戦後初のSF長編小説『光の塔』を書いたことで知られる作家、今日泊亜蘭の半生を本人への取材を中心にして描いたもの。
画家水島爾保布の息子として生まれ、幼い頃からの秀才でありながら興味がなくなると学校にも行かなくなるというあっさりとした性格のために現在に至るまで学校を卒業することもなく、一時的についた通訳の仕事以外はこれという定職も持たなかった〈高等遊民〉である今日泊の不思議な人生を、漫画家杉浦幸雄との交友などからときはじめ、SF界でも独自の立場をつらぬいてきた奇妙な生き方を思い入れたっぷりに描き出す。
特に、「おめがクラブ」から「宇宙塵」にいたる戦後日本SFの揺籃期に今日泊の果たした役割を様々な人からの証言で書き残しているのは資料的にも価値があるといえる。ただ、問題は、今日泊の奇矯な生き方を肯定するために『S−Fマガジン』初代編集長の福島正実のことをかなり度量の狭い悪者として書き過ぎていることである。福島は今日泊のことを全く認めていなかったわけではなく、その著書『SF入門』でも日本SFの必読書としてちゃんと『光の塔』をあげていることなどを著者は調べなかったのか、あえて無視したのか。
自由人としての今日泊は確かに魅力的な人物かもしれないし、仕事のために節をまげて自分の気に入らない原稿は書くことがなかったというのもある意味では美点であろう。しかし、私は人が世話してくれた仕事を途中でことわったりするような人物が自分の近辺にいると迷惑であるなあなどとも感じるのである。
奇人、今日泊亜蘭にスポットをあてた点で本書は貴重なものであるし、SF史を語る上でも今後さけてとおることのできない一冊である。ではあるが、記述にもう少し冷静さがほしかった。資料として本書を取り上げる場合、ある程度そこらあたりを割り引きして読む必要があるだろうと思う。
(2001年11月23日読了)