「ペロー・ザ・キャット全仕事」の続編にあたる。
パパ・フラノの支配する暗黒街〈パレ・フラノ〉で私立探偵事務所を開業するヴィクトル・デュボワの前に現れた依頼人はボーイソプラノの印象的な美少年、アンジェロ・クートロであった。彼を庇護していた司祭、ドミトリ・クラムスコイ神父が失踪したのを探してほしいという依頼である。さらに、ヴァロアと名乗る血の匂いをした男にもドミトリ神父の居場所を探すよう依頼される。元警官であるデュボワはかつての同僚ゴージュ警部を通じてドミトリ神父の失踪がパパ・フラノ内部の粛正に関わるものであることを知り、依頼を断わろうとする。しかし、彼は既に大きな事件の歯車として動き出してしまっていたのだ。やがてドミトリ神父は意外な姿でデュボワたちの前に現れ、パパ・フラノに対する抵抗を始める。
ハードボイルドタッチで描かれる本書は、前作での強大な権力に飲み込まれてしまった自由人の孤独な抵抗と対比するように、権力下にありながらそこから脱出しやはり孤独な抵抗を試みる者たちの姿を描いている。自由というものは拘束状態から生じ、絶対の自由などあり得ない、その辺りの機微が人工的に作られた楽園という舞台設定のもとに巧妙に描かれている。自由とは何か、孤独とはどういうものか。作者は前作と本書を通じて読者に問いかけてくる。むろん、決定的な答えは出ない。答えを出すのは読者の手にゆだねられているといっていいだろう。そのための材料はちゃんと用意されているのだ。
私はハードボイルドが苦手で、特にその文体がだめなのだが、そういう意味では本書の文体は決して読みやすいものではなかった。饒舌の一歩手前で踏みとどまってはいるが、もう少し全体を刈りこんだ方がスッキリしていてよかったのではないかと思う。もっとも、それは私という読み手と作品の相性というものなのかもしれない。過去に傷をもつ多様な人物がクライマックスまで入り乱れながら展開し、結末近くで一気に読み手を緊張に誘うところなど、作者の力量を感じさせてくれたのは確かだからだ。
(2001年9月19日読了)