「スーパー・モンキー」の続巻。
本巻では霊感大王と独角大王のエピソードを作者独自のタッチで潤色している。生贄の子どもと引き替えに村に富をあたえる霊感大王のエピソードでは、村人を一方的な被害者にしたてあげず、妖怪との共生関係を保っているという指摘がなかなか鋭いと感じられた。独角大王のエピソードでは三蔵たちにやられてしまう妖怪たちになにか哀れみさえ感じさせる。ここらあたりの潤色はなかなか面白いのだが、どうしても現代風俗をとりいれたりした軽いタッチなので、その視点の面白さがストレートに伝わってきづらいうらみが残る。
むろん作者の意図は中高生の女の子対象に読みやすく楽しいものを、というところにあるのだから、それはそれでかまわないのだとは思うけれど。よく考えてみれば40年ほど前に邱永漢だってサラリーマン向けに同じようなことをしているのだから、対象となる読者が違うというだけで問題にすべきことではないのだ。
気になるのは、文体である。講釈を意識した「です・ます」体で全体を統一しているのはいいのだが、不必要なところにまで「です・ます」を使っている。別に本当の講釈師の口調にせよとはいわないが、もう少しばかり気をつけてほしいところだ。読んでいて引っ掛かってしまった。
(2000年6月3日読了)