「姥うかれ」に続くシリーズ第4巻。シリーズ完結編である。
「ファミリーレンタル」などというものに申し込んでしまうはめになった歌子サンが、派遣されてきた「息子夫婦一家」がマニュアル通りに老母を慰めようとするのをやりこめてしまう表題作など、6編を収録。
古き友が次々に逝き、しかし新たな友と出会い……と時の流れを痛切に感じつつも、歌子サンは「私は私」と最後まで自分のペースを続けるのみと決意するところでシリーズは幕を閉じる。歌子サンの死という所まで描かなかったのは、あくまで夢を売る小説として書かれたものであるだけに、作者としてはそこまで現実を突き詰めようとはしなかった、ということなのだろう。
主人公が明治生まれという設定なので、自立した女性という設定ではあるが、フェミニズム的なものには保守的であり、だからといって男性中心社会には反対していたりする。そこらあたりの矛盾は作者自身のかかえる矛盾であろうし、そういった矛盾を読んでいる間は感じさせない筆力はさすがというべきであろう。
ところで、歌子サンは大のタイガースファンという設定で、第2巻「姥ときめき」では「小林さん、ラインバックさん」を応援している。作中ではその2年後である第3巻「姥うかれ」でタイガース優勝に大喜びをしているが、実際の時系列でいくとこれはその5年後になる。第4巻の本書では作中ではさらにその2年後という設定でありながら、実際の時系列では7年後にあたる「亀山・新庄フィーバー」に熱狂している。雑誌連載中は読者も矛盾を感じることはなかっただろうが、こうやって一気に通して読むと違和感が大きすぎる。もしかしたら歌子サンとその周辺の人々は違う時計で動いているのだろうか。実は本書はSFでパラレルワールドの物語なのだろうか。そこまで深く追究する必要もないのだけれど、時事ネタを長期シリーズで扱う難しさを感じた次第。
(2000年8月15日読了)