「立川談志遺言第全集1」と同時配本の全集最終巻。
書下ろしの最新の文章や未発表の文章を集めたもの。「芸人論」というよりは、芸人とその芸に対しての雑感集という感じか。例えば、古今亭志ん朝が死んだ時に著者は「いい時に死んだね」とコメントしたが、本書ではなぜそう言ったかをくわしく書いている。志ん朝は若い頃の動きがなければその落語にも面白さがないと断じていて、年老いて体が動かなくなってしまった時のみじめさを見られなくてすんだという意味で「いい時に死んだね」と発言したのだという。これは納得のいく論のように見えて、実はそうではない。体が動かなくなった時に、さらに化ける可能性はないと断言できるのだろうか。実際、志ん生はろれつがまわらなくなって「味がでた」と言われたではないか。
上方落語についての文章も、一読するとなるほどと思えなくはないが深く考えると矛盾もかなりある。特に桂枝雀に対する評価は落語界きっての理論家である枝雀がなぜああいう破天荒な芸を作り上げたのかという視点が抜け落ちてしまっているため、説得力を欠く。それよりも私はに枝雀追善公演の座談会での柳家小三治による「(自殺だなんて方法をとって)うまいことしやがって」という血を吐くような一言の方が真実をついたいたと思われてならない。
思うに、著者は破天荒な芸人に憧れていて、自分が真に破天荒になり切れないという、そこらあたりについてジレンマを感じているのではないか。だから、まさに破天荒であると思われる古今亭志ん生や笑福亭松鶴に対しては評価が甘く、端正な芸である先代桂文楽や志ん朝、桂春團治には点が辛く、努力して破天荒な芸を作り上げた枝雀に対しては嫉妬に近い感情もあって認めたくないのではないか。本書を読んでいると、そんなことが感じられてならないのである。
本書の価値は、多数収められた写真である。友人から贈られた戦前の落語家のスナップ写真アルバムやブロマイド、そして入門以来著者がとり続けたスナップ写真である。これらは実に貴重な資料である。ただし、撮影年が全く書かれていないのが難点ではあるが。
付録のCDは本文に書かれていることと内容はほとんど変わらない。このCDは付録ではなく別売にして本の価格を下げるべきだと思うのだが、どうだろうか。
(2002年2月9日読了)