「凍れる密林」に続くシリーズ第3巻にして完結編。
いよいよ三種の神器の残り1つ、”八咫の鏡”をめぐって、従吾たちとファルケンハイムの最後の戦いが始まる。”八咫の鏡”はなぜか富士山麓の青木ヶ原樹海にある。1〜3巻を通じて、なぜ義経=ジンギスカンが三種の神器をそれぞれの場所においたのか、結局その理由は示されなかった。いやね、重箱の隅をほじくってるわけではないのよ。
冒険をするためにそぞれの場所においたら面白かろうという、小説を盛り上げるためにそうしたという理由はよくわかるのである。でも、それでは従吾たちがかわいそうではないですか。なぜ彼らはそんな苦労をせねばならなかったのか。ぼやきたくなるのじゃないだろうか。全体の構成に筋を一本通してくれれば、それで彼らの苦難も報われるというものではないでしょうかね。
それに、どうしてファルケンハイムの驚異的な力をもってしても取れない神器を従吾たちは入手できるのか。ただ、探知できる銀盤をもっているからということだけでは説明になってないぞ。
私は、こういう理屈抜きの大時代的な冒険小説というのは好きなのである。これが大正時代に書かれた小説であるとしたら、そのおおらかさも許してしまうだろう。でも、これは1998年に書かれた小説なのである。アクション、キャラクターなどはツボをおさえてなかなかワクワクできるものに仕上げているだけに、肝心のところが作者の都合だけで設定されているというのは、もったいないし、残念なのである。嘘でもいいからもっともらしい理由をつけてあればこそ、カタルシスが感じられようというものだ。
三部作で完結なんだから、従吾をめぐる三角関係にも一応かたをつけてほしかったなあ。こういう小説では、そうすることが読者に対する礼儀であるように、私なんかは思うんだけれど。
理屈抜きの面白さとはどういうことか、私自身もこのシリーズを読んで考えさせられたのであった。
(1998年8月22日読了)