平安時代の京都を舞台にし、歴代の陰陽師を主人公にして都に跋扈する鬼たちの姿を活写した連作短編集。「空中鬼」は本書をシリーズ化したものの一つにあたる。
滋丘川人と若き弓削是雄が応天門の変の真相に迫る「髑髏鬼」。弓削是雄が東北に出現したと噂される人をくびり殺す鬼の正体を追う「絞鬼」。若き賀茂忠行が羅城門に巣食う新羅の鬼の謎を解く「夜光鬼」。賀茂忠行と若き賀茂保憲、安倍晴明が平将門の怨霊と思われる鬼の真相をつきとめる「魅鬼」。安倍晴明が藤原保昌と盗賊袴垂の関係に関わっていく「視鬼」。以上5編とも、時代伝奇小説に推理小説の要素をとりいれたもの。
全編に通じるものは、鬼の存在の大部分は人間の深い業が生み出したものであり、陰陽師は極めて合理的にその正体を探り、いたずらに不安をあおるようなことはせず、影の存在として都の安寧を保つ役割を果たすものなのだという視点である。ここに作者の見識を感じた。怨霊にしろ鬼にしろ、元は人であったりするのだ。それを鬼に変えてしまうほどの業の深さこそ何にも増して恐ろしいのではないだろうか。
歴代の陰陽師たちの正確の書き分けなどもさすがにうまく、鬼の描写などもことさらおどろおどろしく表現していないのもかえって効果をあげている。
陸奥の異民族〈蝦夷〉をからめるなど、作者ならではの素材の生かし方もある。こういった影の歴史を扱わせた時の作者は実にいい。歴史というものが勝者によって形成されてきていることへのアンチテーゼという一貫した姿勢は、本書にもその特徴として顕著に現れているのである。
(2001年3月9日読了)