもの。それだけに尊富士の優勝の価値は両國以上のものといっていい。それだけは誤解なきよう。

(2024年3月24日記)


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